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南 杏佳さん

在学生が、多方面で活躍する卒業生に学生時代の思い出や現在の活動について伺う「卒業生インタビュー」。
2026年度は、ピアニストの南杏佳さんにお話を伺いました。インタビュアーは、音楽学部ピアノ専攻の北島愛美さんと西村叶望さんです。
なお、本記事の内容は取材日時点のものです。
(取材日:2025年12月24日/本学にて)

ピアノとの出会いと 音楽科進学まで

  ピアノを始めたのは4歳頃だと記憶しています。2つ上の姉が2、3歳の頃からピアノを習っており、幼いうちから練習する大切さを知っていた母は、姉につきっきりで一日中レッスン室にこもっていました。一方の私は、折り紙をどれだけ小さく切れるかといった一人遊びばかりをしていたのですが、やはり「母の注目を集めたい、母と一緒にいたい」という思いが強くなって、試しにピアノを弾いてみたんです。すると「めっちゃ楽しいやん!」という気持ちになり、母に「ピアノを習いたい」と伝えると、「本当にやるなら本気でやりなさい」と。それがピアノを始めたきっかけです。
その頃は音楽について何も分からず、ただ楽しく弾いていただけですが、ドレス姿の自分にお客さんが拍手を送ってくれて、どんな演奏でも最後には称賛していただけることがとても嬉しくて、どんどん夢中になっていきました。

  二人とも練習嫌いだったので、普段は譲り合っていました(笑)。ただ、コンクール前になるとお互いに練習時間を決めて、2時間ごとに交代するようにしていました。その後、祖父が私たち姉妹のピアノをとても応援してくれて新しいピアノを買ってくれましたし、レッスン室も2部屋用意してもらったので、それからはレッスン室に引きこもる生活です。ピアノに集中できる環境を作ってくれたことは、とてもありがたかったです。

  ピアノを始めて間もなく、父の仕事の都合でアメリカのボストンで生活することになりました。アメリカの教育は、どんなに指がボロボロで手首がふにゃふにゃでもとにかく「あなたは天才だ。素晴らしい」と褒めるスタイルで、私はその言葉を素直に受け取っていました(笑)。
小学4年生の時に帰国したのですが、日本の子どもたちのコンクールでの演奏を聴いてすごく驚きました。テクニックがしっかりしていて、大人のように弾きこなす同世代の子ばかりだったので、自分だけが取り残されているようなショックを受けました。
帰国後、母とつながりのあったクラウディオ・ソアレス先生に習うことになり、基礎練習を重ねる日々が続きました。そのような中、中学生のときに浜松国際アカデミーに参加したのですが、世界から集まった選りすぐりの若いピアニストたちのレベルの高さに圧倒されました。「もっと練習しなければこの人たちに追いつけない、自分がピアノを弾く意味がなくなってしまう」と思い、より一層練習するようになりました。
進学先は姉が通っていた大阪府立夕陽丘高校に決めていましたが、浜松国際アカデミーで体感した「音楽で人を動かすことのかっこよさ」に心を揺さぶられ、「音楽で生きていこう、音楽を職業にしていこう」と強く決意し、音楽科へ進みました。

  夕陽丘高校だけを受験しました。ソアレス先生の奥様である服部久美子先生が夕陽丘高校で指導されていたので、彼女に習いたい気持ちもありました。姉がいるので学校生活の様子も分かっていましたが、夕陽丘高校は結構特殊で、音楽を勉強することと同等に普通の高校生としての楽しみも味わえる学校なので、行きたい気持ちが強くありました。

  その点については、ソアレス先生と何度も意見がぶつかりました。「言葉の問題はないのだから、とにかく海外に行け」という強い勧めがありました。でも、私は海外に行ったとしてもいずれは日本に戻ってきたいという思いがあり、自分自身のゴールを考えると日本の大学を卒業しておくべきという考えを持っていました。まだまだ日本でソアレス先生や服部先生に習いたい、学ばないといけないという気持ちも強かったです。
最近では、日本にも素晴らしいピアニストの方々が海外から多く来られます。早期に留学するメリットをそれほど感じておらず、まずは日本の大学を卒業することがスタートだと考えていました。

京都芸大への進学と 充実の学生生活

  高校2年生のときにピティナ・ピアノコンペティション特級ファイナリストの浦山瑠衣さんの演奏を聴いたことです。演奏だけではなく、パーマヘアにピンヒールで颯爽とかっこよく登場されたその姿に一目惚れしました。
その後、彼女の経歴が「京都芸大卒業後、ボストン音楽院へ進学」と知ったとき、自分もボストンで過ごしていたので運命を感じ、「私も京都芸大を卒業して、ボストン音楽院へ進む」と決めました。京都芸大を受験したのは、彼女がきっかけです。

  少人数教育ならではの温かさを感じました。少人数教育であることはもちろん入学前から分かっていたのですが、この教育方針はすごく自分に合っていると思っていました。私はすごく人見知りなんですけど、人数が少ない分、入学式の時点から「みんな仲よくなろうよ!」というアットホームな雰囲気があり、楽しい大学生活になりそうだとワクワクしたことを覚えています。

  大学の4年間は、中学校の3年間、高校の3年間よりも短く、スッと終わってしまった感じでした。学生同士はもちろんですが、先生方との距離感も近く、毎日がすごく刺激的だったので早く感じたのかなと思いますね。あと、たくさん伴奏をしていました。とにかく自分のソロ演奏以上に伴奏を経験しました。

  ピアノ伴奏法の授業もあり、毎学期4人は必ず持っていました。1回生のときに名簿順で最初の伴奏の組み合わせが決まるんですが、私はたまたま弦楽器の学生とのペアがなく、管楽器と打楽器の学生との組み合わせになったんですよね。普通は伴奏する機会が少ない楽器の伴奏を4年間させてもらえたことはすごくいい経験になりました。

  伴奏をすることで、自分が得られるものがすごく大きかったと思います。他の分野を学ぶことで、自分の分野に活かせる部分がありました。特に打楽器の伴奏では、リズムや打音しかない中で「どうすればもっと音楽的に聴こえるか」と、音について深く考える時間になりました。
伴奏は大変ですし、人のためにやることなので、やはり信念を持っておく必要があります。「時間は自分のために使いたい」と思いがちですが、伴奏を多くやると譜読みが早くなりますし、短期間で仕上げる練習にもなります。当時はヘトヘトですごく大変でしたけど、やってよかったなと思っています。
アメリカの大学でも伴奏を頼まれますが、弾いたことがある曲のレパートリーが幅広いのはすごく大きいです。大学時代の苦労の甲斐もあって、みんながやらない打楽器やオーボエのレパートリーを持っていて、「やったことある!」と言えるのはやっぱり強みですし、今でもその経験が役に立っています。

  3回生から履修した副科のチェンバロですね。私の担当教員だった植山けい先生もボストンで勉強されていたので、30分のレッスン時間うち20分くらいはボストンの話をするほど仲よくさせていただきました。チェンバロの装飾音の入れ方や、フランス、イタリア、イギリスなど国ごとの様式の違いを実際に弾いて学んだことは、現在の自分の演奏にも大きく役立っています。
もう一つは、夏の集中講義で受けたボディ・マッピングの授業です。身体の構造を学び演奏法を見直すという授業で、「頭と背骨がつながって腰につながる」「どこの骨が動くとどの筋肉が動く」といった骨や筋肉の仕組みを学んだんですが、そういう仕組みを理解してピアノを弾くと、演奏の感覚が変わりました。

  意識しています。私は手が小さいせいで無理をして痛めやすかったんです。周りからは「練習しすぎ」と言われましたが、原因は体の使い方でした。ボディ・マッピングの授業で考え方が変わり、「腕は肩からではなく鎖骨から動く」と意識するだけで音に変化がでました。ピアノは視覚芸術でもあり、体の使い方は舞台上の所作にも関係しますし、緊張といったメンタル面にも影響します。自分の体を知ることは本当に重要だと実感しています。

  1回生のとき、指揮専攻の学生の呼びかけで、全員でオーケストラを作ったことです。作曲専攻の学生が曲を書き、器楽の学生がそれぞれの楽器を弾く。ピアノも何人かで連弾して、余った者は打楽器をするという、本当に全員参加のオーケストラでした。オケ中ピアノはあるものの、ピアニストは基本的にオーケストラの中に入る機会が少ないですが、打楽器奏者として参加してみて、「みんながオケで感じているのはこの感覚なんだ」という気づきがあり、すごく楽しかったですね。
※オーケストラの中のピアノパート。

  無理やりにでも「自分が音楽につながっていないと」という思いがありました。音楽がただただ楽しかった高校時代から憧れの京芸に入学し、より専門的に学ぶわけですが、少し嫌な言い方をすると、周りの子たちに対しするライバル心や競争心も出てきます。みんなが真剣に音楽に向き合っているからこそ、自分が取り残されてしまいそうになる瞬間がたくさんありました。「みんなが頑張っている分、自分も同等かそれ以上に頑張らないと」というプレッシャーと向き合い続けるには、何か自分の中で音楽を続ける理由を持ってないと崩れてしまいそうでした。
だから例えば、息抜きで遊びに行くにしても、ただ遊ぶのではなく「どう自分の演奏につながるだろう」と理由付けを考えるようにしていました。大学4年間はずっと音楽と向き合い続けていたなと思います。

恩師との出会いと スランプを抜けて

  周りのレベルがすごく高く、何度もスランプに陥りました。小さい頃からソアレス先生に「頑張ってるのに本番で上手くいかない時期は、自分の技術と表現力のバランスが取れてないとき。技術が伸びても表現力が劣れば納得いく演奏ができない。逆にすごく表現したくても技術が追いつかないと不満が残る。技術と表現力のバランスの取り方はとても大事だよ」と言われていました。
高校までは練習をすればするだけ技術が伸びました。しかし、大学に入ると、感情面や精神面が大きく成長していく一方で、技術がそれに追いつかず、頑張って練習しても弾けないことが増えていき、表現と技術のバランスが取れない自分に強い葛藤を抱えていました。
ただ、その原因はそれまで自分自身が漠然と弾いていたからで、2回生から師事した田村響先生がそれを気づかせてくださいました。私は高校生のときに田村先生のリサイタルを聴いたことがあるのですが、奏法や音選びも天才的なセンスで弾かれる方だと思っていました。しかし最初のレッスンを受けたとき、一音一音、さらには音を奏でる前から緻密に計算されていることを知り、自分の演奏がいかに上辺でしか考えていなかったのかということを思い知らされて衝撃を受けました。弾く前から「えっ、それさ!」と指摘され、音を出した後も「その音どう処理してるの?」と、今まで考えてみなかったことを細かく指導していただきました。「先生には確固たる設計図があり、それを確かな技術で表現するからこそ心を打つ演奏になるんだ」と理解できたとき、葛藤から抜け出すきっかけになりました。田村先生のレッスンの経験が今の音楽にすごくつながっていて、レッスンを受けていなかったら今の私はいなかったと強く感じています。

  田村先生の指導は独特で、

田村 「音の出す方向、こっち向きに弾ける?」
南 「どっち向きですか!?」
田村 「ちょっと斜めに入れる?」
南 「斜めに音を入れたことないです!」

という感じの衝撃的なレッスンでした。でも先生の言葉選びや伝え方が私にはすごくフィットして、自分が変わっていくことが嬉しかったです。 表現の仕方で言うと、先生はよく料理に例えてお話をされました。「もうちょっと塩コショウ足せる?」と言われて、最初は「どこに?」って思っていましたが、だんだんわかってくるんです。「今ちょっと塩多いよね。コショウを足して!」「スパイスも足せる?」「生春巻きから焼春巻きにできる?」とか。普通のレッスンで聞いたら意味がわからないですけどね(笑)。
大学時代の楽譜には田村先生の表現がびっしり書き込まれています。それだけ繊細なものを扱っていて、足し過ぎても引き過ぎても違う、ただ入れ込めばいいわけでもない、それがすごく勉強になりました。4回生になると「もっと料理の話してください!」という感じでした(笑)。

  田村先生には何でも話すことができて、人間関係の相談もしていました。ピアノを弾いてなくても部屋に入っただけで「何かあったでしょ?」と気づいてくださるんです。音楽家にとって精神面は重要で、私生活での出来事がどうしても演奏に影響してしまいます。そこまで気にかけていただけたことが心の安定につながりました。大学生とはいえ、まだまだ未熟な部分も多かったので、「そうじゃないよ、こうだよ」と道を示してくださるとても大きな存在でした。
ピアノ専攻の他の先生方も、試験後すぐに講評をくださるのがとてもありがたかったです。それぞれ異なる音楽のスタイルを持つ先生方から「すごく成長したね」と言っていただけるだけで、「この1学期は無駄じゃなかった」と思えました。全員で4年間の成長を見守ってくださるのは、京芸の少人数教育ならではの魅力だと思います。
大学の友人たちは、キャンパスが郊外にあったこともあり、「みんな一緒に4年間を乗り切ろう!」という強い絆がありました。試験前に励まし合ったり、ゲネプロの演奏では親身に意見を言い合ったりと、互いに支え合う存在でした。1、2回生の頃は先ほどお話ししたような葛藤もあって、授業が終わるとすぐに帰宅して練習するような生活でしたが、せっかく京芸に入り、これからも一緒に活躍していく同級生がたくさんいるのにその関係を深めないのはすごくもったいないと思い、それから意識して交流を増やすようにしました。
今でも連絡を取り合う仲間はたくさんいます。各地で演奏会をさせていただくと、どこかに必ず知り合いがいるんです。ピティナ特級のファイナルで東京フィルハーモニー交響楽団と共演した際も、同級生がステージに乗っていました。張り詰めた緊張の中でふとチェロを見ると友人がいて、すっと安心でき、自分の世界に戻れたことはとても大きな支えでした。どこで演奏しても京芸のつながりの強さを感じています。

ボストン音楽院への留学と プロとしての歩み

  念願のボストン音楽院への留学となりましたが、最初の1年はコロナ禍のため渡米は叶わず、実家でオンライン授業を受けました。ようやく渡米できた頃には修士課程の終わりが見えていたので、さらに2年間在籍しました。
その後1年間休学して、OPTを利用して滞在を延長したのですが、その間にピティナ特級でグランプリをいただき、そこから生活が一変しました。これまで年に1回あるかないかの本番が「3日に1回」というスケジュールになり、しばらくは記憶がないほど走り回っていました。遠征続きの中、移動中の新幹線で楽譜を見るような生活を経験し、プロのピアニストとして活動するには「強い芯を持っていないと続けていくことは難しいんだな」と痛感しました。
現在は一段落つきましたが、そんお忙しい時期のご縁で広がった企業との活動やいただいたコンチェルトの機会を一つひとつ丁寧に取り組んでいるところです。
※Optional Practical Trainingの略。アメリカの大学や専門機関を卒業後に1年間就労できる制度。

  ボストン音楽院には、入学前に1週ずついろいろな先生のレッスンを受けられる6週間プログラムがあるのですが、コロナ禍でオンライン形式に変更され、しかも1人の先生に固定されることになりました。そのとき偶然割り当てられたのがマックス・レヴィンソン先生でした。
マックス先生はハーバード大学を卒業後にコンクールで優勝し、その後に音楽大学へ進まれたという異色の経歴を持つ方で、それゆえ考え方が非常に緻密で学ぶことが多くありました。プログラム中にオンラインでシューベルトの即興曲を弾いてくださったのですが、Zoom越しの音質にもかかわらず涙が出るほど感動的で、「この先生に習いたい」と強く思い、そのままお願いしたところ快く受け入れてくださいました。
もともとは浦山瑠衣さんが師事されていたマイケル・ルーイン先生に師事したいと思っていたのですが、コロナ禍という特別な状況でマックス先生に巡り合えたことはとても運命的に感じています。

  京都芸大と同じく少人数教育が特徴で、ピアノ科は全体で30人ほどにもかかわらず、6名の教授陣が指導にあたるという非常に手厚い環境です。また、バークリー音楽大学と合併しているため、ジャズのクラスを受講できるのも大きな魅力です。クラシックピアニストのためのジャズ音楽など、アメリカの音楽大学ならではの学びも得られ、とても楽しい大学です。
マイケル・ルーイン先生とも親しくなり、室内楽の授業を受けたり、ピアノソロを聴いていただいたりと、先生方との距離が近い環境も京芸と似ていて、自分にとても合っていると感じています。
また、ボストンはハーバードやMITをはじめ、多くの大学が集まる場所で、他大学の学生との交流が生まれる点も魅力です。立地も素晴らしく、レッドソックスの本拠地のフェンウェイ・パークのすぐ隣で、ボストン・シンフォニー・オーケストラ(BSO)も徒歩5分ほどです。
そして、周囲に日本人がほとんどいない環境も自分にとって理想的でした。海外の学生たちと積極的に会話する環境を作りたいと思っていたので、ボストン音楽院はまさに望んでいた場所だと感じています。

  たくさんあります。先ほどお話したチェンバロの授業がそうです。ボストン音楽院では2、3ヶ月に一度、教授陣によるコンサートがあるのですが、チェンバリストが必要になった際にマックス先生から「杏佳は大学で弾いていたよね?」と声をかけていただき、出演したことがありました。もし初めて触る状況ならパニックになっていたと思いますが、「京芸で授業を受けていてよかった!」と実感した瞬間でした。
また、ボディ・マッピングの知識はアレクサンダー・テクニークの学びに活かせ、最終的には修士論文にもつながりました。
他にも「京都芸大出身」というつながりで出会えた方も多く、そのご縁が今の活動に大きく役に立っています。
※無意識の緊張や姿勢の癖を手放し、心身の自然で楽な動かし方を身につけることでパフォーマンスを高めるメソッド。

  全国でコンサートをさせていただく中で、アメリカ留学を希望する中高生から相談を受ける機会が増えてきました。私自身、留学にあたって、家探しや銀行口座の開設、音楽院での履修登録など、何から手をつけたらいいのか分からず、戸惑うことが多かったです。ネットの情報もさまざまです。治安、生活環境、先生との関わり方、他の学生のモチベーションなど、不安や疑問は多いと思います。だからこそ、アメリカの音楽大学を目指す学生たちの架け橋になれるような支援ができたらないいなと思っています。
演奏面では、自分の音楽を多くの方に届けたいという気持ちは昔から変わらないので、これからもコンサート活動は大切に続けていきます。最近は教えることも始めたので、講師として「塩・コショウ」を使いながら、音楽を学ぶ人たちを支えていきたいです(笑)。

  京都芸大を目指す皆さんは強い思いと高いレベルを備えた方ばかりだと思います。真剣に音楽と向き合う学生が集まる大学で、まさに皆さんが思い描く「憧れの環境」が広がっています。
ただし、入学することがゴールではありません。「入ってから自分がどうなりたいか」が何より大切です。今は受験が目の前の目標だと思いますが、その先の未来を見据えて受験生活を乗り越えてください。その方が絶対に結果もよくなるとはずです。
京都駅近くへキャンパスを移転したことで利便性も高まり、しっかり学びながら遊ぶこともできます。少人数だからこそ卒業後も温かい人間関係が続く、とてもおすすめの大学です。

  大学生活の4年間は、本当にあっという間に過ぎていきます。卒業して5年経ちますが、「ドイツ語をもっと真剣にやっておけばよかった」など、後悔することは少なくありません。
30歳が近づくと、やりたいと思っても時間が取れない場面が増えてきます。もちろん他の時間を削ればできなくはないのですが、どこかで制限されてしまいます。
だからこそ、大学生のうちは失敗を恐れず、やりたいと思ったことはいっぱい経験してほしいです。短期留学でも、受けたい先生のレッスンでも、伴奏でも、語学でも、「やりたい」と思ったときに迷わず挑戦してください。今しかできない経験を、思い立った時にすぐ行動に移してほしいなと思います。

インタビュー後記

北島愛美(音楽学部音楽学科ピアノ専攻3回生*)
*取材当時の学年

現在ピアノ界の先端で活躍している南杏佳さんと直接お話しする機会をいただき、とても刺激的で有意義な時間となりました。大学時代のお話を伺う中で、今の自分と重なる部分が多くあり、残りの大学生活をどのように過ごし、何を大切にしていくべきか改めて考えさせられました。また、目標を明確に持ち、それを実現するために積極的に行動へ移す姿勢や芯の強さに深く感銘を受けました。今回のお話を通して、自分も現状に満足せず、挑戦する気持ちを忘れずに努力を積み重ねていきたいと強く感じました。

西村叶望(音楽学部音楽学科ピアノ専攻3回生*)
*取材当時の学年

インタビュー当時、私は3回生の後期で、進路について本格的に考え始める時期でもありました。このまま音楽を続けていくことへの将来の不安を感じていた中、いつも朗らかで明るい南さんが、過去にはスランプなどの困難にも直面されていたことを伺い、そのような経験を乗り越えながらも信念を貫き、音楽家として歩んでこられた姿は、私にとってとても刺激的でした。
どのような進路に進むとしても、何事にも強い信念を持って物事に向き合い続けられる人でありたいと、強く感じた時間でした。
この度は、このような貴重な機会をいただき、心より感謝しております。ありがとうございました。

(取材日:2025年12月24日・本学にて)

Profile:南 杏佳【みなみ・きょうか】 ピアニスト

幼少期を米国ボストンにて過ごす。大阪府立夕陽丘高校音楽科を経て、京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業。ボストン音楽院修士課程、GPD課程修了。現在、授業料全額免除の奨学金を得てArtist Diploma課程に在学中。2024年、ルイスヴィル湖国際ピアノコンクール第3位、および第48回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ併せて聴衆賞、文部科学大臣賞受賞、スタインウェイ賞受賞。ブラジル、ポーランド、イタリア、アメリカ、日本にてオーケストラと共演し、国内外で演奏活動を行う。MBSラジオ、FM横浜、FM大阪等に出演。現在は演奏活動を行う傍ら、後進の指導にもあたっている。