
平成25年4月10日、平成25年度京都市立芸術大学入学式を執り行いました。
美術学部135名、音楽学部63名、美術研究科修士課程61名、音楽研究科修士課程25名、美術研究科博士後期課程9名、音楽研究科博士後期課程1名の総計294名が、門川大作京都市長をはじめ来賓の皆様、保護者の皆様、教職員に温かく見守られ、入学式に参加しました。
新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。
皆様の大学生活が、実りある人生の1ページとなりますように。
本学一同、心よりお祝い申し上げます。




<学長式辞>
本日ここに、門川大作京都市長をはじめとして、美術教育後援会、音楽教育後援会、美術学部同窓会、音楽学部同窓会のご来賓の皆様のご臨席を仰ぎ、美術学部135名、音楽学部63名、美術研究科修士課程61名、音楽研究科修士課程25名、美術研究科博士後期課程9名、音楽研究科博士後期課程1名、総計294名を迎える入学式を挙行するに当たり、京都市立芸術大学を代表して、心からのお祝いの言葉を申し述べさせていただきます。
皆さんが晴れて入学を果たした本学は、開学以来133年という芸術系大学としては我が国でもっとも長い歴史を誇っており、文字通り日本の近現代芸術の屋台骨を支える美術家たちを輩出してきました。音楽学部もまた昨年で創設60周年という記念すべき年を迎えており、国際的に注目されている数々の輝かしい才能を世に送り出すようになっています。皆さんも、そのような燦然たる芸術の歴史に自らも身を投じるのだという意欲とプライドをもって本学に入ってこられたことでしょう。私たちは皆さんの若々しい情熱を頼もしく思い、夢の実現のために一緒に歩んで行こうと考えています。
本学の優れた教授陣やスタッフによる充実した少人数教育は、芸術の道を志す者にとっての理想的な環境であり、そこでの勉学や研究は必ずや皆さんの成長に大きく寄与することでしょう。皆さんに与えられたもう一つの特権。それは、まさに本学が京都という町に位置しているという点にあります。言うまでもなく京都は世界有数の卓越した文化財と重厚な伝統で知られる都市ですが、単に過去の遺産だけに安住するのではなく、新たな文化、独創的な芸術の発信基地としての活気にも満ちています。この素晴らしい町の伝統と革新の息吹に触れながら学生生活を過ごせるということ。それは皆さんにとって他にかけがえのない経験になるに違いありません。
京都の市民に支えられた本学は、この町の文化的シンボルとしての役割を担ってもいます。学生諸君もまた、暖かい目で見守ってくれる市民の方々の期待を背に勉学にいそしんで下さい。本日は来賓として門川大作市長にご臨席いただいておりますが、市長が入学式、卒業式に必ずお出でになり、毎年、心温まるご挨拶をいただいてきたのも、そうした市民の方々の学生諸君への愛と熱い期待を伝えようというお気持ちからに違いありません。
先日、私は市長に本学のキャンバスを京都駅の東側の地区に移転させたいという要望書をお渡し、前向きに検討するというご返事をいただきました。実現に時間はかかるにしても、将来に向けて京都市のシンボルとしての性格は一層、強化されることになるでしょう。
さてここで、入学された皆さんに、私は二つのことを申し上げようと思います。一つは「歴史に学べ」ということであり、もう一つは「常に新しくあれ」ということです。この二つのことは、一見、相反する行き方のように思えるかもしれませんが、実のところは一枚の紙の両面のように、不可分に結び付いているのです。そう、まさに京都という町が伝統と革新の息吹を兼ね備えているようにです。
不断に新しくあるために歴史を学ぶとは、また伝統から革新の息吹を引き出すとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。日本の近代のもっとも重要なイデオローグの一人であった岡倉天心は、二十世紀の初めに英語で上梓された「茶の本」(The Book of Tea)の中にこう記しています。
過去の芸術作品の価値とは普遍的なものではない、なぜならそれを語るわれわれが普遍的な鑑賞力をもっているわけではないからだ。つまるところ、われわれはあらゆることのなかに自分の姿を見るに過ぎない。われわれの特有の審美的な個性がわれわれの理解方式を定めるのである―――。
この言葉は「人間は万物の尺度である」という古代ギリシャのプロタゴラスを思い起こさせずにはおかないでしょう。しかもその人間という尺度は、岡倉天心にとっては各人各様のものであり、また時代によっての変化するものなのです。茶人の小堀遠州が、門人たちに、彼が収集する物の好みが誰もが感嘆する立派なものだとお世辞を言われた時、遠州は「そうであるなら自分が凡俗であることを証しているだけだ。利休は自分だけが面白いと思われる物をのみ愛好する勇気があったが、私は一般の人の趣味に媚びていることになるから」と大いに嘆いたというエピソードを紹介してもいます。
とすると、過去の芸術を学ぶこととは、それを客観的、普遍的真実として学ぶのではなく、むしろ「自分だけが面白いと思われる物をのみ愛好する勇気」をもって接することだということになるでしょう。天心にとっては過去への審美的な眼差しは、ほとんど個性的な創造行為と同義であったといってもいいかもしれません。
フォンタネージらのお抱え外人教師による工部美術学校の西洋美術教育に対抗して、日本の美術の命脈を再興するための東京美術学校を創設し、わずか27歳で校長についたことに知れるように、天心は鬱勃たる伝統主義者でもありましたが、一方では芸術における同時代性、現代性の価値を深く見据えていた、日本では例外的な人物でもありました。「茶の本」で彼はまたこのように述べてもいるのです。
同時代美術の要求は、いかなるものにもこれを無視することはできない。今日の美術は真にわれわれに属するものである。それはわれわれみずからの反映である。古人に対しては、熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである―――。
こうした言葉は、今の皆さんには当然のことをいっているように思えるかもしれませんが、当時にあっては実に画期的な発言であったはずです。偉大なる芸術の規範は過去にあり、われわれはただ忠実にそれに学べばいいのだという理念からまだ抜け出せなかった時代に、「同時代美術の要求」を的確に正当化して見せているからです。同時代の芸術が他の時代に比べて格段にすぐれているとは限らないし、天才がひしめいているわけでもないでしょう。にもかかわらず、同時代性がわたしたちとってかけがえのない価値を持つのは、まさにそれが「真にわれわれに属するものであり、われわれみずからの反映である」からなのです。
皆さんは学部で、また大学院で、過去に学びながら、表現者としての自らの個性を築き上げていることになるでしょう。繰り返していえば、そのことは別々のことではなく、切り離せないもの、相互に深く結びついたものでなければなりません。どうか京都市立芸術大学の恵まれた環境を存分に生かして、これからの皆さんにとっての「かけがえのない特権的な日々」である大学生活を充実したものにしてください。本日は父兄の方々も大勢お見えでいらっしゃいますが、学生たちの成長を暖かい目で支えてくださるようお願い申し上げます。本日は本当におめでとうございます。
これをもってお祝いの言葉とさせていただきます。
2013年4月10日
京都市立芸術大学学長
建畠晢

