江戸時代における指物 ー松江藩お抱え職人・小林如泥の経歴と作品を中心にー
今日、日本人の生活様式の洋風化により和家具と総称される日本の家具は姿を消す傾向にある。しかし、和家具には日本独自の床座の生活様式を経たことによる、用途、意匠が存在しており日本の家具研究の重要性が指摘されている。この現状は和家具に含まれる指物も例外ではない。
指物とは挽物、刳物、曲物等と並ぶ木工技術及び、この技術で制作された木工製品のことを指す。指物技術とは板と板を組み合わせて棚や卓などをつくる技術であり、製品の特徴は木材を木地のままあるいは拭漆、摺漆といった木地が透けて見える仕上げ方法であり、木地の美しさ、木工技術の精緻さを活かした家具である。技法自体は弥生時代から存在していたが、その多くは漆塗り家具の下地であり、中世までは陰の存在であった 。しかし、江戸時代になると製材技術の普及に伴い、技術や製品の木地そのものが注目され、単なる技法の名称を越えたジャンルとして「指物」は成立する。その中には、技術や木目に美を見出すものも存在し、大正、昭和初期にかけて指物は和家具の代表的存在として定着していったとされている。
本稿では江戸時代に注目し、指物の文献資料と当時の現存作品の分析から、指物は江戸時代に下地から独立し、家具の一種として成立したとする先行研究のあとづけを試みる。
第一章では江戸時代の文献資料と現存作品について考察している。当時の文献には「指物」は言葉として存在しており、技法名、製品名として定着していたことが確認できる。現存作品においては、その多くが江戸時代後期のものであり、後期が指物の画期であったことが推測できる。第二章では第一章の考察を踏まえ、江戸時代後期の松江藩お抱え職人小林如泥の経歴と作品について分析を行っている。藩主松平治郷の御好み道具を多く制作した小林如泥は、現在の様に指物制作に特化した職人であり、作品においては木目模様を意匠として制作を行っている様子が推察できる。
以上の考察を踏まえると、江戸時代は指物の転換期であり、家具の一種として成立していたと考えることが出来るだろう。その制作状況においては、指物制作に特化した職人が存在し、彼らが制作した指物からは木目模様を意匠としている様子が推察できる。これは江戸時代中期以降の製材技術の向上が影響していると考えられる。そのような環境下において、制作された指物の木目模様とそれに伴う技術は多様化していったのではないだろうか。そのため意匠性が推察できるこの木目模様の利用は江戸時代の指物の特徴の一つとしてあげることが出来るだろう。そして、この木目模様の意匠性は、指物が漆塗りの家具から独立を果たし、家具の一種として成立する要因の一つではないだろうか。
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