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葛西郁子さん

本学在学生が,多方面で活躍する卒業生に,本学の思い出や現在の活動についてお話を伺う「卒業生インタビュー」。今回は西陣絣加工師の葛西郁子さんへのインタビュー内容をお届けします。インタビュアーは修士課程工芸専攻(染織)に在籍する四方理南さんと山口汐璃乃さんです。

京都芸大は自由さが最高

西陣絣とは,伝統工芸である西陣織の一種。部分的に先染めした糸で模様をつくりだす絣の技法の中でも,西陣の絣は髪の毛よりも細い絹のタテ糸を自由自在に組み替えて,梯子という道具で大胆にずらし,絣模様をつくることができる。華やかで精緻な色柄が特徴であり,着物や帯,装束などの伝統衣装,また,ファッション分野でも使われている伝統的技法。

interviewer幼い頃はどのような子どもでしたか?

葛西 私は青森県出身で,高校まで弘前市に住んでいました。実家はまるで山のようなところだったので,裸足で木に登ったり,ひたすら植物や虫をじっと観察したりして遊んでいました。本を読むことよりは,自然の中を走り回ったり,絵を描いたり,何か作ることが好きな子どもでした。

両親も山が好きで,休日は白神山地や八甲田山など,青森の豊かな自然の中へ連れて行ってくれました。春は山菜を採ったり秋はキノコを採ったり。のびのびとした環境で,いろんなものを吸収していたような気がします。小学校3〜5年の頃に,自由学習ノートの課題があったのですが,勉強したことは書かず,絵日記を書いて提出しました。先生も初めのうちは「勉強したことを書きなさい」と言っていましたが,その絵日記が面白いと思ってもらえて,結局100点を貰っていました。

interviewer自然からたくさんインプットできる環境だったのですね。

葛西 はい。中学校まではのびのびと過ごしていました。ところが,高校から環境が一転してしまったんです。時代の雰囲気もあり,進学校に通い始めたのですが,ひたすら暗記を繰り返す日々に。それまでは休日に家族で出かけることも多かったのですが,高校に入ってからは夏休みや春休みもなくひたすら講習で,段々嫌になってしまいました。それでも3年間,自分なりに勉強をして,理系の一般大学を受験したのですが,不合格でした。

その時に,はじめて全国の大学が掲載されている本を見てハッとしました。世の中にはこんなにいろんな大学があるんだ,と。そこで「芸術大学」という選択肢を見つけることができました。青森県には芸術大学はないし,もちろん美術の予備校もありません。世の中に芸術系の大学があることは知らずにここまできたんですね。私は元々,絵を描くのも物作りも好きだったので,そこから一気に方向転換し,美大受験のため,東京の予備校へ行くことにしました。周りの予備校生の絵の上手さには衝撃を受けましたが,でもやっぱり描くのが好きだから,喜びが大きかったです。

interviewer数ある芸術大学の中から,京都芸大に進学を決めたのは何故でしょうか?

葛西 東京の予備校に通っていたので,初めは東京の美大を受験しようと思っていました。しかし,東京は誘惑が多すぎて勉強できる場所ではないと思い始めて,東京以外の大学を探していた時に,京都芸大を見つけました。公立大学であることも魅力的でした。

interviewer実際に入学してみて京都芸大の印象は?

葛西 自由さが最高だなと。そのおかげで,自分で工夫して,創造して,何か出来ないことがあったら先生をつかまえ,先生が分からなかったら他をあたって。野放しにさせてくれたからこそ,自分で生み出す力がついたと思いますし,私は大学で「これだ!」と思うものと出会えた。それが今の仕事である織物です。

interviewerどのような学生生活を過ごされましたか?

葛西 織物に出会ってからはそれに没頭して,とにかく作りたい,とにかく織りたいという気持ち。織りは制作時間がかかるので,制作ばかりの大学生活だったと思います。自分のやりたい事だけに真っ直ぐ突き進みました。

同級生とは,一緒に制作に向かって,常に議論して,お互いに高め合っていました。また先生だけでなく,先輩から面白いお話を交えながら教わることもありました。とにかくのびのびと制作に没頭出来て,楽しい学生生活を送れました。

interviewer在学時の制作のイメージはありましたか?

葛西 幼少期に自然の中で見つけた感覚が,その後の制作に影響していて,自分の根幹になっています。また,今の仕事もそうですが,身体全体の感覚で物を作っていくのが好き。そういう感覚からイメージが湧いてくることが多くて,そこは青森で生まれ育ったことが大きいと思っています。

「京都には西陣織がある」 非常勤講師から職人の道へ

interviewer職人としての道を考えたのは,いつ頃だったのでしょうか?

葛西 私は大学院まで進んだのですが,着物の作品に取り組んでいましたから,技術的なことにも興味がありました。より美しく織るための技を追究していく中で,もっと現場の技術を知りたいと思い,学外へも目を向けるようになりました。そんな時に,「京都には西陣織がある」と思いつき,直接西陣の職人の元を訪ねてみました。初めて伺ったにもかかわらず,職人さんは技術を惜しみなく教えてくれましたし,商品を美しく作り上げるためだけに全てのエネルギーを注ぎ込んでいるその姿を見て,私は「作家としてではなく,職人として物を作りたい」と思いましたね。

interviewer卒業後,どのような経緯で絣職人になったのでしょうか?

葛西 職人になりたいという思いは持ちつつ,家庭の事情で卒業後しばらくは織物関係のアルバイトをしながら,大学で非常勤講師として働いていました。転機は非常勤講師の任期が最後の年に,大学院の頃に知り合った職人さんに再会した時。「非常勤はもう終わりなんですよ。でも本当は職人になりたかったんです」とぼやいたら,その方が「こんな仕事好きか?ほな教えてやるから来るか?」と言ってくださったんです。それが今の師匠となる人です。 この時,師匠の後継者は誰もいないという話も伺いました。「こんなに素晴らしい技を継ぐ人がいないのはだめじゃん」と思いました。その時は,自分が後継者になるのかはわからなけれど,文章で残せるものではないから,私が身体で覚えなきゃという感じで,「やります!」と即答しましたね。そこから週1回,師匠のところに通うことになりました。その時, 師匠は70歳を超えていましたし,1分1秒も無駄に出来ないという気持ちで,無我夢中で技を覚えていきました。それから行政の制度にも助けられながら,1年間みっちり師匠のところで学んで,自分の屋号届や事業届を出して,個人の絣職人として今に至ります。

interviewer絣職人として大変なことはありますか?

葛西 私が絣の職人としてスタートした頃は,西陣絣は下火の下火で,作られていないのに等しかった。この仕事は,作家として自分の商品を作るのではなく,下請けの仕事だから,依頼がなければ仕事が続かない。だから開業当初は師匠から仕事を分けていただいていました。でも有難いことに,今はたくさんのお仕事をいただいていて追いついていないほどです。師匠に「やって!」というくらいに(笑)。一つの仕事をしたら「あの子いい仕事してるで」と紹介していただいて,そこから数珠つなぎで人から人へと繋がり,どんどん仕事が来るようになりました。ご縁の連続ですね。私も絣を広げていかないとという使命感に燃えていて,制作の他にも絣を知ってもらえるような活動を,人との繋がりを大切にしながら続けてきました。開業当初は一体どうなるんだろうと思っていましたが,次第に受け入れてくださいました。

interviewerお仕事でのやりがいや大切にしていることを教えてください。

葛西 世の中では,職人は決まった仕事をコツコツやっていると思われているかもしれませんが,それは大間違いなんです。職人こそ創意工夫の塊の世界。毎回,何かしらの工夫があった上で,コツコツやるステージに進めるからです。そこまでできる経験と想像力を作り上げてくることができたのは,京都芸大で学んだ感覚があったおかげです。特に絣の仕事は同じ柄が無く,その都度,どう合理的にどう美しくするかは各職人の工夫でなされていきます。 実際に作る時もそうだし,打合せする時も,まだ実物が出来ていないから,織屋さんが考えているイメージを,こちら側が把握して想像して,形にする力が必要です。京都芸大で培われた力が「役立っている」という言葉では済まないくらいです。

interviewer私も,過去にいろんな素材を使って製作をした時に,他の大学の子が見に来て,「染織なのになぜこんな素材とか,こういう事が出来るのですか?」とよく聞かれます。私にとっては当たり前のことで,「自分で素材を見つけてきた」だけ。でも,見に来てくれた子からすると,「そんなこと出来るのですか」と驚かれます。なんだかその差ってすごい武器だなって思います。

葛西 本当にその通りです。無いものは自分でなんとか見つけてくる。工夫する。実は芸大生は 職人に向いているのでは?
ある意味,私にこの西陣絣の仕事がピッタリなのは,タッグを組んで仕事をしている他の関連業者の方もみな個人事業主で,みんなそれぞれ自分なりの工夫が出来ているからです。「これをこのままこの通りやりなさい」と言われるのではなく,「これ作って」とお願いされる。どう調理するかは自分の勝手です。言われたものをただ機械的にやっている世界ではないのです。チームで作っていて,最後に出来上がったものは織屋さんへ行き,それを商品に作り上げます。「葛西さん,いいの出来たよ」と言ってもらえるのが,一番の幸せです。

interviewer今後の夢や目標はありますか?

葛西 後継者を見つけることです。現在,西陣織の絣職人は6人,その内4人が80代,1人が70代,あとは私だけ。私で終わらせるのではなくて,この素晴らしい技を引き継いでいきたいです。

interviewer在学生にアドバイスをいただきたいです。

葛西 一言でいうと,「バカでいろ」です。好きなものに対して一筋でいる,そういう意味のバカですね。恥も外聞も全て捨ててとことんバカで,とことん自分で切り開く喜びを感じてください。こういうことが出来るのは学生の特権。これが道を切り開くコツです。

interviewer最後に,京都芸大を目指す受験生にメッセージを。

葛西 芸大に入っても就職できるか不安だから諦めようと思う人がいるかもしれないけれど, 人生で本当に必要な人間の心,京都芸大はそれを豊かにしてくれる環境がある大学です。学生という多感な時期に,いつの間にか大切な力を培うことができる素晴らしい大学だと思うので,受験頑張ってください!人生を楽しく豊かにするためには,京都芸大に入りましょう(笑)。おすすめしますよ。

インタビュアー:四方理南,山口汐璃乃(いずれも美術研究科修士課程工芸専攻(染織)1回生*)*取材当時

Profile:葛西 郁子 【かさい・いくこ】西陣絣加工師

青森県弘前市出身。京都市立芸術大学美術学部工芸科にて染織を専攻。同大学院美術研究科修士課程工芸専攻(染織)修了。卒業後,同大学非常勤講師勤務,のち西陣絣加工師のもとで修行,独立し「葛西絣加工所」を開業。現在は「西陣絣加工業組合」の理事長も務める。同世代の仲間とチーム「いとへんuniverse」も組み,西陣絣の広報や新製品の制作にも積極的に取り組む。http://itohen-univers.com/

インタビュー後記

西陣の絣に対する「こんなにも素晴らしいものがあるんだよー!」「伝えないとー!」などの心から出る葛西さんの言葉がお聞きできたインタビューでした。終始,身振り手振り全身を使ってお話しされる姿から,面白さを感じながら絣のお仕事をされていることが伝わってきました。とことん考えているからこそ,仕事の難しさや大変さも越えて良いものなんだ,と言い切れるのではないかと感じ,自身の制作を振り返る機会となりました。

また,「依頼されたデザインは,絣の技と自分の工夫を織り交ぜて応える。」とお話しされていました。道具も方法も工夫して制作する京芸の環境だからこそ身についた,常に自身で考え工夫する感覚は,仕事の場でも生きる,と知ることができました。

インタビュアー:四方理南(美術研究科修士課程工芸専攻(染織)1回生*)*取材当時