谷原菜摘子さん 2/2
描きにくいものを描きたい
大学院を修了後、これまでの活動状況をお聞かせください。
谷原 博士課程を出たら、いきなりコロナ禍がやってきました。今、所属しているMEMというギャラリーでの個展や、そのほかの展覧会の予定もすべて延期になりました。一方で、千島土地株式会社が北加賀屋で若手アーティスト向けのすごくいいアトリエをオープンしたと聞いて応募し、合格したのでそのアトリエに入って制作をしながら絵を売ったり、大学で非常勤講師をやったりしていました。
2021年になって、五島記念文化財団の企画成果展を上野の森美術館で開催しましたが、それが転機になりました。その時に出した作品が兵庫県立美術館に収蔵されたほか、平塚市制90周年記念展である「わたしたちの絵 時代の自画像」に参加させていただくことになりました。大原美術館での個展の話もそのころにはすでにいただいていたんですが、当時はまだコロナ禍が終わっておらず、2023年になって実現し、そこで出した作品が大原美術館に収蔵されることになりました。2023年には国立国際美術館に作品が2点収蔵されるなど、だんだん国公立の美術館に作品が収蔵されるようになってきています。
それから、少し話は前後しますが、博士課程を出るのと同時に国文学研究資料館が主催するアーティストインレジデンスの事業に参加することになり、日本の古典籍と現代美術をコラボさせて、古典籍を美術の力で広めるという取り組みもしました。古典籍を勉強することで自分の作品を充実させていくという機会に恵まれて、2年くらいそういう仕事をしていました。

谷原菜摘子さん
これまでで印象に残っているお仕事や作品についてお聞かせください。
谷原 「中之島文楽2024」で携わった人形浄瑠璃ですね。4つの演目があって、プロジェクションマッピングで投影される30枚くらいの絵を3週間で描いたんですが、とても大変でした。でも、自分の作品と伝統の人形浄瑠璃がコラボした瞬間には、ほかには代え難い感動がありました。こういう仕事を受けなかったら、自分は江戸時代の風景や人とか、鎌倉時代の武士を描いてみることはまずなかっただろうと思うんですよね。昔の人の足跡を一つひとつ辿っていく作業が意外と自分に合っていて、自分の作品世界と融合させながら古典の世界を表現するのはすごくいい経験になりました。プロジェクションマッピングで大きな画面に作品が投影されたんですが、3Dになっていて、人物や背景が動くんですよ。そんなことは自分ひとりではできないし、しかもその前で伝統芸能の人形浄瑠璃が上演されているんです。最近の中ではすごく印象に残っている仕事ですね。
人形に関する仕事はもう一つやっていて、結城座という江戸糸あやつり人形の劇団の公演で、メインビジュアルを描いて人形のデザインもしました。10数体の人形に絵付けをして、洋服も全部デザインしたんです。カフカの『変身』をもとにした内容で、当時の洋服などを調べながらの作業でしたが、どこまで逸脱していいか、どこまで自分の世界に持っていくかを探りながらやるのが楽しかったですね。自分の描いた絵が立体の人形になって踊っているのを見るのはなかなかない経験だったので、印象に残っています。
一から人形のデザインと制作をされたということでしょうか?
谷原 いえ、江戸糸あやつり人形はすごく精密な人形なので、胴体の部分は人形師の方が作られました。そこに付ける顔は、輪郭は要望を出して作ってもらいましたが、目や鼻や口などの繊細な部分は私が直接描きました。
ちなみに結城座の仕事は、座長がたまたま私が出演していたテレビ番組をご覧になって、「これだ!」と思って連絡してくださったようなんです。どうやって連絡先を知ったのか、いきなり電話が来て「谷原さんに引き受けてもらわないと劇ができないので断られたら困ります」と言われました。そこまで言っていただけるのは嬉しかったんですが、「私の絵は怖いですよ。文化庁が助成しているような劇団でそんなものを見せて大丈夫ですか」って聞いたら「子供が泣き叫んでトラウマになって、二度と見たくなくなるような世界を一緒に作りたいです」と言われて、「じゃあいける」と思いました(笑)。
だから学生の皆さんには、どんな仕事でもやってみたらいいんじゃないか、ということは言いたいですね。取材は嫌だとか、テレビに出るのは嫌だという人もいると思うんですが、どんな仕事に繋がるか分からないのでどうしてもできないことでない限りはやってみてもいいんじゃないかと思います。

中之島文楽のリハーサル風景
ベルベットの平面に描くのと、人形の顔に描くのではまったく感覚が違うのではないかと思うのですが、どうでしたか?
谷原 確かにまったく違いましたが、いい経験でした。人形を作るにあたって羽も描いたんですが、薄いリネンに細密に羽を描いてほしいというオーダーがありました。すごくやりづらい仕事だったんですが、そういう仕事こそ楽しいんですよね。ベルベットはいつかなくなってしまうかもしれないけれど、なくなっても大丈夫だという確信を得ることができました。ベルベット以外では紙にもよく絵を描くんですが、どんな素材でもそれぞれいい部分があるなという感想を持っています。
以前やられていた個展ではすごく広い空間に作品を展示されていましたが、作品を展示する空間を作るうえでこだわりなどはあるでしょうか?
谷原 あの展示空間は、リクルートが東京で運営している「BUG」というアートセンターでキュレーターをされている檜山真有さんに全部やってもらいました。私は残念ながら展示空間を作ることができないんですよ(笑)。京芸時代にも石原友明先生(※現 名誉教授)に怒られた記憶があります。展示に関してはどうしてもできないので、私の作品を完全に理解してくれている方にすべて託すという形でやっています。
大原美術館での展示に出された絵で、たまたまそのときにいたムカデを描き込んだというお話を聞いたんですが、そういうことは普段からあるのでしょうか?
谷原 普段はあまりやらないですが、中世の時代には虫がいっぱいいただろうし、たまたまいたムカデを見ていい資料だと思ったので、絵に入れようと思いました。基本的にはすべてのモチーフを事前に用意しますが、描くつもりがなかったものでも、不意に見たものが妙に印象に残ったりするとそのまま描いてしまうということがあります。
最初の構想から完成した絵が違うものになることもありますか?
谷原 よくあります。プランは決めるんですが、絶対に変えてはいけないところがあるんですよ。人物を何人描くかとか、中心にはこの人物を描くといったことですね。そのほかの洋服とか、草の本数とか、そういうことは最初のプランからいくらでも変えていいと思っています。だから、元のドローイングと全然違うものになることはあります。
絵の大きさはどの段階で決めておられるのでしょうか?
谷原 大きさについてはすごくアバウトなんですが、ドローイングの時点で決まります。「これだったら大きい絵じゃないと世界観が表現できない」と思ったら大きい絵になりますね。逆に小さいからこそうまく行く絵もあると思いますが、もっと大きく描いてもいいんじゃないかと思うこともあるので、小さい作品もいつか大きくなっているかもしれません。
影響を受けた作品や作家があればお聞かせください。
谷原 北方ルネサンスの細密画はすごく好きですね。むしろそういった作品を見るためにヨーロッパに1年間いたとも言えます。有名な作家の中で挙げるとすれば、ルーカス・クラーナハでしょうか。国立国際美術館でクラーナハ展をやっていたときは、好きすぎて4回くらい行きました。それから、ヒエロニムス・ボスの絵をスペインまで見に行ったこともあります。あとは、ハンス・メムリンクやクエンティン・マサイスなど、ものすごく描き込んでいる絵が好きです。 それと、さっき少し話しましたが、大正期の日本画壇の作家で、京都芸大関係で言えば大先輩にあたる甲斐荘楠音、岡本神草、稲垣仲静などが好きですね。ご存命の方で名前を挙げるなら、こちらも京都芸大の先輩にあたる樫木知子さんや風能奈々さんが好きです。このお二方はキャンバスの形や素材など、表現方法にとことんこだわっておられますね。

フランス留学時代
今後の活動や夢、目標などについてお聞かせください。
谷原 やっぱりひたすらいい絵を描きたいというのと、今まで絵画化できなかった自分の世界観を作品にしたいというのがありますね。私は子どものときから物語を作っているんですが、その中でまだ絵画化できていないものがいくつもあります。自分の画力とか表現方法が追いついていないから作品にできていないんですが、そういう描きにくいものこそ描きたいと思っています。この前、街とかビルとかを描いたんですが、今まで描いたことがないものにもっと挑戦していきたいし、もっと言えば目に見えないようなものを頑張って絵に残していきたいです。それと、人形の仕事もそうでしたが、自分が想像もつかないような大変な仕事がしたいと思いますね。自分の想像しうる範囲の仕事だと、やっぱりその範囲内ものしかできてこないですから。
私も自分の中にある物語を作品にしようとしているのですが、そういった個人的なことを作品にすると共感が得られなかったり、「これを描いていったい何になるんだろう」と思ったりすることがあります。個人的な物語を描き続けることについてはどうお考えでしょうか?
谷原 どれほど個人的であろうとしても、現代社会で生きている限り作品は個人的なものでは終わらないと思います。昔の口伝で受け継がれてきた民話なども、辿っていくと当時の差別や社会の貧しさといったものが何かしら必ず反映されています。だから、自分が考えた物語であっても、個人の内的な世界に収まらず、過去の歴史や現代の社会、未来への警鐘などといったものに必ずリンクしていると考えています。

《創世記》(2021)兵庫県立美術館蔵
自ら課題を作っていく
大学在学中の経験や学びが現在の制作に生きていると言えることはありますか?
谷原 大学は、先生やほかの学生が周りにいますが、制作は結局自問自答ですよね。特に沓掛は隔離されているような場所だったので、ひたすら作品のことを考えて、「これじゃだめだ、あれじゃだめだ」とか思いながら、じゃあどうすればいいのかということに延々と向き合っていたんですが、その時に培ったことはやっぱり作品に反映されていると思います。ただ、大学を出てからの方が視野は広くなって、他に比べる人がいない分もっと自分の作品に向き合えるし、アーティスト以外の人たちとの交流も最近増えて、作品にいい影響を及ぼしているということも言えると思います。
京都芸大を目指す受験生に向けたメッセージをお願いします。
谷原 大学は、入ったら終わりじゃないということは知っておいてほしいです。私の場合、入学できたときにこれでもう大丈夫だと一瞬思ってしまったんですが、先生たちは学生の自主性を尊重しているので、なんとなく過ごしていると4年間は一瞬で終わってしまいます。ただ、先生たちは聞けば答えてくれますし、制作に没頭するにはいい環境だと思うので、受け身にならずひたすら能動的に自分で課題を作って、それを常にやっていくという意識でいてほしいと思います。

インタビュアー:髙坂洋美、橋本唯瑶(ともに美術学部美術科油画専攻4回生*)
(取材日:2024年12月16日・谷原さんのアトリエにて)
*取材当時の学年
インタビュー後記
(写真左:髙坂さん、右:橋本さん)
髙坂洋美(美術学部美術科油画専攻4回生*)*取材当時の学年
谷原さんは早い時期から画家になることを目指されていたという事で、学生時代に様々な面で試行錯誤をされたお話や、それに伴う葛藤などについてもお話しして頂きました。そこには今の京芸生にも通ずる所が沢山ありました。制作している環境についてだったり、将来をどう見据えるかだったり…。自分の作家としての未来を考えていく事は簡単ではありませんが、振り返ると、京芸ではそれが落ち着いて出来る環境が用意されていたように思います。それはきっと谷原さんが在籍されていた頃からなのだろうなと思いました。今回大変貴重な話を聞かせていただいてとても勇気づけられたので、これからも自分の制作と真摯に向き合っていこうと思います。ありがとうございました。
橋本唯瑶(美術学部美術科油画専攻4回生*)*取材当時の学年
谷原さんの幼少期から現在に至るまでのお話をお伺いして、子供の頃からずっと絵を描くことに真っ直ぐでおられる姿が印象的でした。その中でも画家としてご自身の制作だけでなく、人形劇の人形のデザインや中之島文楽の美術などを担当された谷原さんの「どこでだれが自分の作品を見ているか分からないし、何がきっかけになってお仕事に繋がるか分からないから、色んなことをやってみたほうがいい」というお言葉が心に残っています。私は制作の内容だけでなく展示や公募など様々な事で挑戦することを避けがちでしたが、今ある安定感を守るばかりでなく新しいことに取り組んでいくことも大事だと感じました。
(取材日:2024年12月16日・谷原さんのアトリエにて)
Profile:谷原 菜摘子【たにはら・なつこ】 画家
2021年京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程美術専攻(油画領域)修了。 2014年公益財団法人佐藤国際文化育英財団第24期奨学生、2015年第7回絹谷幸二賞、2016年VOCA 奨励賞、2018年京都市芸術新人賞、2021年第39回京都府文化賞奨励賞、第39回咲くやこの花賞などを受賞。黒や赤のベルベットを支持体に、油彩やアクリルのほかにグリッターやスパンコール、金属粉なども駆使し、「自身の負の記憶と人間の闇を混淆した美」を描く。2017年五島記念文化賞美術新人賞を受賞し、2017年秋~2018年秋の1年間、旧五島記念文化財団の助成によりフランス・パリへ研修滞在。 現在は関西を拠点に制作活動を行っている。