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近現代美術史における人形芸術――ハンス・ベルメール作品をめぐって――

“ハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902-1975)は人形作品で名高い、パリのシュルレアリストである。彼の最初の人形作品が発表されたのは1934 年だった。人形は球体関節を持ち、身体の部位を様々に入れ替えられる。その数年の間の人形制作は彼の代名詞となる。だが、その人形の評価はエロティシズムへの偏向が強く見られる。ベルメールの人形は身体を解体し置換されていることが特徴であるが、人形が少女像であり、身体をバラバラにされているという点で猟奇的にも見え、一種の苦痛や性的倒錯を作品に見出されていくことになったのだ。その評価は、ベルメールがバタイユやサドといった性愛文学に挿絵を寄せてきたことによって助長されてきたと考えられる。さらに、フロイトの精神分析がシュルレアリスムに重用されていたこともあり、この人形は去勢恐怖の文脈でも語られていくこととなった。  人形が常に偏った評価をされてきたことには、芸術における人形というものが美術史上で論じられにくかったことが理由としてもあげられる。また、その理由も人形芸術の歴 史を遡れば、20 世紀初頭に突如、人形が芸術の中に現れたことが大きいのではないだろうか。人形の他にも、20 世紀初頭に突如、芸術の中に入り込んできたものはある。アイロン、車輪、便器、我々がごく当然のように「芸術ではない」と思っていたものであるが、その客体は議論を醸しながら新たな美術史の流れを作ってきた。  そこで、ベルメールの人形の評価を新たな観点で深めるべく、当時のヨーロッパの人形文化全体から、美術史上の人形芸術の始点の一つとして彼の人形を考察した。中でも、人形文学であるクライストの『マリオネット劇場について』に注目すると、必ずしもベルメールの人形の奇妙さだけがその本質でないことがわかる。『マリオネット劇場について』が提示した「人間の自意識と人形の無意識を比較した時、人形は一つの重心に任されて動いているという点で人間より優雅である」という主張は、ベルメールの人形にも当てはめることができるのだ。マリオネットの一つの重心を腹部球体と捉えると、そこに繋がる身体部位は重心の移動によりついてくる無意識で自由なオブジェである。この人形の無意識の優美さによってもたらされる、身体部位の無限の可動域こそ、ベルメールが表したかったものなのだ。  ベルメールの論文「球体関節に関する覚え書」では、関節は「擬人化された、可動的で、受け身で、適応性があり、不完全なもの」である「機械的要因」と述べられており、その内容はさらにカルダーノの懸垂装置を用いて解説される。ベルメールはカルダーノの懸垂装置の球を裏返すという発想により、一定の重心を持っていた球の内面に吊るされたオブジェを、球の外面に出すことで無限の可動域を持たせることが可能であることを提示した。それはまさに、ベルメールの人形の球体関節の役割であり、同時にクライストの人形論を制作に取り入れて体現していたとも言える。  エロティシズムに一辺倒であったベルメールの人形評価に、人形というモチーフそのものが持つ理知的な側面を作品から新たに見出すことが本論文の目的であり、当時のヨーロッパの人形文化や人形文学を調査することにより、伝統的な人形から新たな人形へと人々の関心が移りゆく中で作り上げられたベルメールの人形に対する深遠な観念を、この研究により詳らかにした。また、人形芸術の始点にあったベルメールの人形観を明らかにすることは、美術史における人形の存在をこれからも考えていくための示唆を与えることとなるだろう。 “

2018年度 大学院市長賞 大学院 美術研究科 芸術学専攻 修士2回生 原田 紗希 HARADA Saki

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