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森村泰昌さん 3/4

3. 実は総合基礎実技第1期生

実は総合基礎実技第1期生

interviewerその横割り制度が、今の美術学部1回生全員が前期に履修する総合基礎実技につながってくるんでしょうか。

森村 1回生の前期でしょ、それはそれで、もうありました。総合基礎実技は僕が第1期です。だから、入学したら学部に関係なく学生が集められて、そこにいろんな専門分野の先生が来て教えてくれるってのは、もうあったんです。

 今から思うとかなり幸せだったと思うのは、「よし、このシステムでやってみよう!」って先生がみんな燃えている状況だったから、初めて美術大学に来た20歳前後の学生に、人間国宝級の先生が、教えてくれるんですよ。僕の時には、例えば佐野猛夫(さのたけお)先生という染織の先生、彫刻の堀内正和(ほりうちまさかず)先生、そういう高名な方が教えてくれました。

 佐野先生の授業の時に、ろうけつ染めっていうのをやったときの話なんですけど、そんな染織専攻でもない学生たちが、パラフィンを溶かして布に塗って染めるなんて難しくてできないわけですよ。それで、しゃあないって、「はい」って佐野先生が言ったら、学生が下絵だけ描いた布を渡して、ざーって全部きれいにいい色に染めてくれました。そういうことが、陶芸なら陶芸の、彫刻なら彫刻の、その科の中心の先生たちが、1回生相手に手分けしてやってくれてましたから。贅沢な状況ですね。それで僕も、土も触ったし、染めもやったし、彫刻もやりましたね。

自分の美術に限界を感じながら卒業

interviewer森村さんは卒業されるときには、進路はどう考えていたんでしょうか。

森村 大学1回生の時にね、迷いながら入っているでしょ。それもあって、卒業するときには自分の美術というものに限界を感じたんです。それで、もう美術に見切りをつけよう、やーめたって思ったんです。だから絵を描くのはやめて、もともと興味があった文字の仕事、文章を書くことをやり始めました。高校の非常勤講師として美術や工芸を教えたりしながら、大阪の「文学学校」っていう文学を教えるというところで、小説の書き方を学んだりしていました。

 自分では、最初から小説を書くのは難しいから、児童文学とか、そういうものをちょっとやってみようかなって思って、絵本をやりだしたの。その当時、70年代後半だと思うんですけど、絵本ブームがあったんですよ。絵本っていうものがすごく流行って、新しい作家がどんどん出てたんですね。今までにない、子どもだけじゃなく大人も読めるような絵本が流行って。自分では文字だけのつもりだったけど、やっぱり絵も入れて、絵本を作ろうとしました。文学学校の先生に、出版社に持っていってもらったりしてたんですけど、採用してもらえなかったですね。でも、それもなかなかうまくいかなくて限界を感じました。

 そういうことをしているうちに、アーネスト・サトウ先生から、時間があるんやったら助手を頼みたいんやけどっていう話がきて。最初は、僕、今絵本やっているから興味ないんですけど、とか言ってたんですけどね。

インタビュアー:大学院美術研究科修士課程 芸術学専攻2回生 増田愛美
(取材日:2012年2月15日)

Profile:森村泰昌【もりむら・やすまさ】美術家

1975年、京都市立芸術大学美術学部デザイン科卒業、同大学美術学部専攻科修了。1985年、ゴッホの自画像に自らが扮して撮影するセルフポートレイト手法による大型カラー写真を発表。1988年、ベネチアビエンナーレ/アペルト部門に選ばれ、以降海外での個展、国際展にも多数出品。古今東西の有名絵画のなかの登場人物になる「美術史シリーズ」、映画女優に扮する「女優シリーズ」、20世紀の歴史をテーマにした「レクイエムシリーズ」などの作品で知られる。2011年度秋の紫綬褒章を授与。