合田健二さん
在学生が、多方面で活躍する卒業生に本学の思い出や現在の活動についてお話を伺う「卒業生インタビュー」。映像作家で、映像制作プロダクション「株式会社ギャラクシーオブテラー」の代表取締役である合田健二さんへのインタビューを前半と後半の2回に分けてお届けします。
インタビュアーは、美術学部構想設計専攻の林ののこさんと山本絢さんです。
1.映画監督を夢見て
合田健二さん
幼少期はどのようなお子さんでしたか?
合田 芸術系の大学に行く人の中には、小さい頃から絵を描くのが好きだったという人が多いと思いますが、僕も絵が好きでよく描いていました。オリジナリティがあるものというよりも、マンガや景色、車などの模写がメインでしたね。結局それが後に映像作品を作ることにもつながっていったんじゃないかと思います。興味のある対象を「写し取ることで何かを表現したい」という欲求が強かったのかなと今になって思いますね。
それと、小学校4年生くらいから映画を好きになり、特に洋画を積極的に観に行きました。大きなインパクトを受けたのは『スター・ウォーズ』『スタートレック』『スーパーマン』などのSF映画や、『マッドマックス』などのアクション映画です。
京都芸大を受験しようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?
合田 中学校、高校の頃は、映画研究部で映画を作ったり、軽音部でバンドをやったりしていました。高校2年生の頃に真剣に進路を考え始めて、やっぱり映画を作りたいと思ったんです。映画関係の仕事をするなら、日大の映画学科や映画の専門学校などに行くのが一般的ですが、その頃、ナム・ジュン・パイクなどのビデオ・アートが脚光を浴びたり、CGの技術の進化も話題になっていたので、アート表現全般を学んだ方が将来的な可能性があるのではないかと思い、京都育ちであることもあって、公立大学の京都芸大を第一志望にしました。
また、構想設計という専攻のことはあまりよく分かっていなかったのですが、他大学にはない得体の知れない魅力を感じていました。
映画監督になることをその時点で思い描いていたおられたんですね。
合田 自分の映画を撮って、世界中の人に見てもらいたいというのが漠然とした夢でしたね。
その当時はどんな映像を撮っておられたんでしょうか?
合田 映画研究部では、一応毎年1本ずつ作品を作っていました。中3から高2まで1本ずつ撮ったんですが、中3のときの作品は簡単に言えば、ゾンビが校内に来て、それと戦うという中学生らしいストーリーで、ホラーSFみたいなものでした。高1では、実験映画を8mmフィルムのカメラで撮りました。高2のときには、「実験映画とか気取ったもん作るのもカッコ悪いしなあ」と思ってコントのようなコメディ作品を、これも8mmフィルムのカメラで作りました。いろんな分野の映画を作っていましたし、8mmフィルムで映画を作ったのも今思えば非常にいい経験でした。
実際に入学されて、大学の印象はどうでしたか?
合田 自由な校風に驚きましたね。僕がいた頃は管理もそんなに厳しくなかったので24時間いつでも大学に入れましたし、構想設計には基礎の授業がなくて、1回生前期の総合基礎実技が終わると基本的には自分のやりたいことをやればよい雰囲気でした。でも逆に言うと、ぼーっとしていたら時間が無駄になってしまうので、芸術大学というところは自分でやることを見つけないといけない場所なんだと気付きました。自分がいたゼミが特別そうだったのかもしれませんが、「あれをしろ、これをしろ」と言われることがほとんどなかったので、自分で積極的に動くことを意識するようになりましたし、やる気のある学生には、先生方のフォローも手厚かったと思います。
それと、大学に入ってからいわゆる「現代美術」というものに触れ、コンセプチュアルアートやメディアアート、インスタレーションなどの多様な表現があるということを知り、それが後の活動に大きな影響を与えてくれました。
2.大学で学んだ映像表現
大学院2回生時(1995年)に制作した『PERSPECTIVE OF POWER』のビジュアル
大学ではどのように過ごされましたか?印象に残っていることはあるでしょうか?
合田 学部時代は、大学のほぼ目の前に部屋を借りていたせいでよく友だちが来て、飲み会などをして、いろんな話をしていました。僕は1人の時間がすごくほしいタイプではないので、嫌ではなかったですね。今やっている会社も、極端に言えば気の合うみんなで集まってワイワイやるというノリで、当時の延長のような気がします。
一番印象に残っているのは、4回生のときにMacのコンピューターが大学に入ったことですね。中学生くらいの頃にパソコンゲームが流行って、コンピューターに触った経験はありましたが、何かを作るためにコンピューターを使うのは初めてでした。特に興味深かったのは画像の合成ができることで、そのころMacはまだ動画を自由に扱えるようなスペックはなかったのですが、極端な話を言うと、合成した画像を1コマずつ撮影していけば、小さい時に見た『スター・ウォーズ』みたいなものも作れるんじゃないかという可能性を感じたんですね。それで、寝る間を惜しんで大学でフォトコラージュを作っていました。
学生時代には、どんなことを考えて制作されていましたか?
合田 少し恥ずかしい話ですが、自分には良い作品が作れるという根拠のない自信はあったんですよ。でも、 実際には何もできていないし、まだ何者でもない、という葛藤のようなものがずっとありました。4回生になってコンピューターを触ったときに、もしかしたらこのツールを使えば自分の頭の中にあるものが具現化できるんじゃないかと思ったんです。
やはりその頃も変わらず映画監督を目指しておられたんでしょうか?
合田 そうですね。学部のころはたくさんの映画や映像作品を見ていましたが、あまり映像作品を制作してなかったんです。その代わりに写真作品や特にコンピューターが導入されてからはデジタルフォトコラージュなどを多数制作しながら、漠然と自分が作るべき映画のことをイメージしていました。
『PERSPECTIVE OF POWER』がオーバーハウゼン国際短編映画祭で受賞したとき、会場で撮った写真
在学中、教員や友人はどのような存在でしたか?
合田 担当教員はいい意味で放任主義だったので、何でも自由にやらせてくれましたが、「映像表現をするからには、彫刻や絵画に負けないものが画面に映っていないといけない」と言われたことを覚えています。極端なことを言えば、カメラの録画ボタンさえ押せばだれでも映像を作ることができる、つまり、映像は手を抜こうと思ったらいくらでも抜ける表現でもあります。実際今もYouTubeなんかにはいろんな映像が溢れていますし、手抜きのものも多い。でも、彫刻とか絵画では、例えばデッサンを何百枚、何千枚と描いたりして、ある程度の基礎がないと表現としてまともに扱ってもらえないというところがあると思うんです。だからこそ、映像作家を志すなら「自分が手を抜いていないか、常に厳しく問いかけろ」ということをそのとき教員に言われたような気がしたんですね。その言葉があったから、絵画や彫刻などのアカデミックなアートに対抗するための「価値」を映像で創り上げることを強く意識して、これまで実践してきたつもりです。
学生時代、夜な夜な語り合ったり情報交換した友人たちは、ある意味で京都芸大に行って得た一番の財産だと思っていますし、その後の人格形成にも大きな影響を与えてくれました。コラボレーションしたり、映像作品に出演してもらったり、僕の作品は友人たちがいなければ成立しませんでした。それと、大学で同じ学生という立場で制作している友人たちの作品は、自分の現在の力量を知るための尺度になっていました。今の会社にも、その頃の同級生の友人が役員や経理担当として在籍しています。
修士課程に進まれた理由は何でしょうか?
合田 4回生からコンピューターを触りだして自分がやりたいことの方向性と表現方法が見えた気がしたんですが、学部で残された1年では時間が足りなかったんです。だから修士課程に進もうと思いました。大学院生の時に大学会館※ができてコンピューターが使いやすい環境になりましたし、自分でもMacのコンピューターを購入して、その頃はまだ技術的に難しいと言われていたデジタルムービーの制作にチャレンジすることがモチベーションになっていましたね。結果として修士の2回生の時にデジタルムービーの短編作品を友人と共に制作して、それが国内外の映画祭やアートコンペで賞をいただき、今後も映像をやっていこうという意志が固まりました。
※西京区沓掛の旧キャンパスにあった施設。コンピューター等の機器が使用できる「情報スペース」があった。
インタビュアー:林ののこ(美術学部美術科構想設計専攻3回生*)、山本絢(美術学部美術科構想設計専攻3回生*)*取材当時の学年
(取材日:2024年1月16日・株式会社ギャラクシーオブテラーにて)
Profile:合田 健二【ごうだ・けんじ】 映像作家/株式会社ギャラクシーオブテラー代表取締役
京都市出身。1996年京都市立芸術大学美術研究科修士課程絵画専攻(造形構想)修了。
映像作家として作品を制作するとともに、映像制作プロダクション株式会社ギャラクシーオブテラーの代表取締役として、広告映像やエンタテインメントコンテンツ、博物館コンテンツなど幅広い分野の映像の企画・制作を行う。
大学院時に制作した短編作品『PERSPECTIVE OF POWER』(豊永政史と共同監督)が、トランスメディアーレ98(ドイツ・ベルリン)ビデオ部門グランプリ受賞、第43回オーバーハウゼン国際短編映画祭(ドイツ・オーバーハウゼン)州都市開発文化スポーツ省賞(準グランプリ相当賞)など、国内外で多数の賞を受賞。その後、脚本・編集・監督を務めた長編映画『アナライフ』が劇場公開、ロッテルダム映画祭(オランダ)など世界各国の映画祭で招待上映される。