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出遣いの妙味 ―人形浄瑠璃文楽における人形遣いの顕在―

“人形芝居において、人形遣いは影の存在である。しかし我が国には、その人形遣いが舞台上で堂々と素顔を晒す特異な伝統芸能が存在する。人形浄瑠璃文楽だ。人形浄瑠璃は17 世紀初頭、太夫の語りと三味線の演奏から成る浄瑠璃に人形芝居が結びついて成立し、18 世紀には近松門左衛門(1653-1725)や竹本義太夫(1651-1714)らの活躍によって隆盛を極めた。現在の通称である「文楽」は、明治期に全盛を誇った劇場の名に由来する。 そうして現代に至るまで300 年余の歴史を築き上げた文楽は、世界に類を見ない人形操法を確立した。一体の人形を三人がかりで操る「三人遣い」だ。人形の頭にあたる首と右手を操作する主遣い、左手を操作する左遣い、両足を操作する足遣いから構成され、各部分を分担して遣うことにより複雑で豊かな動作が可能となった。  人形遣いは通常黒衣と呼ばれる黒装束に黒い頭巾を纏う。黒は「無」を表し、暗黙の了解で見えないことになっているからだ。しかし今日の舞台上では、主遣いだけが素顔を晒して登場しているのが確認できる。これが「出遣い」と呼ばれる、本研究の主題となる様式だ。ただでさえ小さな人形の首のすぐ側に大きな人間の顔がある様は、鑑賞者に違和感を与えかねない。それではなぜ、文楽の人形遣いは素顔を晒すのだろうか。本研究ではこれまで主眼とされることのなかった「出遣い」に焦点を当て、当時の舞台の様子が描かれた図版の調査や書籍における記述の分析から、出遣い通史の概覧と考察を試みた。  出遣いの起源を遡れば18 世紀初頭に辿り着く。当時の人形は今日のような三人遣いではなく、一人の人間が一体の人形を操る「一人遣い」であった。そこに人形遣いの名人・辰松八郎兵衛が登場し、宝永2 年(1705)『用明天皇職人鑑』という演目において初めて観客の前に姿を現し「全身出遣い」を始めた。ここで留意せねばならないのは、辰松の出遣いと今日の舞台上で見られる出遣いでは形式が異なるということだ。前者の意義は人形遣いの顔見世としての余興的な特別演出であり、衣装も柄物の着付に肩衣をつけた華々しいものであった。その後新作が次々と生み出されるに伴って人形も大きく発展し、享保19 年(1734)『芦屋道満大内鑑』において三人遣いが考案された。舞台上の人形遣いの増加から全員が黒衣を着用するようになるが、やがて主遣いのみ素顔を晒すようになり、現今の形式が完成した。続いて幕末から今日までの変遷を明らかにするため、文楽関連書籍から出遣いに関する記述を抽出し分析を行なった。計58 冊の調査からは、出遣いが絶えず変革を遂げてきたことが明らかになった。20 世紀初頭までは景事や道行といった華やかな場面に限られていたが、1937 年に松竹株式会社が経営権を握ってからは「切場」と呼ばれるクライマックスの場面でも行なわれるようになった。その後、上演形式の変化や経営戦略から出遣いは華やかになったが、文楽協会発足後(1968)は古典回帰の潮流を見せ黒衣に回帰する動きも見られた。その後再び出遣いが増加し、21世紀の今日では頻繁に見られるようになった。近年の文楽解説書においてはもはや通常の形態として記述されている。出遣いは、今や文楽の見所のひとつとして紹介されるようになった。  最後に、見逃してはならないのが出遣いに対する賛否両論の存在である。今や見所として紹介されるようになった出遣いだが、1940 ~ 1970 年代には研究者による出遣いへの疑問の声もあった。このことから、「文楽の人形遣いがなぜ顔を出しているのか」という問いは決して軽視すべきでないことは明らかだ。この疑問は文楽鑑賞において避けては通れない関門であるが、裏を返せばさらなる理解への門戸ともなり得る。「出遣い」は、深い魅力を湛えた文楽の入り口のひとつとして存在している。 “

2018年度 市長賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 学部4回生 中野 ふくね NAKANO Fukune

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