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高嶺格さん 2/4

2. 学生時代の思い出

interviewer高嶺さんにとって京都芸大の印象は。

高嶺 ほぼ全員顔見知りというこのサイズが好きですね。友人と話していても「どこどこ専攻のだれだれさん」と言うと,なんとなく顔が分かる。あと,学年を超えた上下の付き合いも多かったので,それも良かったですね。大学でお世話になった先輩は,今でも関わりのある方が多いです。

interviewerバレー部に所属されていたそうですが,入部されたきっかけは。

高嶺 それは無理矢理ですね(笑)。高校のときからの先輩が京都芸大にいて,その人から勧誘されて,入学式が終わると自動的にバレー部員でした。
バレー部では,変なあだ名をつけられていましたね。「ちょうさくさん」。なんで「ちょうさく」だったのか未だに分からない。なんかみんなで遊んでいるときに呼び名を決められて,それが今までずっと続いている人もいるし,僕の「ちょうさくさん」は途中でしゅーんって消えていきました。名づけた人が途中から言わなくなったんですよ。無責任でしょ。

interviewer芸大祭での思い出はありますか。

高嶺 1回生のときに女装コンテストで1位を獲りました。女装とはかけ離れた,ストッキングをかぶっただけのものだったんですけどね。
あと,当時は,芸大祭の何日か前に仮装行列をやっていたんですが,バレー部に,すごく面白くてイベントが大好きな人がいて,その人を中心にみんなでむちゃくちゃ気合いを入れてその行進用の山車を作ったりしていましたね。祇園祭で有名な四条河原町から四条烏丸周辺をそれを引いて歩いていたんですよ。

 ある年,仮装行列で,木で巨大なおじさんの顔を作って,口が開くと,中にいる人が,「わー!」っと出てくるという仕掛けのものを作りました。そのときに「鼻から煙も出したらおもしろいんじゃないか。」と誰かが言い出して,煙の出る花火のようなものを持ち込みました。四条烏丸の交差点に着いたときに,「今だ!!」って,それに火を点けたら,その山車全体に燃え移ってしまったんですよ。「ここで火事を起こしたら大変なことになる。」と大慌てで消火しました。近くにいた見物客が「何だ何だ。」となったんで,「いや,何でもないです。」って言って,なんとかごまかしました。あれは本当に危なかったですね。火を消すのが,あと10秒でも遅かったらと思うと。その後,みんな青い顔でおとなしく烏丸通りを練り歩きました。今から思うと,京都のど真ん中ですごいことをしていたんだなと思いますが,校舎がまだ東山にあった時代の先輩達は,もっと無茶なことをやっていたという噂を聞いていたので,当時は,「それに比べたらおとなしいもんだ・・・。」と思っていましたね。

interviewer学生時代に作られた作品で印象に残っているものはありますか。

高嶺 生魚に漆を塗った作品。あれはさすがに先生に怒られました。しかも,その作品が,ある日突然消えてしまったんですよ。頑張って探したんですけど,全然見つからなくて,「猫が食べたんじゃないか?」とも言われたりました。

interviewer学生時代,将来への悩みや葛藤はありましたか。

高嶺 めちゃくちゃありました。でもそれは,ダムタイプ(※)の事務所などで,いろいろな方とお話をして,ちょっとは救われたかなと思います。無理していること,引っかかっていることなどを,吐き出すという訳ではないですが,人と話すことで理解できたりして,ちょっとずつ,ちょっとずつ,バランスをとりながら前に進んでいったという感じですね。

 あと,その頃,僕は日記をつけていて,それが解消法になっていたと思います。何かあったときは,メモをとるようにしていました。読み返してはいないんですけど,誰かに読まれてもいいようにというところは冷静に考えながら書いていたのを覚えています。



プロジェクト「Good House」
金沢21世紀美術館にて発表(2010-2011年)

interviewer大学を卒業されて,どういう方向に進んでいくかということに迷いはなかったですか。

高嶺 迷っていたと思います。僕らの学生時代は,就職は売り手市場で,大手企業からの求人もたくさんありました。

 当時,今ならどこかに就職できるかもしれないし,面接を受けて,入社して,ということも考えましたが,その時間をもっと制作について悩む時間に使う方がいいと思って,就職しない道を選びました。せっかく大学でいろいろな人に出会い,貴重な経験をしたのに,まだ全然作りたいものも作れていないと感じていたので,作品のことを考える時間が欲しかった。

 それからしばらくはアルバイトをしながら,ダムタイプの公演に出演したり,自分で制作活動をしたり,そんな生活を何年か続けました。

interviewer岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)には,どういったきっかけで入学されたのですか。

高嶺 その当時,京都に11年住んでいて,「ちょっと環境を変えないといけないな。」と思っていたときに,岐阜県にIAMASという新しい学校が出来たことを知りました。それで,京都芸大で非常勤講師をしていた方がIAMASで教えるということを聞いたのと,ダムタイプ的にも,大きな変化が来ていて,これからどうするかということを考えている時期だったので,本当にたまたまタイミングが合って,「よし,行ってみよう。」と思いました。

 僕が一期生として入学したので,まだ何もかもが新しく,教育研究に充てられる予算もすごくあったので,いろんな機材も揃っていたし,貴重な経験ができました。

※「ダムタイプ(DUMB TYPE)」dumbtype.com

1984年に京都芸大の学生を中心に結成されたアーティストグループ。
異なる専攻の学生が集まり,ダンス,映像,音楽,デザイン,建築など異なる領域を横断的に統合したパフォーマンス等を行い,在学中から国内外で幅広い活動を行う。

インタビュアー:美術研究科修士課程 日本画専攻 2回生 杉田 泉,松平莉奈
(取材日:2012年10月21日)
(取材場所:京都芸術センター)

Profile:高嶺 格【たかみね・ただす】アーティスト

1968年鹿児島県生まれ。1991年京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒業。
大学在学時からダムタイプによるパフォーマンスに参加するなど,パフォーマンス,ビデオ,インスタレーションなど多様な表現を行っている。
アメリカ帝国主義,身体障害者の性,在日外国人などの社会問題を扱った作品などで知られ,日本のみならず海外でも高く評価されている。
2003年,ヴェニス・ビエンナーレに参加。2011年から2012年にかけて日本国内3つの公立美術館で個展「とおくてよくみえない」を開催した。
著書に『在日の恋人』(河出書房新社,2008年)がある。