
2026年4月10日(金曜日)、令和8年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。
美術学部135名、音楽学部65名、大学院美術研究科修士課程60名、博士(後期)課程4名、大学院音楽研究科修士課程25名、博士(後期)課程3名、の総計292名が、松井孝治京都市長をはじめご来賓の皆様、ご家族の皆様、教職員に温かく見守られ、入学式に参加しました。




開式に際し、阪哲朗教授の指揮により音楽学部の学生有志がW.A.モーツァルト「音楽の冗談 K.522」より第1、第4楽章を歓迎演奏として披露しました。代表による宣誓が行われる中、新入生はそれぞれの思いを胸に抱き、期待に満ちた表情で参加していました。




令和8年度入学式 学長式辞
この穏やかな春の日にご入学の皆様、おめでとうございます。また、学生諸君を長らく支えてきてくださっているご家族の皆様、関係者の皆様にもお祝い申し上げます。そして、お忙しい中式にご臨席いただいている、松井京都市長をはじめとするご来賓の方々にも深く感謝申し上げます。
ようこそ京都市立芸術大学へ。皆さんは様々な動機やきっかけ、出会いなどで今、この場に集まっておられます。この大学に入学し、今隣にいる人々と同じ時間をこれから過ごすことは偶然の出来事としてスタートします。さて、植物の中には種子を作り代を繋ぐもの達がいます。果肉という柔らかく温かいものに包まれて、鳥たちに食べられて一度体内に入り、空を移動し、再び地面に落ちる種子や、プロペラがついてくるくると落ちながらも広がっていく種子、綿毛がついてふわふわと風に吹かれて空中に漂う種子、動物達にくっ付いて遠くまで運ばれる種子、様々な方法で植物は種子を拡散しながら環境の中に踏み出していきます。着地した場所が、水分の乏しい荒れ地だったり、水場だったり、木の枝の股だったり、苔の上だったり、日陰だったり岩の隙間だったりします。しかし、植物達はそれぞれの環境の中で懸命に根を伸ばし、芽を出して成長を試みます。熾烈な生の競争もありますが、様々な植物群としていつしか繁茂し、歳を重ね、気がつくと林になり、森になり、生態系というものが作られて、次世代へと継承されていくということが起こっています。この植物の姿と、今ここに偶然集まった皆さんとが重なって見えるのです。最近の研究で、植物達は、同種以外でも複雑な伝達のし合いをしていて、大きなネットワークを形成しているということがわかっています。もちろん、昆虫や微生物など様々な生が、複雑な関係を築きながら生命圏を作り上げているのです。想像してみて下さい。皆さんは、京都市立芸術大学という地面に偶然転がり落ちてきた種子です。朽ちて土に帰りそうになっている先輩や、大木として聳えている先輩達や、今まさに若葉を伸ばし始めている若い先輩達がいる森です。その地面で皆さんはこれから根を生やし、芽吹き、茎を伸ばし、葉を広げ成長し、花を準備し受粉して種を宿し、次世代を送り出す。こんなサイクルが始まるのです。そう、大学は森であり社会はそんな森の回廊なのです。
「藝術」という漢字を思い浮かべて下さい。画数の多い方の藝の字です。この字の意味は「修錬して身につけた技術・技能・学問」という意味ともう一つ「草木を植える、種子を蒔く、栽培する」という意味があります。藝術という世界は元々植物との関係があるのです。才能が開花する状態を「芽が出る」というのも「枯れの境地」というのも関係があるのでしょうね。
さて、皆さんがこれから学んで、探求していく「藝術」というものは、世界を捉える技術の一つです。現状の世界の在り方や方向性に満足せず、歪みや違和感を感じた人間が、新たな価値観や感覚、思考方法の提示を試みる。これが表現という「問い」の立て方なのだと思うのです。この「問い」は現状の人々や社会には今の価値観とは違うものなので、「毒」のようなものです。なので、すぐには受け入れられません。受け入れられるまでには時間がかかるのです。しかし問い続けるうちに未来において当たり前になる時が来ます。私たちの現状の価値観や技術、感覚もこのような形で享受しているのです。しかもその「問い」には簡単に「答え」のあるものではありません。未知のものに対峙し探求をし「問い」を立てて「答え」を見つけたと思ったら、その向こうに新たな未知の世界が見つかるものなのです。常に「わからなさ」と対峙し続ける世界でもあります。「藝術」とはそういう意味で「わからなさと友達になる」技術や方法がたっぷりある世界なのだと思います。世界は悲しいほどに、未だ紛争や収奪、差別が止むことはありません。それは他者という「わからなさ」への不寛容がベースになっています。「藝術」の「わからなさと友達になる」技術や思考こそが不寛容から許容へ導く一つになると確信をしているのです。
再び植物の世界のことです。「フィトンチッド」という言葉があります。樹木の香り成分で、森の大気として空気中に漂う粒子です。人々にとっては森林浴などで身体に良いと言われている成分ですが、実は植物の出す毒の成分なのです。植物は自らに有害な病原菌などを近付けさせない為に、毒を放出しているのです。未来の危機に敏感に反応して対策を取っているのです。しかし毒は時として薬にもなります。人間界における薬のほとんどは毒から作られます。植物の毒も人間には薬になる可能性もあるのです。同じように「藝術」の吐く「毒」も、未来において人類の「薬」になる可能性もあるのです。「問いを立てる」ということは「毒を吐く」と言い換えてもいいのかもしれません。
ここ京都市立芸術大学は今年で146年目を迎える日本で一番古い歴史を数える芸術系大学です。ほぼ、150年を数える森でもあります。これまでの歴史を振り返ると様々な「毒」が吐かれ続け、その「毒」に感化された次なる「毒」が生成されてきた分厚い歴史が見えてきます。社会に多大な薬を提供してきた先人達の足跡があります。皆さんはこの森の一員としてこれから成長を始めます。そしていつかは別の森を作り始めるかもしれません。どんな風に枝を伸ばすのでしょうか?どんな花を咲かすのでしょうか?どんな実をつけるのでしょうか?しかし、決して孤独な戦いだと思わないでください。私たちは森なのです。様々な他者がひしめき合い、関係し合い、絡まり合っている森です。「わからなさと友達になる」技術を持った仲間がたっぷりいるのです。
今ここに集っている皆さんと良き森を創り、良き「毒」を発揮し、良き未来を創ることを楽しみたいと思います。
ご入学おめでとうございます。
令和8年4月10日
京都市立芸術大学学長 小山田徹

