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令和7年度学部卒業式及び大学院学位記授与式を開催

2026.03.23

2026年(令和8年)3月23日、令和7年度美術学部・音楽学部卒業式及び大学院美術研究科・音楽研究科学位記授与式を本学堀場信吉記念ホールで執り行いました。

美術学部125名、音楽学部65名、美術研究科修士課程68名、音楽研究科修士課程26名、美術研究科博士(後期)課程4名、音楽研究科博士(後期)課程1名の卒業生・修了生が、ご来賓の皆様や教職員に温かく見守られ、卒業式及び学位記授与式に参加しました。

卒業生・修了生の皆さん、誠におめでとうございます。

教職員一同、皆さんのご活躍を心からお祈りしております。

令和7年度卒業式・学位記授与式式辞

 この晴れの日に、卒業、修了の皆様、おめでとうございます。また、これまで学生諸君を支えてくださってきた御家族の皆様、関係者の皆様にもお祝い申し上げます。そして、お忙しい中、御臨席いただいている松井京都市長をはじめ御来賓の方々にも感謝申し上げます。

 さて、先ほど「おめでとうございます」と申しましたが、その言葉は祝福のみを意味しているものではありません。実は、これからの道のりへの励ましや不安への共感の方が多く含まれているのです。卒業、修了は一つの区切りではありますが、決してゴールではありません。それよりもスタート地点であると思うのです。皆さんは、これから社会という海に泳ぎ出します。未知の世界や課題、価値観の探究がこれから始まります。大学での今まではその準備にすぎません。底と対岸の見えない海に飛び込むためのスタート台にやっと立ったのです。この先、大きな波や強烈な暑さや寒さ、なかなかたどり着けない大地、逆風、潮流などに出会うでしょう。時にはスタート地点に押し戻されることもあるでしょう。でも、大丈夫なはずです。皆さんは、溺れない足掻き方、遠泳のための体力、スピードアップの為の瞬発力、出会った人々との関係の作り方、波間に浮かぶ物もので必要なものを作る技術、人を助けられる心等をもう持っているはずです。様々な島に辿り着き、そこで人や文物と出会い、探求を深め、更なる島へ泳ぎ出す。それを死ぬまで繰り返すことになります。今は人生100年とも言われます。これから80年余りを泳ぎ続けるのです。その間、多様な島に上陸して生活を構築するでしょう。大学で培った「生きるための技術」はそのことを支えてくれるはずです。

 さて、私たちが足を踏み入れている「藝術」という世界は一体どういうものなのでしょうか?土の研究者である藤井一至(かずみち)さんの研究の引用から考えてみようと思います。

 皆さんは「土壌」と言う言葉を御存知でしょうか?植物が育つ土のことです。大昔の地球には土壌はありませんでした。地学的なイベントで地表に出てきた様々な岩石とそれが砕けた礫や砂や泥だらけの鉱物世界でした。海の中では生命が誕生し、進化の過程で光合成のできる藻類が生まれ、浅瀬で太陽のエネルギーと二酸化炭素を利用しつつ、せっせと酸素を空気中に放出しはじめ、大気成分が変化しはじめました。そしてついに5億年ほど前に、藻類の一部が地上に上陸します。パイオニア植物といわれる地衣類達です。水辺に勢力を広げ、その死骸が砂や泥と混ざり、鉱物と有機物の混ざった土ができます。これが土壌の始まりです。その土壌を文字通り土台に植物達の地上進出が進み、同時に酸素に適応した昆虫などの生物も進出しはじめ、動物の進出も進み、植物と多様な生物群の織りなす世界が地球に誕生します。シダ植物が大繁栄した当初は、巨大なシダの遺骸は分解する生物がいなく、堆積して石炭になります。地球は石炭だらけの惑星になりそうなところで、白色腐朽菌というキノコの仲間が登場して分解できるようになり土壌になることができるようになりました。様々な微生物などの多様な生き物が絡まり合いながら現在の地球の姿ができ上がります。

 岩石、礫、砂などの鉱物世界もしくはできつつある土壌世界をこれから皆さんが出ていく社会だと想定してみたらどうでしょう。植物や生物達の活動の部分に自分を置いてみるとなんとなく世界と自分の関係が考えられるような気がします。様々な生命を育む「土壌」は少なくとも5億年以上の時間をかけて生成され続けています。私たちの享受している文化や価値観も数万年の時間の上に立っています。長尺の時間の中で様々な存在が何かを受け継ぎ、成して渡すと言うことを綿々と繰り返してきた結果が今であり、多分これからも人類や生き物達はそれを繰り返していくのだと思います。空気を作ること、パイオニアとして未知の世界に踏み出すこと、土壌を作ること、共生すること、分解すること、花を咲かせること、実をつけること、種を蒔くこと、肥料になること。これらの行為はそのまま芸術の世界が行なっていることと重なると思いませんか?さらには人類が綿々と繰り返して継承してきたことごととも重なると思うのです。ところが現代の資本主義経済の中では過剰な生産、過剰な消費の中で、このサイクルが端折られて急がされていて、成果だけが、果実だけが消費されて「長尺の時間の視点」が抜け落ちているように感じるのです。結果、人間中心主義の世界になり、「おごり」がうまれて環境破壊や紛争、格差が増長されています。

 では「おごり」に対する「謙虚さ」とはどのように学ばれるものなのでしょう?経済的競争社会の中では「謙虚さ」は居場所がありません。人間は自然世界との関係の中で「謙虚さ」を学んできたのだと思うのです。人間の思い通りにならない自然の営みに、恐れと脅威と尊厳と安寧を感じながら人間以外の存在を感じることで「謙虚さ」を手に入れ「許容する」ということを獲得し、だからこそ人類は生き残り社会を構築できたのだと。そして世界を捉えるための技術である藝術は、世界との関係を紡ぐ役割を大きく担っていたと思うのです。藝術は太古の昔から、そのような感覚や思考や技術を、綿々と受け継ぎ、受け渡してきているのです。私もその一員として、先輩たちが受け継ぎ、発展させてきたものを享受し、さらに展開させながら次世代に渡すという「中継者」であると思っています。多分、皆さんも「中継者」であります。今、私たちが当たり前と思っている感覚や思考、技術は遠い昔に誰か達が発明したものが「読み人知らず」として享受されているのです。植物や様々な生物同様、長尺の時間の中で育まれていくものが藝術なのです。

 現在、社会は大きな変化の時期を迎えているように思います。「戦争」という言葉も聞こえてきます。大きな変革の時期に私達は何ができて、何をしなければならないのでしょうか?

 ローマン・クルツナリックという方の「THE GOOD ANCESTOR」という著書があります。「我々は良き祖先になれるか?」という問いの本です。世界を探求すると、どうやら人間以外の動物、植物、微生物など全ての生き物は「良き祖先」として生きているように思います。種を繋ぎ、世界の循環に参加して生きています。「我々は良き祖先になれるか?」という問いは、環境を破壊し、紛争を起し、収奪を繰り返し、他種を絶滅に追いやっている人類のみに向けて立てられているのです。これから社会に泳ぎ出していく皆さんに、この問いと共にエールを送りたいと思います。一緒に藝術を通して良き未来を創造しましょう。

令和8年3月23日
京都市立芸術大学 学長 小山田徹