高嶺格さん 4/4
4.「いい先生」とは
過去に他の大学で客員教授をされていましたが,どのような授業をされていましたか。
高嶺 あのときは,いつも学生に「今日は何をしようか。」と聞きながら授業を進めていて,なんとなく出てきたものをまとめあげて作品にしていました。あまり教員と学生という関係ではなかったですね。僕は,学生を学生と思って接していなかった。仲間というほどではないですが,それに近かったかも知れないですね。そういう意味では,ちゃんと学生として扱って欲しいと思っている学生は,不満だと思っていたかも知れません。僕の授業を「すごく楽しい。」と言って,ちゃんとやる気を持って授業に出席してくる子と,離れていく子がはっきり分かれていました。
そのときに,各自が自分のヌード写真を撮影するという授業をされたとお聞きしました。
高嶺 それはワークショップで行った企画で,20代から40代ぐらいまでの人20人でやりました。そもそもは,ワークショップの担当者から,「“社会と個人の接点”をテーマに何かしてください。」と言われたので,「簡単なことですよ。裸になるんです。」と言って,その企画になりました。すごくシンプルな課題なんですよ。最初,それを説明したときには,「誰も参加者いないですよ。」とか言われましたけどね。
でも,いざふたを開けてみたら,みんな楽しくフレンドリーにお互いのヌード写真を見せ合って,盛り上がっていました。お互いに裸を見あった仲なので,仲間意識とでも言うのかな,3回しか集まっていないけど,最後の打ち上げでは,みんなめちゃくちゃ打ち解けていましたね。
ちょっとしたことで,関係はガラッと変わるんですよ。グジグジ考えているよりも,もう勢いで,裸になってみる。そうすれば,いろんなことがスッと入ってきて,すごく分かることがあるんです。すごい時間をかけて悩んでいたものが,ポンって瞬間で解決することがあるんです。
作家活動と家庭生活との両立はどうされているのですか。
高嶺 舞台等でどこかに一定期間滞在するときは,出来るだけ家族も一緒に行くようにしているんです。まだ子どもが小さかったときは,レジデンスで一箇月金沢に行ったり,横浜美術館の展示の前に一箇月半現地で過ごしたりしました。子どもが小学校に入ってからはちょっとそれが難しくなりましたけど。子どもが小さいときは,子どもも普段と違う場所だからというので盛り上がって,大広間で裸になってキャーキャー言っていることもありましたね。
将来の理想像のようなものはありますか。
高嶺 ないです。昔から将来のイメージは持たずに,運命に逆らわないというか,導かれるがままというような感じです。なので,将来の具体的な目標みたいなものはないです。
でも,来年から公立の美術大学で教えることになったんですが,常勤で教えるということは初めてなので,いい先生になりたいという思いはありますね。
「いい先生」のイメージはありますか。
高嶺 僕が学生時代の先生というのは,あまり“指導者”という感じではなかったんですよね。先生自身も作家として自分の作品を淡々と作っていて,学生が作っているのをちょっと見に来て,「ここはこうしたらいいんじゃないか。」と言って,また自分の作品を作りに戻って。型にはめるのではなく,学生に自分で考えさせる。でも,もちろん放ったらかしにする訳ではなく,困ったときにはアドバイスをくれて助けてくれる。そんな先生でした。「いい先生とは。」という具体的なイメージがあるわけではないですが,その先生はいい先生だったと思います。
僕は,自分が学生だった頃,“やりたいことと違う専攻に来てしまった”という思いがあって,その状況をどうすれば打開できるかなと思って,一生懸命考えて,漆とまったく関係のない作品を作ったり,パフォーマンスをしたりということをしていました。今思うと,先生が僕のそういった活動を見守ってくれていたおかげで,ジャンルにとらわれない活動が思う存分できたのではないかと思いますね。だから,僕もその先生のように教えていけたらいいなと思っています。
「敗訴の部屋」
水戸芸術館にて発表(2012年)
最近の学生を見て,自分のときと違うなと感じることはありますか。
高嶺 精神的な病を抱えて辞めていく子が多いという印象がありますね。僕の授業ではいなかったですが,他の先生に聞いたら結構いると言っていました。僕が学生だった頃と比べると,如実に変わっているなと思いましたね。「一体何が起こっているんだ。」と。
でもそれは,もしかしたら学生に限った話ではないのかもしれないですね。社会全体が,そういう風になっているのかも知れない。僕が学生の頃は,あまりそういう話は無かったような気がします。もしかしたら,そのときは表面にあがってこなかっただけなのかも知れませんが。
社会のきしみというか,思考停止に追い込むような現場がいっぱいあると思うんですよ。考えてはいけないとか。そういうところにいると人はすごくストレスを受けたりするから。それで全体的に増えているのかもしれないですね。
将来について悩みを抱えている学生にアドバイスを。
高嶺 「迷ったら一度立ち止まって,違う景色を見る。」
僕は3回生のときにいろいろ悩みを抱えていて,それで一旦立ち止まるという意味で休学しました。
その間に,アルバイトで貯めたお金で,ニューヨークとメキシコとマカオに行きました。その経験のおかげで,その当時の悩みが小さいものだったことに気付くことができたので,そのときの選択は正解だったと思います。その代わりにもっとスケールの大きな悩みが出てきたりして,“悩み”そのものが解消されたわけではなかったですが。
すごく覚えているんですよ。海外から帰ってきて,友達と海外での話をしていると,そのときの自分を,すごく俯瞰している自分を見つけて,「あれ,こんな感覚初めてや。」って。その感覚が二箇月くらい続きました。何をしているときも,自分をずっと見ている別の視点がなかなか消えずにありましたね。
インタビュー後記
インタビュアー:美術研究科修士課程 日本画専攻 2回生 杉田 泉,松平莉奈
(取材日:2012年10月21日)
(取材場所:京都芸術センター)
現代アートに難しさを感じていた私は,インタビューをするまで,その難しいことを日々アートとして表現されている高嶺さんに対して遠い存在であるというイメージを抱いていました。
しかし,インタビュー当日,高嶺さんは私のおぼつかない質問にも真っすぐ丁寧に答えてくださり,一つ一つの言葉を大事にされていて,とても繊細な感覚の持ち主なんだという印象を受けました。難しいと思っていた高嶺さんの作品やテーマも,高嶺さんの繊細さがあってこそのものなんだと感じました。
作品を作られるとき,ぎりぎりまで変更を重ねたり納得がいくまでやり直すなど,絶対に自分の感覚に嘘をつきたくないという姿勢に強く惹かれました。
お話を聞かせていただくうちに,いつの間にか,高嶺さんの存在が遠い存在から憧れの存在に変わっているのを感じました。(杉田)
ひとりの人間として対象と向かい合い,それが置かれた状況へ鋭く切り込んでいくように作品を作られる高嶺さんは,私にとって憧れのアーティストで,インタビュー前には緊張でいっぱいでした。でも,実際にお会いすると,とても素朴な語り口でユーモアたっぷりに話してくださいました。
インタビューを終えて,高嶺さんは,在学中から「どんな道を選ぼうが,自分のやりたいことに耳を傾け素直に従う。」という姿勢で制作してこられ,それがいまの作品へと繋がっていると感じました。
制作をしていると,「作る理由」を掘り下げていくべきか,目の前のものを作ることに専心するべきか,どちらが良いのか分からなくなることがあります。そんな私にとって,高嶺さんのお話は,「どうあっても,誠実に生きろ!」と背中を押してくれる声のように感じられました。(松平)
Profile:高嶺 格【たかみね・ただす】アーティスト
1968年鹿児島県生まれ。1991年京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒業。
大学在学時からダムタイプによるパフォーマンスに参加するなど,パフォーマンス,ビデオ,インスタレーションなど多様な表現を行っている。
アメリカ帝国主義,身体障害者の性,在日外国人などの社会問題を扱った作品などで知られ,日本のみならず海外でも高く評価されている。
2003年,ヴェニス・ビエンナーレに参加。2011年から2012年にかけて日本国内3つの公立美術館で個展「とおくてよくみえない」を開催した。
著書に『在日の恋人』(河出書房新社,2008年)がある。