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平成27年度京都市立芸術大学入学式を開催

2015.04.10

 平成27年4月10日,平成27年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。

学長式辞  学長式辞

門川大作京都市長御祝辞  門川大作京都市長御祝辞

 美術学部135名,音楽学部65名,美術研究科修士課程63名,音楽研究科修士課程21名,美術研究科博士後期課程9名,音楽研究科博士後期課程3名の総計296名が,門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様,保護者の皆様,教職員に温かく見守られ,入学式に参加しました。また,開式にあたって,音楽学部在学生が歓迎ファンファーレ「ポール・デュカス作曲 舞踊詩《ラ・ペリ》より」を披露しました。

 

 

 

 

本年度は雨の入学式となりましたが,新入生はそれぞれの思いを胸に抱き,期待に満ちた表情が輝く晴々とした顔で参加されていました。

新入生の皆さん,御入学おめでとうございます。

皆様の大学生活が,実りある人生の1ページとなりますように。

本学一同,心よりお祝い申し上げます。

 

<学長式辞>

 本日ここに集われた200名の学部生,96名の大学院生のみなさん,入学ならびに進学おめでとうございます。ご臨席いただいたご家族のみなさまにも心よりお祝い申し上げます。また,門川大作京都市長をはじめ,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓のみなさまにも,ご臨席いただけましたことに,京都市立芸術大学を代表して深く感謝申し上げます。

 四月は花の季節です。新たな人生のステージに立つ人びとをまるで祝福するかのように,花があちこちで開いています。花が気前よく吹雪いています。

 人類は太古から花を愛でてきました。お祝い,お見舞い,弔いといった,ひとの生老病死にかかわる行事にも花がいつも添えられてきました。人類最古の埋葬の痕跡はすでにおよそ10万年前のものが確認されていますが,5,6万年前の旧人とよばれるネアンデルタール人の墓には,洞窟で咲くはずのない花々の大量の花粉が見つかっており,花が手向けられた最古の例とみなすことができるといわれています。これには異論もあるそうですが,現生人類としては,およそ1万2000年前にイスラエル北部の洞窟で見つかった埋葬の遺跡が,死者に花を手向けた最古の例となります。遺体の下に,脇に,サルビア属,シソ科やゴマノハグサ科などの花が,まるでベッドのように敷き詰められていたことが窺えます。こうしてひとは,悲しみと弔いの気持ちに美しい形を与え,そのことで心を整えてきました。

 あるいは歌。農作業や粉ひき,洗い物,繕い物といった日日の労働のなかでも,その単調な作業にリズムを刻み,勢いづけようと作業歌が歌われました。祭には音頭が,愛の告白には相聞歌が,子どもの養育には子守歌がつきものでした。そういう歌とともに,人びとは心を奮い立たせたり,慰めたりしてきました。

 このように芸術の原型となるものは,たんなる飾り物ではなく,ひとの生老病死,労働,愛の交換,子育て……と,ひととしてどれ一つ欠くことのできないことがらに,深くかかわるものでした。ひととしての活動に深くいのちを吹き込むものとしてありました。そういう意味では,芸術は,ずっと人類とともにあった,国家の歴史よりもはるかに古いいとなみだといえます。そして,この,連綿として続く《人類史的》ないとなみに,みなさんもこれから本格的に加わることになります。

 芸術は,微かな異変に,あるいは動物の足跡のような些細な痕跡に高い感度で反応する狩猟民族のセンサーにもつながる,あるいは身体をとおして宇宙のリズムに深く感応する巫女のセンサーにまで遠くつながる,人類文化の根幹となる活動です。それはまた,これまで連綿と受け継がれてきた人びとの感受性やふるまいの意味を一つ一つ再発見し,さらにそれらを洗練させてゆくとともに,淀みかけた文化に新しい刺戟をあたえ,それを刷新してゆく,文化の駆動力の一つでもあります。

 そういう継承と創造をつうじて,芸術はいつも,文化が生まれいずるその場面に居合わせようとしてきました。だからどれほど修練を積んだとしても,いつも初心者の心持ちから離れることはできません。アーティストは,制作の渦中でつねに「アートとは何か」「創造とは何か」と問いつづけています。その点では哲学の思考に非常によく似ています。

 芸術はひとの感性や想像力を豊かにするものだと,よくいわれます。言葉にならないものを表現するともいわれます。けれども,「悲しみ」という言葉が悲しみの感情そのものに似ていないように,言葉もまたわたしたちのもつれた思いや体験に新たな形を与えるものです。そういう意味では,言葉も大切にしてほしいと思います。ただし,できあいの言葉を器用に使えることが大事なのではありません。それよりも,言葉の立ち上がるその瞬間を注視してほしい。意味が,形が,生まれる瞬間を,です。

 やなぎみわさんというアーティストがいます。本学の染織科を卒業し,そのあとオブジェ,写真,演劇とその作家活動を広げてきて,美術家として世界的に活躍しておられる方です。その彼女が以前,こう語っておられました。

「経験から学ぶことは大切です。でもそれでは小さすぎるんです。」

 みなさんは難関を突破してこの芸大に入ってこられたのですから,すでにある技を身につけ,個性的なセンスやスタイルをいくぶんかは持っておられることでしょう。それをさらに磨くために入学されたわけですが,やなぎさんが言おうとされているのは,自分がこれまで育んできた個性らしきものに閉じこもるな,ということです。それは大切なものだけれど,それは小さすぎるということです。

 そのために,芸術を志すみなさんには,一見,芸術とは無関係に見えるような本もたくさん読んでもらいたいと思います。複雑な問題の起こっている社会のさまざまな現場にもできるかぎり居合わせてほしいと思います。ひとのみならず生きものの生死から細胞の蠢きまで,さまざまな〈いのち〉の現場に,そして地域での生活から同時代のグローバルな政治・経済まで,さまざまな〈社会〉の現場に,いつも感度の高いアンテナを張り,想像力をつなげていってほしいと思います。美術館やギャラリー,コンサートホールだけがあなたがたの活動の場所ではありません。芸術が《人類史的》ないとなみであるということは,それがどんな時代にあっても人びとの暮らしの根底で疼きつづけているということだからです。

 芸術をつうじて,おなじ時代を生きる人びとの歓びや悲しみに深くかかわるということ,そしてどんな苦境のなかでも希望の光を絶やさないこと,そういう使命もアーティストにはあります。みなさんにはそういう使命の大きさ,重さにあらためて心を震わせながら,学習に取り組んでいただければと願っています。

 京都市立芸術大学は,明治13年に画学校として創設された,芸術系大学としては全国でももっとも長い歴史をもつ大学です。135年におよぶその歴史のなかで,京都市立芸術大学は設立当初より,日本の伝統芸術を継承・刷新するとともに,日本の近現代芸術の屋台骨を支え,世界的にも高く評価されるアーティストたちを数多く輩出してきました。その意味では,京都市立芸術大学は,京都のみならず日本の芸術文化のきわめて重要な火床の一つであり,また世界への発信基地でありつづけています。

 それに京都という,芸術文化の歴史的遺産に恵まれたまちで学ぶことにはとても大きな意味があります。先に,芸術は《人類史的》ないとなみだと言いましたが,文化遺産の数多くあるまちで学ぶことは,いまあなたがたが生きているこの時代を見るそのまなざしを,遥かに大きなタイムスケールへと拡げてくれます。また,このまちには,そこかしこに職人さんたちの技芸が今も息づいています。その技,その材料や道具の工夫から学ぶ機会にとても恵まれているのです。

 京都は文化芸術都市といわれます。それは歴史的文化遺産が多いというだけでなく,産業や観光,宗教や教育,そして地域での暮らしなど,京都市民の日々のさまざまの重要な活動に,横串のように挿し込まれているからです。制作や演奏をつうじて,このまちに活気を与えるのも,大学のみならず,まちに育てられるあなたがたの大切な「お返し」となるはずです。

 来週からいよいよ授業が始まります。これからの本学での学びがみなさん一人ひとりの未来にとってかけがえのないものとなることを願いつつ,みなさんへの私からのお祝いの言葉といたします。

 

平成27年4月10日 京都市立芸術大学学長 鷲田 清一