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入澤聖明さん

在学生が、多方面で活躍する卒業生に本学の思い出や現在の活動についてお話を伺う「卒業生インタビュー」。愛知県陶磁美術館の学芸員である入澤聖明さんへのインタビューを前半と後半の2回に分けてお届けします。
インタビュアーは、美術学部総合芸術学専攻の原田佳苑さんと森田唯衣花さんです。

美術は嫌いだった

入澤  幼少期は本当にいろんなことに興味があったタイプです。恐竜がすごく好きで、化石も好きで、そういう関係の仕事に就きたいと思っていた時期がありましたし、映画にも興味がありました。通っていた幼稚園は結構自由な雰囲気で、1日中泥団子を作っていたんですよ。知識がないなりに土を混ぜながら、最終的にこの土をかけると硬い泥団子ができるみたいなことを考えて作って、自分の靴箱にディスプレイしていました。今思い返すと、そういう経験が今の仕事とちょっと関係しているのかもしれません。

入澤  2人きょうだいで姉がいるんです。姉も京都芸大で漆工を学んだんですが、芸術系の道に進みたいと言って高校生の時から画塾に通っていました。僕自身はどちらかと言うと美術は嫌いで、なぜ嫌いになったかと言えば、中学校の美術の授業で結構適当に描いた絵を見た先生に「小学生みたいな絵だ」と言われたからなんです。姉が受験のためにデッサンでネギとか描いているのを「何でネギ描いてんねん」って思って見ていました(笑)。

大学に入るまで2浪しましたが、1浪目までは芸術系ではない大学を受験していました。自分の将来について特にヴィジョンを描けるわけでもなく、何となく文系に進んで、という感じでいたんですが、そんなスタンスでは合格しないじゃないですか。それで2浪目になる時に、姉が「せっかくやったら画塾とか行ってみたら」と言って、自分の通っている京都芸大のシラバスを渡してくれたんですよ。それを見て、一般教養や「材料学」など専門性の高い内容も学べることを知り、興味を引かれました。美術をすごく毛嫌いしてたんですが、自分が見ていない面があるかもしれないと思って、何となく画塾に通い始めたんです。
画塾に行き始めると自然と展覧会にも行きますよね。その時にたまたま京都市美術館でルーヴル美術館展をやっていて、古代ギリシアの人物の石彫作品が展示されていたんです。多分興味のない時だったら「半裸の人が彫ってあるわ」くらいの感覚で見たと思うんですが、画塾に通い始めて素材とかを意識し始めていたので、「大理石でこんなに人の生々しさとか柔らかさを表現できるんや」と衝撃を受けて、解説文も読んだ記憶があります。それでよくよく考えてみると、そうやって作品を紹介する人がいるらしいということに気付いて、それが学芸員という職業だと知りました。姉は作家になりたいと言って頑張っているので、じゃあ自分は何か作品を紹介できるような仕事に就けたらいいなと思って総合芸術学科を受けることに決めたというのが経緯です。

入澤  「学芸員とか、キュレーターという職業があるらしいぞ」とか思いながら、入学前には将来像が大枠ではありますが思い浮かんでいましたね。多分、その時に考えていたのは、幼少期に嫌いだった美術の面白さが分かった瞬間のことだったんです。それまで美術を面白くないものと思っていた自分が、ルーヴル展なんかを見た時に作品の見方が変わった体験があったからこそ、魅力を伝える立場になりたいというのはあったんじゃないかなと思います。当時は単純に「キュレーターなんてカッコよさそうやん」とか思っていただけなのですごくいい感じに言っていますが(笑)、思い返すと多分そういうことだったんじゃないでしょうか。

入澤  特に決めていなかったです。1浪していたので、もう1年頑張って文学とか法学の道に行こうかどうしようか、みたいなことをその時点でもまだふわふわ考えていたんですよ。自分はどちらかと言えば計画性のない行き当たりばったりな人間なんです。

入澤  準備していました。キュレーターになりたいと思いつつ、最後の最後まで総合芸術学科か工芸科かで迷っていたんですよ。作品を作ることにもちょっと惹かれていたんですよね。姉は漆をやっていて、思い返すと自分は土が好きでいじっていたということもあり、どうしようかと迷っていました。

大学での活動と同級生の存在

入澤  他の大学のことは分からなかったので当然に感じていましたが、総合芸術学科は1学年に学生が5人しかいないので、先生との距離がすごく近かったことが印象に残っています。しかも僕の学年は男の学生が1人だけで、さらに自分は自由奔放なアホだったので(笑)、「あいつ大丈夫か」みたいな感じで先生にはいろいろと気にかけていただきました。また、同じ状況だった男性の先輩もいらっしゃって、可愛がっていただきましたね。

入澤  在学中は、総合芸術学専攻の授業を取りながら教職課程と博物館学課程を履修していました。一方で、高校までは文化系の部活動しかやったことがなかったので運動部に入りたいなと思ってラグビー部に入り、ラグビー部の活動に熱中していました。

入澤  週5日間練習していました。毎日、昼休みの時間になったらグラウンドに行ってちゃんと練習していましたね。大阪の箕面にある実家から1時間半以上かけて通学して、1講時目から授業を受けて、ラグビー部の活動もして、という毎日でした。でも、下宿をしていたら怠けるタイプの人間なので、それがよかったのかもしれないです。

入澤  京芸のラグビー部は上下関係がすごいんです。「先輩の言うことは絶対」という上下関係ではなくて、OBの方が気軽に来てくださるのがすごく大きかったんですよね。例えば名和晃平さんとか、サグラダ・ファミリアで彫刻をされている外尾悦郎さんもOBで、そういうつながりがあることが一番大事なことだったと思います。

入澤  礪波恵昭先生(※総合芸術学専攻教授)の「日本美術史演習」の授業でいろんなところに行ったことですね。京都の大学に通ってはいたものの、京都の街には、だれかに連れて行ってもらわないと知ることができないような場所がいっぱいあるんですよ。毎週礪波先生と一緒に出かけていたので本当に贅沢な授業だったなと思います。

入澤  キュレーターになりたいと思って大学に入ったものの、キュレーターってすごく漠然とした職業でもあるじゃないですか。美術館の学芸員になるのか、インディペンデントにやっていくのかでも違うし、実際どうしていいか分からなかったんですよ。当時は美術館の学芸員になるために何をやっておけばいいのかよく分からなくて、今の自分なら「論文書いて研究しろ」って言えるんですが、その時は「どうしよう」という不安のようなものがありましたね。

入澤  ありましたね。2年間ほど実技が経験できたんですが、僕は陶磁器専攻に行っていたんです。自分で作品を作る楽しさがあったので悩みましたね。定金計次先生(※現 名誉教授)というインド美術の権威の先生がいらっしゃったんですが、3回生になるくらいの時期に定金先生から「制作しながら芸術批評はできないからやめておきなさい」と言われたんですよ。今の時代では、作家をやりながらキュレーターもやるのは当たり前になっていますが、その当時は全然そうじゃなかったんです。自分が制作をしていると作品に入り込みすぎるからやめなさいっていう意味だったと思うんですが、そう言われた時に「そんなもんなんや」と思ってちょっと距離を置いた感じでした。陶芸は土を触ってものを作るんですが、作品になるまでにいろんな過程を経ているんです。どんどん層を重ねるみたいに土台を作って、その上に装飾して釉薬をかけて、また装飾していくという作業なので、ある程度制作するプロセスが分かっていないとどうやって作品が作られているのかが分かりません。そういった意味では自分で作った経験があってよかったと今になっても思います。

入澤  そこが一番の強みですよね。

入澤  先ほども言ったように何をしていいか分からなかったんですが、在学中に大学の附属施設として「ギャラリー@KCUA(アクア)」ができて、授業じゃないところで何かができる可能性が生まれました。また、大学院の時の話にはなりますが、彫刻専攻の先輩から展覧会の設営を補助するインストーラーの仕事を紹介してもらったんです。「小山登美夫ギャラリー」がまだ京都にもスペースを持っていた時代に、展覧会に合わせて展示の補助に入るような感じで、作品をどう展示していくのかを実際に学びながら続けていました。また、姉も京都芸大の出身なので、展覧会があれば当然展示設営の手伝いもしていました。

入澤  どこかの美術館で働きたいという思いはあったので、美術館で非常勤の職が募集されたら応募したりはしていました。京都国立近代美術館でインターンの募集が始まった初年度に応募して、1期生として採用されたのは修士課程の1回生の時でした。それまでは落ち着かずにフラフラしているような状況でしたが、徐々にいい方向に進んでいっているように感じましたね。

入澤  学部の時に研究テーマを現代陶芸と定めましたが、まだよく分かっていないし、論文もちゃんと書けないし、という状態だったので、ちゃんとしないといけないという思いで修士課程に進もうと思いました。修士課程への出願の際に応募動機を書かないといけなかったんですが、「こういうことをしたいです」くらいの感じですごくあっさり書いたら、その後修士課程で指導していただくことになる渡辺眞先生(※現 名誉教授)に受験時の面接で愛のあるお叱りを受けました。そういった悪行を先生方の慈悲の心で何とかお許しいただいて今があります。

入澤  同期の人たちの存在は大きかったですね。同期だと川田知志さん(※画家)とか、ギャラリー@KCUAの展覧会での仕事もしている池田精堂さん(※美術インストーラー)とかがいて、大学の外で活発に活動する世代だったんです。塩谷舞さん(※文筆家、エッセイスト)も同級生ですが、大学外で「ノイズを増やしている」とでも表現できるような、活発に興味・活動の幅を広げている感じの人たちが多く、自分も影響を受けました。

入澤  だからこそラグビー部に所属してたのがよかったのかもしれないと思っています。他の専攻の人たちとか外部の大人たちと付き合いながら、どういうことができるのかを考えていた気がします。大学のカリキュラムを履修する面では先生方にすごくご迷惑をおかけしたと思うんですが、自分のやっていることについて先生方が理解を示してくださり、陰ながら環境づくりをしてくださったので、本当に感謝しています。

Profile:入澤 聖明【いりざわ・まさあき】 愛知県陶磁美術館学芸員/国際芸術祭「あいち2025」キュレーター

大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程芸術学専攻修了。京都国立近代美術館キュレトリアル・インターンシップを経て、2015年から2017年までアサヒグループ(旧アサヒビール)大山崎山荘美術館で学芸員として勤務。2018年より現職。専門は日本の近・現代陶芸史。芸術表現としての陶芸だけでなく、産業的な視点も軸として展覧会を企画。近年の主な担当展に「異才辻晉堂の陶彫―陶芸であらざるの造形から」(2020年)、「昭和レトロモダン―洋食器とデザイン画」(2022年)、「やきもの現代考―内⇄外―」(2022年)、「ホモ・ファーベルの断片」(2022年)。その他、西枝財団キュレーター助成事業として「Dividing Line – Connecting Line」(2013年/川井遊木 共同企画)に参画。