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平成28年度京都市立芸術大学入学式を開催

2016.04.08

 平成28年4月8日,平成28年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。

学長式辞  学長式辞

門川大作京都市長御祝辞  門川大作京都市長御祝辞

 美術学部135名,音楽学部65名,美術研究科修士課程56名,音楽研究科修士課程22名,美術研究科博士後期課程9名,音楽研究科博士後期課程1名の総計288名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,入学式に参加しました。また,開式にあたって,音楽学部在学生が歓迎ファンファーレ「ポール・デュカス作曲 舞踊詩《ラ・ペリ》より」を披露しました。

 

 

 

 

晴天の下に行われた本年度の入学式,新入生はそれぞれの思いを胸に抱き,期待に満ちた表情が輝く晴々とした顔で参加されていました。

新入生の皆さん,御入学おめでとうございます。

皆様の大学生活が,実りある人生の1ページとなりますように。

教職員一同,心よりお祝い申し上げます。

 

<学長式辞>

 本日ここに集われた200名の学部生,88名の大学院生のみなさん,入学ならびに進学おめでとうございます。ご臨席いただいたご家族のみなさまにも心よりお祝い申し上げます。また,門川大作京都市長をはじめ,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓のみなさまにも,ご臨席いただけましたことに,京都市立芸術大学を代表して深く感謝申し上げます。

 さて,みなさんはこの大学への入学資格を問うたいへん難しい試験に合格して,いま,この晴れやかな場におられます。本学の入学試験は他の芸術系大学と較べてきわだった特徴があることはみなさん,ご存じのとおりです。美術学部では,理科をも含めた学科試験の比重が実技とおなじくらいに重視されています。音楽学部では,学科試験にくわえ,さらに専攻の楽器のほかにピアノや声楽の試験が課されます。なぜでしょうか。

 それは,美術であれ音楽であれ,それを学ぶ人に,たんに専門の表現技術を磨くだけでなく,この時代にあって「表現する」ことの意味を問い,さらにはその歴史的な経緯を意識した活動をしてもらいたいという思いがあるからです。つまり,みなさんに確かな社会意識をもった表現者になってもらいたいと,強く願っているからです。

 この3月,先の東日本大震災から5年が経ちました。このたびの震災からの復旧・復興にあたって一つ,注目すべき動きがありました。それは芸術にかかわる人たちが数多く支援に駆けつけたことです。そしていまも本学の教員・学生も含め数多くのアーティストたちが被災地のあちこちで復興事業,再生プロジェクトに参加しつづけています。もちろん,被災状況を目にして,いてもたってもいられなかったという思いがまずあったことはたしかです。が,それとともにもう一つ,5年経過して思うのは,わたしたちの生活基盤が根こそぎにされたとき,それをもういちどゼロから立ち上げるときに,芸術がどのような場所,どのような位相から立ち上がるものなのかを,みずからの眼で確かめたいという思いもまた強くあったように思います。

 亡くなった人を深い悲しみのなかで弔うなかに,花を手向けるという行為がありました。口ごもるような低い弔いの歌もありました。散乱した思い出の写真を一枚一枚,丹念に洗う行為もありました。そして,避難所生活が続いているあいだからもう,流された元の場所に出かけて行って七夕の祭りの準備をする人びとの姿がありました。みなが協力して,瓦礫を袋詰めし一箇所に積み上げるときに,若いアーティストがそれをピラミッドなどの形に積み上げるのを見て,寒空の下で思わず顔をほころばせた被災地の人の姿がありました。

 すべてが壊れたあと,それでも人びとが生き延びようとして,その場所で最初に立ち上げるものは何か? それをしかと見届けるなかで,アーティストたちは,美術館やギャラリー,あるいはコンサート・ホールに象徴される現在の芸術の制度と,それに枠取られた表現の行為を,あらためて芸術の原点からを問いなおそうとしたのです。

 たとえば美術。その「表現」という行為はイメージやオブジェとしての作品を創ることなのでしょうか。美術は作品の制作に限られぬもっと大きな意味を持っているのではないでしょうか?

 この冬,わたしにとっては忘れられない「出来事」がこの大学でありました。ある日,わたしは「学長室をだれでも入れる部屋にしたいな,みんなの交差点になればいいな」と,まわりの人におそるおそる口にしました。そうすると,それが知らないあいだにだれやかれやに伝わって,壁面に巨大なフレスコ画が描きはじめられ,斜めに立てかける手作りのコートハンガーが持ち込まれ,ドアを解体してたっぷりのぞき窓のあるものに取り替えられました。わたしの机も,教室から運んできた学習机を二つ並べ,その上にきれいに磨いた白木一枚を載せたものに変わっていました。椅子も当然,教室で学生たちが座るあの椅子です。とくにだれかが指示するわけでもなく,油画,彫刻,プロダクトデザインの先生や学生たちが入り交じってどんどん作業を進め,およそ三ヶ月かけて模様替えが完了したのです。みなさんにもいちどぜひ見に来ていただきたい,とても開放的な部屋になりました。

 ここに,この大学の独特の気風が現われています。美術学部の小山田徹先生が,それをこんなふうに言っておられます。「スキルとよばれるものは,隣の芝生に行って発揮されなきゃじつはだめなんじゃないか」,と。もう少し詳しく言うと,「アーティストがアーティストとしてアートの分野で何かをするのは基本的にあたりまえ」,違う言語に「翻訳」され「活用」されてはじめてそれはスキルとなる。アーティストとはだから「隣の芝生に行けるパスポートをもっている人」のことなのだ,というのです。そういう精神がこの大学の教育のなかに漲っています。じっさい,学長室の模様替えの際も,通りかかった教職員や学生が「何してるの?」というふうにのぞき込み,ついでにちょこっと手伝ってゆくのでした。

 この大学には,「ちょっと助けて」と声を上げれば,だれかがすぐに駆けつけてくれるような,言ってみれば温い気風があります。困ったら,教えてもらう,貸してもらう,直してもらう,手伝ってもらうということが,何の遠慮もなくあたりまえのようにできる空気です。この空気こそ,ここでは自分は見棄てられていない,孤立してないという安心感を与えてくれるものです。そしてこれは,わたしたちの社会にもっとも必要なものでもあるのです。この技こそ,物づくりの技以上にたいせつなものではないかと,わたしは思うのです。

 人は苦しいときには,世界に触れる感覚の表面を減らして,自分だけの狭い環境を作ってそこに閉じこもろうとします。アートはしかし,そういう世界への違和感を大事にしながらも,その世界を超えたところに別の世界のあり方を展望しようとします。自分の世界に閉じこもるのではなく,人びとをこれまでとは違ったふうにつなぎながら,世界をもっと開いていこうとします。アートとは人びとをつなぐそういう生存の技法のことなのです。現在のように,世界の政治と経済が不確定要因を増し,ますます制御不能になりつつある時代には,そして一方でまた,人と人との分断がますます深くなりつつある社会では,わたしたちが生き延びるためにこういう技法がきわめて重要になってきます。

 もう一つ,こんどは音楽の例を挙げます。先だって,オーケストラについて,音楽学部の大嶋義実先生からこんな話をうかがいました。弦楽器というのは馬の尻尾で羊の腸を擦る,元は遊牧民の楽器である。木管楽器は水辺の植物から生まれた,いってみれば農耕民族の楽器だ。金管楽器は動物の角を吹くことから始まり,打楽器は木の洞に皮を張ることでできた。こちらは狩猟採集民族の楽器だ。異なる時代,別々の地域で暮らした人たちが発した音が一つに集められて,オーケストラは奏でられている。それぞれの音が生まれたそれぞれに異なる歴史的な脈絡,それらが交差する場としてオーケストラの演奏はあると,そんなふうに説明してくださいました。

 このようにそれぞれに起源の異なるものがオーケストラでは集まって一つの曲を奏でるということです。だから,それぞれの楽器奏者がこだわるところもきっと大きく異なるはずです。自分を抑えて他に合わせるということもたえず求められるし,音を奏でていないときも全体の流れにきちんと耳を澄ませ,身をそこに載せなければならない。ときに自分の音で他を引っぱるという局面も当然あります。

 おなじことは社会生活についても言えるはずです。社会のなかで一人ひとりがそれぞれ異なった存在として認められていること,ということは,自分が手抜きをすれば全体もまたうまくいかないだろうと意識できているということ。これが,民主主義の社会というものが成り立つための条件なのです。音楽はこのようなことも教えてくれます。

 以上,この二つの例から,わが京都市立芸術大学がなぜ入学試験にあたって学科試験を重視するのか,なぜ専門以外の技術の習得にも時間をかけるのかの理由がお分かりいただけたのではないかと思います。

 学ぶというのは,自分をより見晴らしのいい場所に立てるということです。そのためには,自分がいまいるこの時代を立体視することが必要となります。時代を立体視するためには当然,複数の眼が必要です。異なる二つの眼をもつからこそ世界は立体的に見えてくる。これを視差(parallax)と言います。視差は,自分の二つの眼のそれであるとともに,自分と他者との視角の差でもあります。世界を立体的に見るためのこの視差をより大きくするには,他の人たちが置かれている状況を事細かく想像することが不可欠です。つまりは社会への強い関心,あるいは社会意識が求められます。

 表現技術,演奏技術を究め,確かな社会的ポジションを獲得してから社会について考えはじめるのではなく,しっかりとした社会意識をもちつつ専攻の技術を学ぶこと,これがあなたたちの表現活動を真に豊かなものにします。そのことをどうか,芸術を学びはじめるにあたって,深く心に止めていただきたいと思います。

 京都市立芸術大学は創立来136年の歴史をもつ,全国でもっとも古い芸術大学です。京都市が全国に先駆けて芸術大学を設置したのは,都市のほんとうの力,そしてそこでの豊かな暮らしは,文化・芸術の厚みによって育まれるとの信念を持ちつづけてきたからです。そういう文化・芸術の学びが,みなさんにおいてもいよいよ始まります。これからの本学での学びがみなさん一人ひとりの未来にとってかけがえのないものとなることを願いつつ,わたしからのお祝いの言葉といたします。

 

平成28年4月8日 京都市立芸術大学学長 鷲田 清一