マルチメディア・インスタレーション

ひとつ以上の異なる媒体を使って、空間・立体的に構成された美術作品をマルチメディア・インスタレーションと呼ぶことができる。メディア作品のインスタレーションには、ディスプレイ装置や機材などハードウェアやソフトウェア、デジタルメディアに関する技術の知識がある程度必要とされ,多様な芸術作品の展示や修復・保存のために,新しい実践やボキャブラリーを習得していくことが望ましい。マルチメディア・インスタレーションは,多様な形式で存在する。20世紀初頭のイタリア未来派以来,ロシア構成主義やダダやシュルレアリスムなどの美術家たちは,映画や蓄音機などの新しいテクノロジーを駆使して美術作品を制作したが,それらはパフォーマンスやイベントという一時的な表現方法にも密接に結びついてきたことは言うまでもない。

美術家たちは,まもなく可動要素を伴った彫刻であるキネティック・アートの制作を行い,1950−60年代にはフィルムスライドやヴィデオを,オブジェや彫刻の要素などと統合する動きが顕著になった。複数のフィルムを映写機で投影するエクスパンデッド・シネマから,2チャンネル以上のマルチチャンネル・ヴィデオ,デジタルメディア,彫刻やオブジェ,スピーカー,コンピュータ・デバイス,ライトやネオンによる人工光,水,霧,風,土,動植物などの自然の素材を取り入れた環境まで,さまざまに展開された。それら複数の要素は,コンピュータを通して同期され制御される。

日本では東京の「実験工房」が現代音楽家と美術家の協働を展開し,スライドにあわせた音楽の実験などをいち早く行っている。1950年代に動的な彫刻を制作した山口勝弘は,テクノロジーの発展に合わせたメディアアートの探求をその後も深めていき,スライド,フィルム,ヴィデオなどジャンルを横断する創作を行った。また神戸の「具体美術協会」もパフォーマンスやイベントというかたちで、同時代のさまざまな表現媒体に広く関心を寄せている。田中敦子は,回路上につなげたベルの音を順番に鳴らす《作品(ベル)》(1955年)という初期のサウンド・インスタレーションや,電球を繋いで衣服のようにした《電気服》(1956年)を「舞台を使用する具体美術」展(1957年)で着用するなど,電気回路を用いた作品を通して空間や身体を捉え直した。この作品は1986年の『前衛芸術の日本』展に出品するために作家本人によって再制作された。1970年の大阪万国博覧会ではペプシ館など様々なパビリオンで多くのアーティストたちがテクノロジーを用いた美術作品やパフォーマンスを披露した。

現在,さまざまなテクノロジーの要素が含まれる展示作業を担当者だけで行うことは困難である。アーティストやアーティストの代理人との緊密なコミュニケーションとともに,技術的なサポートを必要とする。それゆえ,インスタレーションや作品の操作のための明解な指示書が提供されるべきである。多くの場合,美術家やその代理人が指示書や仕様書を作成する。これには,理想的な展示条件(光や音響),最低限必要とされる空間の大きさや条件,作品にはどの装置が含まれていて,どの装置が展示者側に要請されるのか,機器に関する指示や作品に関する技術情報や展示図面などが含まれる。また収蔵・修復の際,機材の取り換えの可否(機器が生産終了になった場合に入手可能な新たな機材で環境移行=マイグレーションが可能か)や今後のデジタル化などを想定した聞き取りを行う必要もあるだろう。可能であれば,過去の作品展示イメージを参照することも助けとなる。展示記録は,将来の保存・修復に重要な資料として活用できる。

古橋悌二《LOVERS−永遠の恋人たち》(1994年)は,マルチメディア・インスタレーションに含まれるさまざまなタイムベースト・メディアの要素で構成されている。ビデオ・プロジェクターによるマルチチャンネル・ヴィデオの再生,スライド・プロジェクターを使ったスライドの切り替え,センサーを用いたインタラクティブな要素,小型コンピュータによるモータなど可動部分の制御である。この作品をモデルとした修復については「修復」の項を参照いただきたい。

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