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樫木知子さん 2/4

2. 今の作風に至るまで

サンダーとの出会い



「木目のしっぽ」
copyright of Tomoko Kashiki, courtesy of Ota Fine Arts

interviewer鶴田先生は、学部生の頃から樫木さんを見ていたとおっしゃっていました。

樫木 私の記憶に残っている中で、一番最初に鶴田先生に意見をもらえた作品は、油画基礎の自由課題で描いたシクラメンの絵です。私はこの作品を気に入っていました。自分で満足のいった作品に対して意見をもらえたことが嬉しくて、とてもよく覚えています。その後、思うように描けない時期を経て、学部の3~4回生頃からサンダーを使い始めました。今の画風に繋がるのはサンダーを使い始めてからなので、その頃に改めて目に留めてくださったのかもしれません。

interviewerなぜサンダーを使った制作方法に行き着いたのですか。

樫木 もともとケント紙のような凹凸のない紙に鉛筆で絵を描いていたので、タブローでもこってりした絵じゃなくて線の細い絵を描きたかったんですが、布地や下地の刷毛跡が邪魔で繊細な線が描けず悩んでいました。そんな時、先生方から「下地をサンダーで削ってみては」とのアドバイスをもらい、それを実践してみたところ、描きたい線が描けるようになっていきました。サンダーを使い始めたのはその頃からです。

 1~2回生の頃は、実技授業が始まる午後1時にアトリエ棟に入って授業が終われば帰るという感じでしたが、3~4回生になってサンダーで削ることを覚えてから、ちょっとずつ自分の描くもの、やることが見えてきて、制作室に滞在する時間もどんどん長くなっていき、土日も含めて大学で制作に没頭するようになりました。守衛さんとも自然と仲良くなり、守衛さんが入れ替わられる度に、「寂しいなぁ」と時の移り変わりを感じていました。

interviewerアルバイトはされていましたか。

樫木 3回生くらいまではしていましたが、自分の時間は全部制作に費やそうと思い、学部4回生頃に辞めて制作に専念しました。

interviewer制作している時間は、楽しくてたまらないという感じですか。

樫木 そうではなかったですね。満足いくものが全然描けないと思っていました。卒業が近づくにつれて、「自分は何をしてきたんだろうか」、「何も成さないまま学生生活が終わってしまう」という思いも強くなりましたので、楽しい時間というよりは、制作部屋に自分を鎖でつなぐというか、制作が進まなくてもとりあえず大学に行かなければという感じでした。学部4回生になった頃には、大学院への進学を決めていたと思います。

大学院で得たもの

interviewer博士課程で「描きがたさとの調停」という論文を書かれて、ご自身のオリジナリティが頭の中で整理されて明確になられたように感じました。

樫木 博士課程への進学を希望する人っていろいろ目的があると思うんですけど、私は、制作するうえで自分の中にバラバラにあったものを整理したかったんです。博士課程の3年間で、自分の中にバラバラにあったものが人に伝えられる形になり、目標が達成できました。

interviewer論文で美人画に触れておられましたが、論文を書く以前から興味があったんですか。

樫木 もとから美人画が好きで見ていました。その興味関心を自分の作品や制作態度にすり合わせ、論文のテーマとして扱うことができたのは、先生方のおかげです。たくさんのアドバイスをいただきました。

interviewer留学生との交流はありましたか。

樫木 はい、大学院では複数の留学生(研究生)と同じ環境で制作していました。彼女らからは、日常生活や制作のあらゆる場面で刺激を受けました。とても良い出会いだったと思っています。

インタビュアー:美術学部 総合芸術学専攻2回生 古田理子

(取材日:2012年2月21日)

Profile:樫木知子【かしき・ともこ】画家

京都市立芸術大学美術研究科博士(後期)課程美術専攻(絵画)修了。
2006年京都市立芸術大学制作展同窓会賞、2009年VOCA展奨励賞、2012年京都市芸術新人賞受賞。
国内外で活躍する注目の若手芸術作家。2012年4月から本学非常勤講師。