高野 裕子さん 2/2
4.卒業後に音楽マネジメントの世界へ
大学院を修了された後はどのように過ごされていたのでしょうか?
高野 修了後はバロックザール※1の主催公演のプロデュースを任されたり、京都芸大の非常勤研究員を務めたり、どんなことでもクオリティの高い仕事をしようと意識して、いろんなことに取り組んでいました。その後、大学の非常勤講師の職を得て、授業を担当しながら論文も書いていました。週4日のバロックザールの仕事に加え、3つの大学で5コマの授業を持っていたので、ほとんど一週間働き詰めだったと思います(笑)。
ただひたすら音楽が好きな思いで突き進んでいましたが、研究をしながらプロデュース業もする中で、ある時から自分にはどっちが向いているんだろうと天秤にかけ始めました。柿沼先生のような研究者になりたいという気持ちもありましたが、自分は音楽をプロデュースする方が向いていると気づいたことで、音楽マネジメントをやっていく方向に舵を切りました。
※1 公益財団法人青山音楽財団が運営する音楽ホール
プロデューサーになるためには、どんな資質が必要だと思われますか?
高野 まず、時流を見抜く目を持っていることでしょうか。例えば、いまどのような音楽が人々から求められているか、日本だけではなく世界的な流れを把握し、それを自分の企画に活かしていく必要があります。あと、過去・現在・未来と3つの時間軸でたくさんの仕事・人・お金が動くので、マルチタスクを同時に処理できる能力も必要です。それから、コミュニケーション能力も必須だと思います。私はどちらかというと人見知りなのですが、仕事をする時は頑張って喋っています(笑)。
現職である京都コンサートホールのプロデューサーになられたきっかけを教えてください。
高野 バロックザールは音響が素晴らしいホールで、コンサートを作るのはすごく楽しかったのですが、200席の小規模なホールではできることが限られているように次第に感じ始めました。例えば、オーケストラやパイプオルガンといった、大きなステージでしかできない仕事をしてみたかったのです。それと同時に、私は幼いころからずっと京都で音楽を学んできましたので、生意気ですが「自分の学んできたものを京都のクラシック音楽界に還元しながら、自分の手で発展させていきたい」とも思っていました。ちょうどそのタイミングで「京都コンサートホールで働いてみないか」とお声がけいただき、ずいぶんと悩みましたが、思い切って自分を求めてくれる場所に身を委ねてみました。
今までで印象に残っているお仕事はありますか?
高野 私のコンサートホールでのデビュー企画は「スペシャル・シリーズ 《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》」でした。ドビュッシー没後100年の年に、段階的に彼の音楽を知ることができるよう、全3回のシリーズで構成しました。音楽以外にも様々な工夫を施しました。例えば、京都のベーカリーである進々堂さんとコラボして、3回それぞれの演奏会のイメージにあったお菓子を作っていただき、来場者全員に配ったり、府立図書館で自ら講師として出張レクチャーを行ったり、演奏会のプログラムもすべて自分で書きました。入社当初からずっと温めてきた企画でしたし、チケットも完売し、特に思い出に残っています。あとは2023年4月からの「Kyoto Music Caravan 2023」ですね。京都芸大のキャンパス移転と文化庁の京都への移転を記念して、京都芸大ゆかりの演奏家に出演してもらい、京都市内11区の名所でコンサート行う企画です。それぞれの会場に合う楽器の編成を考えなければならないなど、調整がかなり大変でした。2024年の3月にはファイナルコンサートとして、京都芸大の堀場信吉記念ホールで、市内でクラシック音楽を学ぶ子どもや青少年が一堂に会する公演を控えており、そちらも今からとても楽しみです※2。
※2 本インタビューは2024年1月15日に実施
コンサートホールではないところでも演奏会をするのが新しくていいなと思います。
高野 そうですよね。クラシックが好きな方はホールに足を運んでくださいますが、こちらがホールを飛び出せば通りすがりの普段クラシックを聴かない方にも耳を傾けていただけます。ホールに来ていただけるきっかけになれば嬉しいですね。
大学在学中の経験や学びが、現在の仕事に生きていると言えることはありますか?
高野 今までの音楽人生が仕事と直結しているので、大学で学んだ音楽的な知識は言うまでもないのですが、学生時代に築いた人脈に助けられています。京芸で出会った方々とは、いまもお仕事でご一緒させていただいています。
兵士の物語(右から4人目)(2021年) | フランク生誕200年記念コンサート(2022年) |
京都コンサートホール記者発表会(2023年) | 京都コンサートホール事業企画課チーム(2024年) |
5.ほかのホールでは聴けないような演奏会を
演奏会を企画する上で意識されていることはありますか?
高野 近年、国際的なコンクールなどで日本人が活躍するシーンが増えた影響で、それまであまりクラシック音楽とは縁のなかった方々にもコンサートに来ていただけるようになりました。もちろんメディアで宣伝されるような有名アーティストのコンサートも素敵ですが、私たちの近くにも素晴らしい音楽家がたくさんいるということをお客さまに伝えられるような演奏会を開催したいです。特に、京都の公共ホールとしては、地元で活動している演奏家や若手音楽家をどんどん紹介し、京都ならではのコンサートを今後も継続して開催していきたいと考えています。
今後の夢や展望はありますか?
高野 やっぱり、京都をクラシック音楽に満ちた街にしたいですね。音楽の都と呼ばれるようなウィーンやプラハのような街にできたらという思いがあります。その第一歩として、世界に自慢できるような音楽祭を開催するのが夢です。
それから、まだまだ私自身も学び続ける必要はありますが、後進を育てたいという気持ちが強いです。一緒に働いているスタッフには、何よりもまず音楽と人が好きであること、そしていつも新しく“面白い”アイディアを持って仕事に取り組むことが大切だとアドバイスしています。
京都と音楽に対する愛がすごく伝わってきました。最後に京都芸大を目指す受験生や在学生へ向けたメッセージをお願いします。
高野 私自身、学生時代にうまくできなかったのですが、音楽だけの人間にならないように、時には思い切り遊びに出かけて自分の視野を広げてください。いろんな経験を重ねたほうが、音楽に深みが出ると思います。それから、常に夢と目標をもってください。目標はいくつかの段階に分けて設定することが大切で、時々振り返って、自分が今どこまで達成できているか、どうやったら夢に近づけるかを定期的に確認してください。たとえ夢を実現できなくても、その過程でがむしゃらに頑張っていれば、必ずどこかで誰かがその姿を見てくれていますし、自然と道が拓けるはずです。
インタビュー後記
(写真右から小峯さん、前田さん)
小峯羽叶(音楽学部音楽学専攻2回生*)*取材当時の学年
音楽をずっと愛好し続け、壁にぶつかった時には、その都度音楽との付き合い方を模索し、いつも真剣に音楽と向き合ってきた方なんだなと感じました。音楽が人間に与える影響に対して強い信頼をお持ちで、さらに音楽に関する経験や知識も豊富な方だからこそ、高野さんの手掛けるコンサートに多くの人が魅了されているのだと思います。また、クラシック業界の今後についてお伺いした際には、「私たちは前を見るしかない」「私たちが前を見なかったら終わり」とお話しされていたのが印象的でした。お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
前田依泉(音楽学部音楽学専攻2回生*)*取材当時の学年
お話を伺う中で、京都や音楽を想う高野さんの強い信念を感じました。凛としたお人柄で、“京都コンサートホール”という場所から、人と音楽、そして演奏家を繋ぎ、音楽文化を拓いていこうとする姿が非常に印象に残っています。学生時代は迷いや葛藤も多かったそうですが、目の前のことに向き合い、全力で取り組んできたからこそ今があるのだと教えていただきました。私も今をより大切にし、視野を広く持って様々なことに取り組み自分自身の可能性を広げていきたいです。
(取材日:2024年1月15日・京都コンサートホールにて)
Profile:高野 裕子【たかの・ゆうこ】 京都コンサートホール プロデューサー
京都市出身。京都市立音楽高等学校(現 京都市立京都堀川音楽高等学校)、京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、同大学大学院音楽研究科修士課程、博士(後期)課程を修了。博士(音楽学)。
2009~13年フランス政府給費留学生およびロームミュージックファンデーション奨学生としてトゥール大学大学院博士課程・トゥール地方音楽院古楽科第3課程に留学。2008年柴田南雄音楽評論家賞奨励賞(本賞なし)。
2017年4月より京都コンサートホールに勤務し、現在 京都コンサートホールプロデューサーおよび事業企画課長。