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円山応挙の虎-虚実の間の動物を描く-

論文要旨

 円山応挙(17331795) とは、江戸時代中期に京都画壇で活躍した絵師である。実物を写す「写生画」を大成した応挙が、得意とした画題の一つが虎であった。当時実見できなかった虎は、実物を写すことを重要とした応挙の絵画思想を考える上で大変興味深い画題だと思われる。応挙の虎は、立体感のある体躯と丁寧な毛描きによって描き表された。その姿はよく「猫のようだ」と評されるが、実際に応挙はどのようにして虎を描いたのだろうか。この問いは、応挙の虎はどのような画風変遷を辿ったのかという疑問に発展した。また、この画風変遷は応挙の絵画思想と関連性があるのだろうかという疑問が浮かんだ。本論文では、応挙の虎はどのような画風変遷を辿ったのか、虎の画風変遷と応挙の絵画思想に関連性があるのかという2点の問いについて考察を行っている。

 1. はじめにに続き、2章では一画家の虎の作品について研究するにあたり、日本美術史上における虎についての主な史実を古代から近代まで概観した。ここで応挙は、本物により近い虎の表現を目指した初めの例であり、この画題を語る上で重要な画家として位置付けられることを確認した。3章では、応挙の生きた江戸時代における虎に関する知識と、応挙の画業を確認した。4章では、応挙の虎に関する先行研究を確認し、具体的にどのような画風変遷を辿ったのか、また画風の変化はどのような絵画思想によって生じたのかについては、考察の余地があることがわかった。以下の章で作品と文献資料をもとに考察を行う。

 まず5章では、応挙の虎の画風変遷を明らかにするため、図版作品と古画総覧作品について調査を行った。図版作品については、書籍やWebサイトから収集した作品44点を年代順に並べ、構図、ポーズ、体などの項目ごとに着目し調査を行った。その結果、画風変遷には①から⑤の5つの変化があることが見出された。そして応挙の虎が猫のようであることについては、「かたちは猫の如く」という本草書の記述によって生じた①顔と体の変化に起因していることが明らかとなった。また、応挙様式の虎の確立時期は安永46(1775 1777) 年頃であると推察した。古画総覧作品については、売立目録の作品を掲載する『古画総覧』から収集した作品90点を調査した。その結果、安永期の一時期に繰り返し同じポーズを描いている傾向があることがわかった。これは⑤体型の形式化に向かう過程であるためではないかと推測された。

 次に6章では、応挙の絵画思想を明らかにするため、応挙のパトロン的存在である円満院門主祐常の雑記帳『萬誌』について調査を行った。『萬誌』に記された応挙の言葉の中から、虎についての記述を確認した後、応挙にとって重要だと思われる絵画思想についての記述を抜き出し読解した。そして応挙にとっての重要な絵画思想を3点の言葉にまとめた。

 7章では、虎の画風変遷と応挙の絵画思想の関連性を明らかにするため、①から⑤の変化に3点の絵画思想をそれぞれ照合させた。その結果、3点の言葉を踏まえた「その真を写し気を写すを第一とし、その上理を学んで意を付くべし」という絵画思想の順に沿って、画風の変化が生じていることを見出した。

 8. おわりにでは、2点の問いについて要約を行った。まず1点目については、画風変遷を辿ることで5つの変化を見出した。同時に「猫のように」描かれた理由と虎の画風の確立期が明らかとなった。2点目については、虎の画風変遷と応挙の絵画思想を照合させることで、両者に関連性があることを指摘した。このことは、応挙が画業を通して絵画思想を貫き、作品制作に取り組んでいることを物語っていると考えられる。以上のように両者の関連性を指摘したが、今回研究対象としたものは応挙に関する資料の一端に過ぎない。今後、虎以外の絵画資料やその他文献資料をもとに、この指摘の正当性を検証することを課題とする。

2020年度 同窓会賞 総合芸術学科 総合芸術学専攻 学部4回生 田部 未紗 TANABE Misa

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