パーソナルコンピュータの登場(80年−)

80年以降,パーソナルコンピュータの登場により,コンピュータはより多くのアーティストにとって,その制作手段や作品素材の選択肢の一つとなる。この時代のあらゆる試みは,マルチメディアインスタレーション,サウンドインスタレーション,エクスパンデッドシネマ,インタラクティブアート,などメディア・アートの諸領域を生み出した。一方で,この時期の作品に使用されている技術や機材は,その飛躍的な技術的発展を背景にあらゆるソフトウェアやハードウェアが混淆した時代であったため,現在ではその多くが淘汰され,今まさに失われつつあり,作品の保存・修復といった観点ではより深い議論と理解が必要となる。以下,参照となりうる事例を記する。

 

メディアアーティストで研究者のジャン=ルイ・ボワシエ(1945-)が,制作した「終わりのないアルバム」は,鑑賞者がトラックボールで静止画像のループを操作するインタラクティブアート作品である。この作品は,今までに,オリジナルを含め3回再制作が行われているが,そこには技術的な代替の変遷を見ることができる(作者サイト「終わりのないアルバム(Album sans fin)」を参照)。

オリジナルバージョンは,1988-89年にMacintosh SEとプログラミング環境Hypercardで開発され,トリノ写真ビエンナーレに出展された。モニタ上に表示される4bitの画像スライドを,トラックボールで操作し,操作次第で異なるストーリーが構築される,鑑賞者との相互作用を目論んだインタラクティブ作品であった。2003年に行われた再制作では,CD-R収録のあらゆるコンピュータ上で実行可能なソフトウェア作品として提示された。このソフトウェアはプログラミング環境Directorでコーディングされ、オリジナルとは異なった画像フォーマットが使用されていた。

2012年には,オリジナルの4bit画像,そして,開発環境はオリジナルとは違うものの,同じインタラクション性をもったiPadアプリとして再制作された。

このように,「終わりのないアルバム」は再制作の度に,ハードウェア及びソフトウェアを変えている。オリジナルに使われていたHypercardやMacintosh SEを始めとして,再制作で使用されているDirector,CD-Rなどの技術環境はいずれも,10年単位で更新・消失されてきた技術である。そのため,「終わりのないアルバム」再制作にあたっては,その時期における最も合理的な選択が取られているといえる。このような作品の何を〈オリジナル〉とするかは,作者・作品毎に,その意図が異なる。ボワシエは,再制作ごとに技術は変えているものの,2015年の展覧会『Des histoires d’art et d’interactivité』(Musée des arts et métiers)では全くオリジナルと同じ構成であるHypercard,Macintosh SE,トラックボールを用いて展示を行っている。そこには,バージョンオリジナルと明記されていることから,この時点では,あくまでも89年制作の作品構成を〈オリジナル〉としていることが窺える。

 

次に,メディアアーティストのクリスタ・ソムラー&ロラン・ミニョノーが1992年に制作したインタラクティブ作品「The Interactive Plant Growing」を例に挙げる。この作品では,鑑賞者の動きが,コンピュータ内で描画される植物に,作用を起こしながらその植物の成長を変容させていく。人の動きの検知から,植物の3DCG生成まで,全てリアルタイムで行うため,1992年当時において高性能な3DCG処理を行うことができたシリコングラフィックス社(SGI)のコンピュータIRIS-4Dシリーズによってプログラミングされている。

しかしながら,作品のプログラムがSGIという,今日の技術的観点からすると特殊な環境で動作するため,コンピュータに何かしらの動作不具合が起こると,作品自体も消失してしまう危機に晒される。ハードウェアの保存を行っても,特殊で失われつつある技術に基づくため,将来的に修繕が必要となった場合,部品調達やエンジニアの確保が難しくなることが予想される。

 

メディアアーティスト岩井俊雄の音楽家坂本龍一とのコラボレーション作品「MPI X IPM」(1997)も同様にSGIのIndigo2 Extremeを使用している。この作品は,グリッド状に窪みのついた板に球体をおくことによって音を出すというサウンド作品で,常にリアルタイムで処理が行われ,インターフェースにはAmiga OSのコンピュータ,パフォーマンス時にスクリーンに映し出すサウンドビジュアライゼーションにはSGIのIndigo2 Extremeが使用されている。Amiga OSもSGI同様,いずれ消失する技術環境であることが危惧されている。保存・修復には,他の技術環境に移植するエミュレーションプログラムなどが対策として挙げられるが,岩井はインタビュー(1996)において,機材毎に癖のようなものがあり,それが作品の質を決定しているところが少なからずあると指摘している。(しかしながら,岩井自身は,この機材の個性を否定している)

 

この時代のインタラクティブ性・リアルタイム性に依拠する構造を持つ作品において,コンセプトや作品を成り立たせるためのシステム,その処理や動作性能をすべて明記し仕様書を作成することで,ハードウェア面の保存限界がきたとしても,エミュレータなどソフトウェア面での修復・再制作は可能であると言える。しかし,機材やインターフェースが変われば,処理の反応速度も変わる。他の環境にリプレイスする度に微細で綿密な調整が必要となる。ここにおいて,作者不在の場合,そのニュアンスの再現は,一体誰が決定できるのかという問題が横たわっている。機材や技術の性能が,そのパフォーマンスに深く関わる作品の機微は,それを取り扱う作者ないしは技術者の身体性に深く紐付けられていることを留意しなければならないといえる。

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