ティツィアーノ作《キリストの埋葬》(ルーヴル美術館) ―祈念画としての可能性について―
《キリストの埋葬》は、イタリア・ルネサンスを代表する画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオによる絵画作品である。
磔刑に処されたキリストが2人の弟子によって墓へと運ばれる場面が描かれ、中央でキリストの腕を抱えるヨハネの視線の先には、悲しみに満ちた眼で我が子を見つめる聖母とそれを支えるマグダラのマリアがいる。遺体を持ち上げる弟子たちのドーム型の構造や、人物の並列的な配置が画面に静謐さを与える一方で、キリストの顔を覆い隠す劇的な明暗と人物たちの悲痛な表情がこの場面の悲劇性を強く訴えており、夕暮れのような統一感ある色調が画面全体に静かな物悲しさを漂わせる抒情的な作品である。ルネサンスの巨匠ティツィアーノによって描かれ、ルーヴルという著名な美術館に収蔵されている作品であるにもかかわらず、本作についての先行研究は充実しているとは言い難い。本研究では、数多くの疑問が残されたこの作品についてあらゆる観点から検討を試みる。
まずはじめに、ティツィアーノの様式変遷を追いながらその画業全体を概観する。その中で、この作品に見られる非常に閉塞的な空間表現に着目した。周囲の情景描写を最低限に抑え、登場人物で画面のほとんどを占めるという本作の閉塞的な空間構成は、ティツィアーノの他作品と比較しても例外的である。では、なぜティツィアーノは本作においてこのような空間表現を試みたのだろうか。
これについて考えるために、本作の来歴を辿りながら依頼当初の状況について検討する。現在知られているもので、本作の存在を記す最も古い史料は1627 年のゴンザーガ家の財産目録であるため、本作は当時マントヴァ公国(イタリア北部)を治めた当家のために描かれたと考えられている。その後イングランド王チャールズ1世によって購入されたのち、収集家ヤーバッハを介してフランス王ルイ14世の手に渡った。本作の来歴はこのように比較的明確であるが、実際にそれぞれの場所でどのように扱われていたのかということについてはこれまで言及されてこなかった。しかし、所有者の財産目録を丁寧に調査した結果、作品の扱われ方に変化が生じていることが判明した。マントヴァの宮殿では室内装飾の1つに過ぎなかった本作に、チャールズ1世の元では、国王の権力誇示のためのツールという新たな機能が付与されているのである。
目録調査によって依頼当初の状況を知ることは出来なかったが、本作はおそらく私的な空間に置かれることを念頭に描かれた可能性が高い。そこでこれまでの調査を踏まえ、いわゆる「祈念画」と称される絵画作品として本作を再検討する。祈念画とは(教会における祭壇画にも散見されるが)特に、貴族の邸宅などの私的な空間において、鑑賞者の個人的な祈りの対象として機能するものを指す。また祈念画は、鑑賞者が祈りに集中できるように画中の余分な要素が排除され、鑑賞者の祈りを引き出すための工夫がなされる傾向にあるのだ。本作の閉塞的な空間表現もこのような工夫に起因するものではないだろうか。
最終章では、この仮説をもとに本作の主題について検討する。その過程で、本作に描かれた「キリストの遺体を運ぶ」という主題がキリスト教絵画において珍しいものであることが分かった。さらに、同じ主題をラファエロやミケランジェロといった同時代の巨匠たちが描いているのである。彼らはこの主題を通して、人間の身体をいかに巧みに描くかということに挑戦した。しかし、ティツィアーノはキリストの死に対する悲しみを表現することに苦心しており、ここには、鑑賞者の祈りを引き出そうとする意図が感じられるのである。
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