マルチチャンネル・ヴィデオ

マルチチャンネル・ヴィデオ・インスタレーションは,同一のアート作品のなかで,モニタやプロジェクターなど2つ以上のディスプレイ装置から構成される作品である。さまざまなモニタが並べて置かれたり,二つのプロジェクターの映像が重ね合わされたりするなど,インスタレーションの構成はさまざまである。
マルチチャンネル・ヴィデオ作品には,2台のディスプレイ装置を用いてひとつのモニタに映るアーティストが,もうひとつのモニタに映される女性に命令をくだすヴィト・アコンチの《リモート・コントロール》(1971)のような古典的な初期のヴィデオ作品がある。フィンランド出身のエイヤ=リーサ・アハティラは,伝統的なトリプティックの形式で3チャンネルのフィルム作品《もし6が9だったら》(1995)を制作し,《ハウス》(2002)では3チャンネルのヴィデオ・インスタレーションに取り組んでいる。クリスチャン・マークレーの《ビデオ・カルテット》(2002)は,観客を取り囲むように四方の壁面に映像が投影される4チャンネル・ビデオ・プロジェクションからなる。ナムジュン・パイクやダグラス・ゴードンのように数10のテレビモニタを用いて映像を展示する場合もあれば,ピピロッティ・リストのように映像を鑑賞する空間や投影されるスクリーンがインスタレーションの空間的要素として構築されている作品もある。
1990年代末になると,デジタル化されたビデオ機材を活用したマルチチャンネル・ビデオ・インスタレーションの作品が多く制作され,ドクメンタやヴェニス・ビエンナーレなどの国際芸術祭でヴィデオアートの展示が広範に行われるようになっていく。1990年代以降に活躍する美術家たちによって,メディア論,ポスト・コロニアル批評,文化研究の成果を踏まえながら,より広い社会的関心に根ざしたかたちで,映画的な物語の慣習や時間性を脱構築して批判的に探求していくマルチチャンネル・ヴィデオの試みが広がっていった。扱われるテーマを思いつくままに列挙すれば,人種とセクシュアリティ,現代の家族像とネットワークを介した個人のつながり,監視やスパイ技術と軍事テクノロジー,植民地主義の歴史や記憶,催眠やトラウマなどの心理学,宗教と資本主義,巡礼や観光,都市のジェントリフィケーションと祝祭,政治アクティビズムとハクティビズム,テロリズムと拷問,スポーツと身体改造,地球温暖化や自然災害とエコロジー,科学テクノロジーの肥大化と官僚主義,グローバル化と情報資本主義,人工知能と変容する労働形態,感情労働と注意経済,現代奴隷制と人身売買,オフショア市場とビッグデータなどの諸問題が多様な形式で扱われている。

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