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芸術における障害者の表現-アールブリュット・アウトサイダーアート関連展示を通じて-

 「アール・ブリュット」とは「生の芸術」を意味するフランス語である。その解釈は人によって様々だが、「正規の美術教育を受けていない人による芸術」「既存の美術潮流に影響されない表現」などと説明されることが多い。しかし、現在の日本ではその中の一部分でしかない「障害者の表現」としてアール・ブリュットが推進されている。本論文ではアール・ブリュット、またそれより派生したアウトサイダー・アート、そして日本において関わりの深い障害者の表現を扱った展覧会調査から日本におけるアール・ブリュット、障害者の表現のあり方について考察する。

 

 「アール・ブリュット」はフランス人画家のジャン・デュビュッフェによって1945年頃に提唱された。彼は精神障害者による創作物などを収集しており、このコレクションに対して「アール・ブリュット」と名付けたのだ。ここでデュビュッフェは「文化的処女性」と「純粋な独創性」を重要視している。精神障害者だから集めた、のではなく文化的処女性と純粋な独創性を重視した結果、精神障害者の創作物が集まったといえる。この「アール・ブリュット」の言葉によって、それまで芸術の枠組みで取り上げられなかった人々による表現が芸術として扱われることとなった。1970年にはイギリス人評論家のロジャー・カーディナルがアール・ブリュットの英訳として「アウトサイダー・アート」を提唱し、その概念がアメリカにも普及する。一方、日本では、障害者の表現は芸術の枠組みではなく福祉・教育の枠組みの中で長らく語られてきた。1993年の「パラレル・ヴィジョン」展をきっかけにようやく芸術としても取り上げられるようになり、それ以降次第に盛り上がりを見せ、2020年東京五輪に向けて障害者アートとしてのアール・ブリュットを国が推進することも発表された。しかしこのことで幅広い意味を持つアール・ブリュットが障害者の表現に限定されてしまうこと、さらに障害者の表現の中でも選別が行われることによりアール・ブリュットが小さな枠組みとして成立しつつあるということも指摘されている。

 

 このような歴史的変遷を検証するために、日本で開催されたアール・ブリュット、アウトサイダー・アート関連展示の調査を行った。雑誌『美術手帖』と滋賀県立近代美術館発行の資料をもとに関連展示を洗い出し、その展覧会フライヤーを収集し、展覧会の性質を分析するというものだ。その結果、関連展の数は年々増加していることが分かり、アール・ブリュットの普及を確認することができた。しかしその性質は近年になるほど、障害者の表現に限定された展示よりも幅の広い内容を扱う展示の方が多いという結果となり、アール・ブリュットが小さな限定された枠組みになりつつあるという指摘は今回の調査からは確認できなかった。だがこの結果からは、多様な内容であるもののその中の一部だけが取り上げられ、限定されたものに見えているということもできるかもしれない。

 

 これらの調査研究を通して、アール・ブリュットには「福祉」と「芸術」という二つのあり方があるのではないかという考えに至った。福祉としてのアール・ブリュットは、表現の魅力が目的ではなく障害者について知るための手段として利用される。ここでは障害者の表現とアール・ブリュットが結びついているが、これも一つのあり方として評価できる。一方、芸術という枠組みにおいてアール・ブリュットを考えるときは、アール・ブリュットだから、障害者だからと特別扱いせずにもっと一人一人の個性として受け止められるようになるべきではないだろうか。

2016年度 奨励賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 4回生 西森 千穂 NISHIMORI Chiho

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