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竹内栖鳳の <写生> 再考 ―「獅子」・「蹴合」・「おぼろ月」の検討に拠る ―

―(論文要旨)―


 竹内栖鳳は美術史上、円山応挙以来の写生画を近代化し賦活した画家として位置付けられる。彼の作風とその評価については、西洋の写実主義を導入した厳密な写実追求に値する「写生」と、その枠を突き抜けて余情の表現を生み出す「省筆」、この相異なる画風を共に手掛けた点において、栖鳳絵画の表現域の深さが従来指摘されている。しかし、このような栖鳳絵画の評言としての、写生の近代化論、並びに、作風の二極論には疑問視すべきところがある。


 そもそも、前者、写生の近代化論は、作品研究の限定的な視点に基づく見解と考えられる。したがって、「写生」、すなわち、実際に画家が行った実物観察ないし素描の局面の研究には至っていない。さらに、後者、作風の二極論における栖鳳が果たした「写生」の革新は、実は、写生自体ではなく本画にみる写実表現の刷新の意味を指す。


 ここに、京都画壇史が懐胎する「写生」の概念の曖昧さが露呈する。応挙研究における「写生」とは、本画とは別種である、実物観察に基づく素描ないしその清書を意味し、この定義に該当する写生自体の研究が従来行われてきた。だが、美術史が近世から近代に至る過程で、「写生」の語義は、実物観察にみる素描自体から本画作品にみる写実性の意味への移行を示すようである。その結果、京都派を表徴する「写生」という言葉は、両者の意味の間を揺れ動く曖昧な概念となった。栖鳳絵画に関する上述の評価についても、この脈絡の上に成立するのである。


 このような問題に基づいて、栖鳳絵画、及び京都画壇の絵画に付随する「写生」の実態とその意味を再考する必要があると考えた。そこで、本論文では、この問題を解明するために、栖鳳の絵画作品について「写生」の視点から多角的な検討を進める。以下に、本稿で検討する作品ないし画題とそれを選択した理由を示す。


 第一に、彼が写生の復興を果たしたとされる渡欧後の作品、「獅子」を問題視すべきである。第二に、その後の写実に対する彼の意識の変化が垣間見られる作品、「蹴合」を取り上げる。そして第三に、写実的表現に値し難い要素を持つ作品であり、かつ、画風の二極論において「省筆」に相当する作品として、「おぼろ月」を検討する必要がある。


 本論文で扱った三画題に関しては、写生の問題と並行して作品自体の探究も行い、各作品に対する新たな見解を提示した。第Ⅰ章の「獅子」作品では、洋画材の導入に関してフェノロサの影響関係と栖鳳自身の思索を明示することを試みている。第Ⅱ章の「蹴合」では、類似する二作品に関して、外的事情を熟慮した柔軟な表現性を見出すとともに、各作品の意義を提示する。第Ⅲ章の「おぼろ月」では、従来不明解であった作品の主題性を、自他作品との比較により検討している。このような栖鳳の作品自体に対する探究とともに、本稿で着目したのが、栖鳳の「写実」に対する意識の展開と、彼の写生の本画制作へのその現れであった。この二点の検討によって、栖鳳絵画に対する従来の定型的評価、つまり、写生と省筆の問題を再考する必要性が生じるためである。


 三画題における写実表現の問題に言及すると、まず、「獅子」作品では、迫真的な表面上の再現を求めて、綿密描写によってまさに写実的に対象が描かれている。次に、「蹴合」では、更なる現実感の追跡によって、実際に目視できない対象を写実的に構成することが試みられる。「おぼろ月」では、栖鳳が試行錯誤してきた現実描写を覆すように、非現実的な月と曖昧な空間描写が写実追究からの乖離を示している。このように、栖鳳作品の写実との距離感は緊密にも疎遠にも映るのであるが、他方で、栖鳳絵画がこの問題をなくしては語れないことを示唆しているとも言える。この写実に対する問いを推論する上で手掛かりとなるのは、やはり、栖鳳が実際に対象を見ながら行った写生である。


 栖鳳写生における特質は、本画作品に見る精緻な印象とはかけ離れた、軽い筆致による大掴みな素描である。獅子写生には、本画の綿密描写とは対照的な簡易な筆致によって、作品構想の上で重要となる視点に集中した写生が見届けられる。軍鶏写生においても、本画で完遂された動きの表現は、一見意味をなさないような速筆の荒い写生に基づいている。月の写生に関しては、本画で実は重要な意味を担った月の情景は、実物観察の目的ではない、日常的な思索の中で温められた題材である。すなわち、栖鳳の写生は、対象の再現性を目的とするのではなく、むしろ、画の草案を練ることを指針とする。


 そのことは、第Ⅳ章において、近世から近代への移行期における、他の画家達の写生との比較検証においても明瞭と言える。京都画壇の画家達の作風は、江戸時代以降、「写生」ないし写生画という概念的評価を通じて、その「写生」の継承の上に成立するとされる。だが、実際に彼らの素描を考察すると、各々の時代と個人に根差した多彩な描法と相異なる目的意識が存在することが判明する。その中で浮き彫りとなる栖鳳の写生は、いわゆる従来の行き届いた実物観察あるいは再現描写ではない。それは、絵とは値し難い写生であり、作画上の構想が重要視された画家の個人的な覚書きであると理解できる。


 このように、「写生」の視点から栖鳳作品と彼の素描の実態を多角的に考察すると、写生画という概念的言語の上に成り立つ、「写生」と「省筆」の二局面に言及した、従来の絵画評価に疑念が起きる。すなわち、栖鳳の写実に対する試みと、写生における具体相を考え合せる時、栖鳳にはいわゆる写実追求としての「写生」はなく、絵画構想としての「写生」の意味が浮上し、本画の作風としての粗密ではなく、写実の意味を重層的に捉えていた栖鳳の姿を垣間見ることができるのである。

2008年度 同窓会賞 大学院 芸術学専攻 院2回生 宗像 晶子

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