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松井智惠さん 3/4

3.作品とは何か,芸術とは何か

interviewerその時から,工芸という感じではなく,ミクストメディアやスカルプチャーに近い感覚だったんですか。

松井 私は,立体は苦手だったのですが,興味がありました。

 美術作品を作らなければいけないとなった時に,まず「作品とはなんだろう」と考えました。 しかし,その答えを探して,画集や美術雑誌を見ていても,美術史の文脈が難しくて,あまりわかりませんでした。その頃,アーネスト・サトウ先生の写真基礎の実習がありました。まず,サトウ先生の学科の講義を取らないと,実習は受講できなかったのですが,その講義は学科の中でも特に面白かったです。

 それは現代美術の講義で,主な内容は,第一次世界大戦時からフォトリアリズムが始まる1970年代までの,アメリカの美術史を学ぶものでした。作品だけの歴史を追うのではなくて,それが作られた時の社会背景とともに授業を進めておられ,「ヨーロッパからニューヨークへアーティストが移ったからこうなった」とか,「この作家とこの作家との関係があったからこの作品が生まれた」など,作家が作品をゼロから生んだものではなくて,背景があって作品が成立しているという説明をしてくれました。それが,すごく面白かったです。

 今,現代美術の表現手段としてなされていることの多くは,実はかなり昔にもなされているんですね。作家がゼロから新しいスタイルの作品を生みだすということはほとんどなくて,過去にあった作品に,何らかの形でエッセンスが繋がっているんだと思います。

 写真基礎の実習でも,サトウ先生は,「写真とは何か」「何故この作品が評価されるのか」ということを論理的に分析して明確に教えてもらいました。先生は,熱意があって,学生を褒めるのがすごくうまくて,みんな授業時間を無視してずっと実習を続けていました。

interviewer大学院への進学を決められたのは何故ですか。

松井 ようやく3回生くらいから「作品とは何か」を考えることが始まり,4回生の卒業制作では,まだ入り口に立ったばかりだという気持ちがあり,本格的に学ぼうと修士課程へ進学しました。

 大学院の時には,写真の基礎についてサトウ先生の授業で学んだので,写真を使ったミクストメディアの作品を作っていました。

interviewer作家を続けていこうと思われたきっかけはありますか。

松井 当時も,現代美術の展覧会は開催されていました。その頃に活躍していた作家が様々な場所で講演をしていて,来日したクリストの講演を聴きに行ったりしていました。

 ある時,東京のギャラリーが出している小さい冊子を手に入れて,ヨーゼフ・ボイスという作家がいるということを知り,思い切って画集を買いました。画集に掲載された作品を見た時に,「あ,この人はオーソドックスな彫刻が作れる人だけど,最終的に表現手段としてこれだけのバリエーションの作品を作っていたんだ。」,「こんなことをしてもいいんだ。」と思ったんです。

 「作品とはどの段階から単なるモチーフではなく作品になるのか」というところで悩んでいた時に,その画集を見て,「私にも何か作れるかもしれない。」と思ったんですよね。

interviewerその時にどのような将来像を描いていましたか。

松井 私は,芸術を学びたいと思って京都芸大に入学したのですが,京都芸大で学ぶ中で,「芸術とは何か」という根本的な問題にぶち当たりました。

 そういった葛藤を抱えていて,学生時代には,明確な将来像は思い描けていなかったですね。大学院を修了する時にも,その葛藤はずっと続いていました。しかし,大学院まで行って芸術を学んだのだから,とりあえず,何らかの形で作家活動を続けていこうと思いました。

interviewer先生は作家を続けることに対して何かおっしゃっていましたか。

松井 大学院の修了前に,作家活動を続けていこうと思っていた私に,染織の先生が,「作家には,作品の質が落ちる時がある。例えば,賞を受賞した時や大きい展覧会に選出されるときなど,名誉を受けた時は作品の質が落ちやすいから気を付けるように」と言ってもらったんですね。

 修了前に,そういう作家として本質的な部分を言ってくれたのは,ありがたいことでした。それは今でも展覧会の度ごとに思い出すようにしている言葉で,ずっと自分の中に残っています。

interviewerすごくドキッとさせられる言葉です。その意識があるかないかでは,心境が大きく変わりそうですね。

松井 龍野アートプロジェクトでも,招待作家として出品しているのですが,招待作家というのはありがたいし,何十年もやっていたら展覧会の成り立ち,組み立て方も経験があって,若手の作家さんに比べれば,アドバンテージはあるかもしれないのですが,さきほど言った意味で,一つのピンチでもありますね。

「Untitled1989」
 インスタレーション[ミクストメディア,赤煉瓦,石灰,漆喰,  水性塗料,糸,鉄,パステル,ガラス,その他](1989年)
  撮影:石原友明

「水路」
 インスタレーション[ミクストメディア,鉛,煉瓦,石灰,糸,ガラス,ライト,蛍光灯,その他](1991年) 撮影:Tom Vinetz

インタビュアー:天牛美矢子(美術研究科工芸専攻(染織)修士課程1回生)
(取材日:2013年11月17日)※うすくち龍野醤油資料館にて

Profile:松井智惠【まつい・ちえ】 アーティスト

1984年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻(染織)修了。80年代より本格的なインスタレーションを手掛ける作家として注目を浴びる。90年代を通して,ニューヨーク近代美術館,サイト・サンタフェ等海外で紹介される機会も多く,その大掛りな空間造形と,微細なオブジェが融合した作品は高い評価を受ける。2000年以降映像作品を制作しはじめ,映像作家としても知られるようになる。2005年横浜トリエンナーレでは有名な寓話を大胆にモチーフに取り入れたHeidiシリーズを発表。話題を呼ぶ。2013年加須屋明子が芸術監督を務めた「龍野アートプロジェクト2013 刻の記憶」でHeidi 53“echo”を発表。2014年「大原美術館 平成26年 春の有隣荘特別公開 松井智恵プルシャ」開催。