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高橋伸也さん

本学在学生が,多方面で活躍する卒業生に,本学の思い出や現在の活動についてお話を伺う「卒業生インタビュー」。今回は任天堂取締役 専務執行役員の高橋伸也さんへのインタビュー内容をお届けします。インタビュアーは,油画専攻の中西優多朗さんです。

絵を描くのはやっぱり好きだったし,京都芸大への憧れも

高橋伸也さん

interviewer幼少時代はどのような子どもでしたか?

高橋 ご多分に漏れず絵が好きで,幼稚園に入る前からずっと絵を描いていました。写生大会で賞をもらったりもしましたし,一般的な芸大生が辿るような道は大体通っていたように思います。小学生の時は漫画が好きで,6年生の時は漫画家になりたいと言っていました。

interviewer好きな漫画家はいましたか?

高橋 手塚治虫さんや赤塚不二夫さん。王道ですね。手塚治虫さんのサイン会には3回行きました(笑)。どちらかというとアート系ではなくて漫画系に興味がありました。

interviewer芸術大学への進学を決めたのはいつごろでしょうか?

高橋 中学生までは美術大学(美大)に行こうと思っていました。ただ,自分にそれほどの実力はないとも思っていて,「美大はちょっと違うな」と思って高校から理系でした。でも高校3年生の時に共通一次試験※1の結果を見て「これはあかん…」と(笑)。さあどうしようかと悩みました。そして悩んだ結果,思い直して「やっぱり美大に行こう」と決めました。理系の方がいいかもしれないと思って絵から離れていったけど,絵を描くのはやっぱり好きだったので。

interviewer京都芸大を選んだのはなぜですか?

高橋 現役の時は受験しませんでした。美大を受けようと思い直して浪人してから研究所に通いました。私は京都出身ですが,みんな京都芸大を目指していましたし,憧れもありました。色々調べていくうちに染織にも興味が沸いてきて,1浪目は工芸科を受験しました。結局,今度は版画が面白そうだと2浪目は美術科を受けました。当時,版画専攻がある大学はあまりありませんでした。

ものの作り方やプロセス,考え方に惹かれる

interviewer京都芸大に入っていかがでしたか?

高橋 当時,京都芸大の版画専攻の教員だった吉原英雄先生が「版画は工程を考えることで完成する」とおっしゃっていたのが印象的でした。もともと私は理詰めで物事を作っていくようなタイプなので,これは自分に合っているなと感じました。作り方の面白さ,方法論を色々学んだと思います。実技の基礎では,普段あまり触れることのない日本画を選びましたが,絵そのものよりも日本画はどのように描くのかというそのシステムが気になっていました。版画も作り方とかプロセス,考え方が面白いというところに惹かれたのだと思います。リトグラフをしていましたが,それもそのシステムが好きでした。不思議な化学反応が起こるから。

interviewer吉原先生はどのような方でしたか?

高橋 当時は非常に厳しかったですね。まあ私が特に優秀な学生ではなかったからですが(笑)

interviewer課外活動ではどのように過ごしていましたか?ゲームの話題がこれまで出てきませんが…。

高橋 ゲームの話題がないのは,私の時代は家庭用ビデオゲームがほとんどないからです(笑)。幼い頃にボードゲームはありましたが,特に好きだったということはありませんでした。ゲームをし始めたのは中学生の時です。インベーダーゲームが流行って少し遊んだのと,大学に入ってからファミコン※2が発売されて,友達と遊びとしてやっていました。クラブはバドミントン部に入っていました。

絵を描くことと一緒で,ゲーム作りは最後まで粘ることも大事。

今回,高橋さんにインタビューにしたのは,油画専攻の中西さん(写真左)

interviewer就職を意識したのはいつからでしょうか?

高橋 卒業してすぐに就職するつもりはありませんでした。教員になろうと思いましたが,教員免許を取れていなかったので,卒業後に科目等履修生として取得しようと思っていました。そこで4回生の12月だったか,年明け頃にアルバイトを探していたら,新聞に任天堂の社員募集が掲載されていました。アルバイトとは書いていませんでしたが応募してみようと思い,履歴書を出して面接を受けました。面接官は,スーパーマリオの開発者で、世界的に有名な宮本茂※3で,ポートフォリオというものを知らなかったので,とりあえず物を鞄に全部入れて持って行って,作品やデッサンを壁にずらずらと並べて見てもらったのですが,最終的に来いと言われて正社員に採用されました。ですので,いわゆる就職活動はしていません。先生には「えっ?どうやって入ってん?」と驚かれました。

interviewer任天堂に入ろうと思った理由は何だったのでしょうか?

高橋 ゲームが好きということが一番の理由ではありませんでした。実は当時,コンピュータグラフィックス(CG)が出始めた頃で,自分で何とかしようと思ったら高額なコンピュータが必要ですし,学校で教えているところもありましたが高額な学費が必要になります。会社なら仕事としてできるということもありました(笑)。当時は3Dがほとんど出ていなかったので,面接で「CGをやりたいです」と言いました。結局,「そんな事はウチではやらない」と言われながらも、入社してしばらくしてからデザインスタッフとして3DCGを使ったゲームソフトの立ち上げに関わる事ができました。当時、数人で独自に勉強しましたが,そこで理系の脳が生かされたかもしれません。

interviewer就職してから印象に残っていることはありますか?

高橋 任天堂がファミコン※2を大ヒットさせていた時代に入社し、ソフト担当になりました。はじめに担当したソフトの締め切りがゴールデンウィークで、その次には秋にも締め切りがあって,入社早々とても忙しかったですね。当時,自分の描いたドット絵がテレビで動かせるのが新鮮で,面白がりながら作っていました。面白いからずっと触る。なので「コンピュータ」についての勉強も始めました。

interviewerその当時はどのようなことを考えて仕事をしていましたか?

高橋 自身が「こうした方が良いだろう」と思う方向にどうやって持って行くかを常に考えていました。最初はどうしても色々なバランスを取るのが難しいですが,どうすれば,またどのように伝えれば様々な人が動いてくれるかを学んでいきました。

interviewerピンチになったことはありますか?

高橋 自分は「ピンチ」とは思わないタチです(笑)。なんとかして何でも活かそうと考えています。

interviewer版画で学んだシステムや考え方で,今の仕事に生きていることはありますか?

高橋 ゲームを作る会社ではシステマティックに仕事を進めていくと思っていましたし,実際にそのように進める部分も多く,その中でも色々な考え方をすることが必要です。一方で,商品として作り上げる時は最後まで粘ることも必要です。それは最後の最後まで絵を描いていくことと一緒で,商品は両方を兼ね備えた中で作っていくものだということが分かりました。会社に入ってからだんだん考え方を切り替えていきました。

客観的に様々な角度から見て,何が正しいのかを自分で見つける

interviewer会社でのこれまでのキャリアについて教えてください。

高橋 デザイナー職で入社してから,ゲームのディレクター職をさせてもらいました。その後,色々なプロジェクトに関わるようになって,全体を見てディレクターをまとめるプロデューサーのような仕事をするようになりました。狙っていたわけではなく,こうすべきと思ってやっているうちにそうなったという感じです。同期でも何人かデザイナーがいますが,彼らは絵がとても上手いので、そこは彼らに任せて,自分は違うことをした方が良いと思っていたということはあるかもしれません。比較的会社の中でも新しいこと、人がしないことを考え、行うことが多いです。

interviewer今のお仕事について教えてください。

高橋 今はソフト部門の責任者をしていて,実際に自分で手を動かすような制作はもうしていません。しっかり作れる人に作ってもらうという立場です。大きな開発部門の社員にどう動いてもらうかが大事だと思っています。ゲーム制作は一人ではできません。大学時代と一番違うのは,「作品」ではなく,「商品」と言うところなんです。この商品をどう遊んでもらうか,ということが大事です。

interviewer芸術以外も含めて,尊敬する作家はいますか?

高橋 正確に言うといませんが,あえて言うなら手塚治虫さんです。ただ,もともと「この作家が好き」という感覚が乏しいのかもしれません。これはどう描いているのだろうとか,どういう仕組みなんだろうとか,どう考えているのだろうとか,そっちへ行っちゃうので。だから作家にはなれないな,と思っていました(笑)。手塚治虫さんは全部自分でする人なんです。でも私は全部自分ではしません。

interviewer京都芸大当時,担当の教員は厳しかったということですが,高橋さんご自身は会社ではどうでしょうか?

高橋 結構,厳しい方に見られているかもしれないです(笑)。物事の本質を見て,ちゃんと究明しているかどうかについては厳しいと思います。

interviewer京都芸大を目指す受験生や在学生にメッセージをお願いします。

高橋 京都芸大は自由な雰囲気なので面白いと思いますよ。私が悔いに残っていると感じるのは,海外など色々な場所に行って,もっと世界を見ておけば良かったなということ。色々な世界を見て経験し,物事を客観的に様々な角度から見て,何が正しいのかを自分で見つけられるようになるといいと思います。京都芸大はそういう色々な体験ができる大学じゃないでしょうか。例えば任天堂で仕事をしている人たちも,色々な方向から見て,考えに考えて活躍しています。客観的に物事を見ることができるように訓練をしてほしいと思います。

※1 現大学入学共通テスト
※2 1983年に発売された家庭用ゲーム機『ファミリーコンピュータ』
※3 任天堂株式会社 現 代表取締役フェロー

インタビュアー:中西優多朗(美術学部油画専攻4回生*)*取材当時

Profile:高橋 伸也【たかはし・しんや】任天堂株式会社 取締役 専務執行役員 企画制作本部長

京都府宇治市出身。1989年に京都市立芸術大学美術学部美術科(版画専攻)を卒業し、任天堂へ入社。企画開発本部長などを歴任し、2018年に現在の取締役専務執行役員に就任。任天堂のソフト開発およびNintendo Switch開発の総責任者を務める。過去の主な開発担当ゲームソフトは、『東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』『マリオカート ダブルダッシュ!!』『ウエーブレース64』『ふぁみこん昔ばなし 遊遊記』など。

インタビュー後記

今回インタビューをさせて頂いた中で、客観的に周りの人々を、そして自分自身を見定めるという、「客観的に物事を見る」という姿勢を高橋さんは大切にされているのだということを、特に印象的に感じました。
また、「自分より長けている部分がある人にはその分野を任せ、自分は自分の長けている部分で勝負する」というようなスタンスを感じました。その結果として、高橋さんが幼少の頃から持っておられた能力やご興味といったものが現在のお仕事に直結し、最大限活かされているのだと思い、大変勉強になりました。
この度は、ありがとうございました。

中西優多朗さん(油画専攻4回生)*取材当時の学年
(取材日:2021年12月20日・任天堂本社にて)