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村山春菜さん 2/2

3.大作に挑戦する

日本画家として活動していくことを決意されたのはいつですか?

村山  京都芸大を受験するときに母の後押しがあったように、私は大事なことを全部他人に決めてもらってきたような気がするんですが(笑)、大学院でゼミを担当していただいた日影先生に「修了してからも絵を描く気はあるか」って聞かれたんです。先生からそんな風に言われたら「特に描く気はないです」とは言えなくて、「はい、描きます」って答えたんですよ。そう言ってしまったら、言葉の呪いを自分にかけたというか、「言っちゃったし、描かなあかんわ」と思って、本当にもうその一言がきっかけだったと思います。親の理解とか、ゼミの先生の一言があって、気がついたらその流れに身を任せていたという感じですかね。

当時大学や大学院に在学されていた方の中には、今も作家活動をされている方が多くいらっしゃいますか?

村山  私の知っている範囲での話ですが、卒業や修了から10年くらい経ったら、作家活動を続けている人は学年で1人とかになっていたと思います。10年というのは一つの区切りのようなものと言えるかもしれません。修士課程を修了して10年経ったら30代半ばになって、作家活動を続けたくても断念せざるを得ないと感じるようになるという話は聞きます。

やはり経済的な面がネックになるのでしょうか?

村山  そうですね。私の場合、親の援助には感謝してもしきれないですが、修了してからすぐは美術とは全く関係ない仕事をして、最低限の稼ぎを得ながら続けていました。日本画をやるには画材などにお金がかかりますし、やる人が年々減っていて、これからも減ってしまうんじゃないかと感じています。でも、それならそれで日本画家の希少性が上がって強みになるのかもしれないとも密かに思っています。

毎年これはやっておきたい、というノルマのようなものはありますか?

村山  2年に1回は個展をやりたいと思っています。あとは公募展に出品して、という感じですね。20代後半の頃は、全然個展ができない時期もありました。でもそういうときは仕方ないので、身を任せるしかないですね。制作にあたってはメンタル面が大事なので、できない時期があってもいいんじゃないかと思っています。

これまでで印象に残っている仕事についてお聞かせください。

村山  やっぱり大作を描いたことですね。最初に150号以上のサイズで描いたときは、横幅が5mほどあって、描いても描いても終わらない気がしました。大学の制作室ではなかなか描けないサイズですよね。描き上げたときにはとても感動したし、すごく心に残っています。小さいサイズの絵を描くときとはやっていることが180度違うというか、別のことをしているような感覚で、チャレンジしてみてよかったと思いました。大きな絵を描くにはエネルギーがたくさん要るので、若いときにこそやってみたらいいのではないかと思いますね。

そのときの制作にはどれくらいかかりましたか?

村山  仕事をしていた時期でしたが、意外と2~3ヶ月くらいでしたね。でも、私の場合はデッサンがすごく大切だし、モチーフ探しから始めて、下図(したず)に着彩して小下絵(こじたえ)を作って、パネルを用意して紙を貼って、という本画の制作に入る前の準備がありますから、トータルでかかった期間がどれくらいなのかは分からないです。

建物の絵を描かれることが多いと思いますが、気に入っている場所はありますか?

村山  東京ですね。1週間とか10日間の写生旅行に行くことも多いです。スタートが東京だったから、ということもあるかもしれませんが、人口が多いし、上から見たら建物がテトリスみたいに隙間を残さないように建っていて、密度が違います。そのひしめき合っている様子を見て、「なんでこんなにギュウギュウに建てるんだ」と感じるんですが、面白さも凝縮しているからどこを描いても楽しいです。

高い所にはよく上られるのでしょうか?

村山  東京にある展望台には、穴場と言われるようなところも含めて、全て行ったと自負しています(笑)。展望台だけでなく、エレベーターホールの窓とか、歩道橋とか、百貨店のレストランフロアで描いたこともありましたし、上れるところには上って、高いところに窓があったらそこから覗いてみることが習慣になっています。マンション育ちということもあってか、俯瞰で見ることが染み付いているのかもしれないですね。

高さに対するこだわりはありますか?

村山  東京スカイツリーは、さすがに高すぎるから行かないでおこうと思っていたんですが、たまたまチケットが手に入ったから上ってみたら、それはそれでまた面白くて、「スカイツリーシリーズ」という一連の作品を描きました。近いところから建物を描くと、洗濯物が見えたり、ベランダに出しっぱなしのスリッパや植木鉢が見えたりして、人の営みや生活感が感じられますし、そういう作品も描いています。一方、高いところに上がれば上がるほど、大きな構造体として見る別の楽しさがあるんですよね。個々の人間の存在感が消えて、巨大な街のエネルギーを楽しめるという感じでしょうか。

高さによって見えるものが変わると思いますが、大きい作品は高いところから描いて、小さい作品は近いところから描くというようなことはありますか?

村山  そうですね、対象が大きければ大きな絵が描けます。例えば、最近の個展に出した作品ですが、生コンの工場を描いたんですよ。大阪の南港とか神戸のポートランドとか、海沿いにあるような大きい工場です。「これいいな」と思って行ってみたんですが、あまりに巨大なので、100mずつくらい移動しながら全体を描きました。でも、それほど巨大なモチーフを4号のサイズで描いたら「すごい!デカい!」みたいな感覚が出ないですよね。キリンを描くときに20mくらいの見上げるサイズで描けたら楽しそうじゃないですか。見る方も楽しいと思うんですよ。そんな風に見る人をびっくりさせたいと考えることは大事だと思っています。

《コンクリート城ランドマップ》 2022年制作
(2024年 「第9回東山魁夷記念日経日本画大賞」 大賞)

4.好きなことは否定しない

今後の活動についてお聞かせください。

村山  静かに描くことです(笑)。それと、仕事をしながらでも、引き籠る時間を取ろうと思っています。絵を描くのではなく、自分だけの世界に没頭して好きなことだけやっている時間が私にはどうしても必要ですね。昔は、「今はゲームしてる場合じゃないな」とか「明日仕事だし」とか考えがちだったんですが、最近やっと「好きなことならやればいい」と思えるようになって、短くてもいいのでそういう時間を取るようにしています。

小さい頃は好きで絵を描いておられたんだと思いますが、仕事になった今は絵を描くことについてどう捉えていらっしゃいますか?

村山  難しいですね。上手く描けなくて、「なんでこんなに下手くそなんやろう」と思って悩みます。でも、ずっと楽しいと思いながら描いている人はそんなにいないと思うんです。

大学時代に培ったことで、今に生きていることはありますか?

村山  大学の課題で地面を描かされたとき、最初は地面を描くことに意味はあるのかと思いましたが、いざしっかり観察してみたら、いろんな質感があって面白いし、別に何を描いてもいいんだと思いました。多分、私たちには思い込みがあって、日本画とはこういうものだとか、こういうものは絵になって、こういうものは絵にならないとか、こういう絵がかっこいいとか、そういった固定観念のようなものが邪魔をするんですが、そこから何を描いたっていいんだと思うようになりましたね。

いろいろなものを描いていく中で、建物に魅力を感じるようになったということでしょうか?

村山  建物の絵を描いていますが、建物自体に魅力を感じる建物マニアではないんです。建物とそこに住んでいる人が作る何かに魅力を感じているのですが、それが言葉にできないから絵で描いているという感じでしょうか。

苦手なことはありますか?

村山  人を描くことですね。建物と人間の生活を描くことに興味はあっても、人の内面を描きたいという気持ちにはなれないですね。個人に入っていくことは、なかなかできそうにないと感じます。でも、描きたいものは刻々と変わるので、いつか描いているかもしれません。

京都芸大を目指す受験生に向けたメッセージをお願いします。

村山  母に言われて目指した道ですが、受験のときは不合格になっても仕方ないと思えるくらい頑張ったと自分では思っています。そういう風に思えると楽でしたね。だから、不合格の場合はどうしようとか考えていませんでした。中途半端にやってだめだったら、もやもやした気持ちを抱えていたかもしれません。落ちても仕方ないと思えるくらいまで自分なりに必死になってみることが大切ではないかと思います。

在学生へのメッセージをお願いします。

村山  自分の好きなことを否定しないでほしいですね。「こんなものを好きでもどうしようもない」と思うことがあるかも知れませんが、何かを好きになることは一つの才能だと思っています。だから、好きなことに時間をかければいいし、好きなものを描けばいいんです。例えば日本画らしさという固定観念のようなものや、女性らしさという呪いのようなものは、すべて取り払うことは難しいかもしれませんが、何かを好きなことを否定しなくてもいいということは頭の片隅に置いておいてもらいたいです。絵に関係のないことでもそうです。本当に何かを好きだったら、それを貫き通してほしいと思います。

インタビュー後記

(写真右から藤原さん、森川さん)

藤原華豊(美術学部美術科日本画専攻3回生*)*取材当時の学年

村山さんとお会いし緊張していた私は、フレンドリーにお話ししてくださる大先輩にほっとしながら、たくさんのことを教えていただきました。
「学生のうちだからこそ、さまざまな固定観念に囚われずに何でも描いて色々な方法に挑戦するべきであること」「自分の好きなことを追い求め続けること」という村山さんのお言葉は、私の中で特に印象に残っています。大学に入ってから自分の絵を確立したいと思い、一つのモチーフや表現に偏りがちだった私にとって、また本当に描きたいものはなんなのかを模索していく上で、改めて大事なことにはっと気付かされたような内容でした。
一作家として努力されてきた、厳しい一面もお持ちである村山さんだからこその説得力のある言葉でしたし、今後の自分に必要なアドバイスをいただいたような気持ちになりました。
今この学生時代にたくさんいろんなものを描いて、挑戦するからこそ表現の幅が広げられる、また大学にいるからこそ吸収できるもの、培えるものがたくさんあるということを胸に刻み、これからも日本画の道を精進して参りたいと思います。

森川深雪(美術学部美術科日本画専攻3回生*)*取材当時の学年

村山さんとの談話を通して、日本画を学ぶ村山さんの心情の変化とその過程で感じた苦悩や喜びが伝わってきました。
大学で日本画を学び始めた当初は、その難しさに圧倒されながらも、次第に自分の表現を模索していく姿に感銘を受けました。特に、修士2回生の夏に制作した作品についてのエピソードは、技術と心象表現の両方が作品に反映されており、私も目指してみたいなと思いました。また、学生時代の友人や教授との交流が、村山さんの成長に大きな影響を与えたことが感じられました。
卒業後も日本画家として活動を続ける村山さんの真摯で前向きな姿勢に感化されました。

(取材日:2023年12月8日・本学にて)

Profile:村山 春菜【むらやま・はるな】 日本画家

2009年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻(日本画)修了。日影圭氏に師事。
2019年「ドキドキフォルダー」(日本橋三越)、2022年「ぐろーばる☆わーるど」(同時代ギャラリー)など精力的に個展を開催。
2008年「第40回日展」初入選を皮切りに、2009年「第41回日展」特選、2013年「京展」京都市美術館賞80周年記念特別賞、2014年「京都府美術工芸新鋭展」読売新聞社賞、2016年「改組 新 第3回日展」京都新聞社賞、2017年「第1回新日春展」日春賞、2021年「第8回日展」特選、2023年京都府文化賞奨励賞、京都市芸術新人賞、2024年「第9回東山魁夷記念日経日本画大賞」大賞など、受賞多数。