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藤井 浩基さん 2/4

2.多角的に学んだ音楽科教育の内容


狂言の授業成果発表会(1991年・京都 河村能楽堂の楽屋にて)

interviewer_music京都芸大での授業で印象に残っていることはありますか。

藤井 私は滝本裕造先生の音楽美学・音楽史の研究室に所属しましたが,専門以外の授業も印象に残っています。

 大串健吾先生の音楽心理学の授業に,ヴァイオリニストの千住真理子さんが,ご自身の研究に関わって来られたことがありました。私は履修していなかったのですが,大串先生が声をかけてくださり,授業の中で千住さんの演奏をお聴きしました。そんなアットホームな雰囲気がありました。

 中川真先生による民族音楽学関連の企画にも積極的に参加しました。なかでも,祇園祭の音響調査に参加したことは特に印象に残っています。京大の学生も一緒で,祭の前から街中に機材を持って出かけ,祇園囃子を録音しました。祭当日も調査の一環で,規制線の張られた四条通の内側を山鉾に寄り添うように歩きました。そのほか,仁和寺で行われたフィリピンの作曲家ホセ・マセダの作品《ウドゥロッ・ウドゥロッ》の演奏に参加したこともよい思い出です。

 ピアノの神西敦子先生が開講されていたバッハのインヴェンション全曲の講義・演習には,特別に許可をいただき,ピアノ専攻の院生に混じって聴講しました。この経験は,地元に帰ってからピアノを指導するときにも本当に役立ちました。

 非常勤講師の安東伸元先生による狂言の授業も印象に残っています。大学講堂の舞台で授業が行われ,院生にとても人気がありました。年末には市内の河村能楽堂で授業の発表会があり,私も装束を着て「蝸牛」の太郎冠者をやりました。

 ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏家として著名な平尾雅子先生によるバロックダンスの演習もよく覚えています。サラバンドやジーグなどの舞曲を踊った経験も貴重でした。

 大学院の2年間は多角的に勉強することができました。私は島根大学で音楽科教育を担当していますが,今は,学校の音楽の授業に,日本の伝統音楽,世界の諸民族の音楽をはじめ,多種多様な内容が入ってきているので,これらを広くカバーする必要があります。そういう意味で,京都芸大での授業は無駄がなかったと思います。

interviewer_music指導教員の先生のことで思い出されることはありますか。

藤井 指導教員の滝本先生は,一度中学校の音楽の先生をされた後に,京大の大学院で美学を学ばれたという経歴をおもちでした。学校教育にも関心が強く,教育学部出身の私にいろいろな示唆を与えてくださいました。

 滝本先生の授業では,今でいうティーチングアシスタントを任されました。学部生対象に音楽史の授業をするように言われ何度もやったことがあります。大学院でも教育実習があったようなものです(笑)。学部生向けの授業にも出席し,朝1限の授業前から,機材の用意や黒板の掃除,資料の印刷などもしていました。そのときの授業のノートは今も手元にあります。ゼミでのドイツ語の原書講読は結構きつかったですが,よい思い出です。

interviewer_music現在のご自身の研究テーマは日韓音楽教育関係史ですが,学生時代からのことですか。

藤井 学部3年生のとき韓国に興味をもち,大学院で研究したいとも思ったのですが,当時は韓国の音楽について情報や資料もあまりない時代でした。韓国語もできませんでしたし,滝本先生からも,まずは西洋音楽のほうから音楽学の基本を学んだ上で,修了後に自分の好きなことをすればいいと言われました。特に英語やドイツ語の基本的な文献をしっかり読むように言われました。それで私はイギリスのシリル・スコットという作曲家が著した音楽史の文献について修士論文を書きました。このとき西洋音楽史を学んだことが,島根大学で担当している音楽史の授業にも役立っています。

インタビュアー:真鍋実優(音楽学専攻4回生*取材当時)

(取材日:2016年10月18日・本学大学会館にて)

Profile:藤井 浩基【ふじい・こうき】大学教員

1967年鳥取県生まれ。1993年京都市立芸術大学大学院音楽研究科(修士課程)音楽学専攻修了。2003年韓国国立韓国芸術総合学校音楽院客員研究員。博士(芸術文化学:大阪芸術大学)。

専門は音楽教育学。日韓音楽教育関係史,地域の音楽の教材化をテーマに研究を重ね,著書に『日韓音楽教育関係史研究』(勉誠出版,単著),『島根の民謡』(三弥井書店,酒井董美氏と共著)などがある。

現在,島根大学教育学部教授(音楽科教育)。