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松井智惠さん 2/4

2. 京都芸大で学ぶ

interviewer何故,京都芸大を志望されたのですか。

松井 高校では美術部に入り油絵の具を使って絵を描いていました。その頃,将来は芸術に関わる仕事がしたいと漠然と思っていました。京都芸大を志望したのは,美術部の先輩が京都芸大に行っておられて,先輩の話を聞いて,大学の中の様子がよくわかっていたからです。また,両親に,自宅から遠い大学への進学は無理と言われていて,「通える公立大学」というのが,大学に進学する条件でした。京都芸大の試験に落ちたら,ファッションの専門学校に進学しようと思っていました。

 私の場合は,画塾は,夏季や冬期の講習にだけ行って,後は美術部の先生に指導してもらいました。あと,京都芸大や大阪芸大に進学した先輩達が夏休みに何日間か高校に来て,作品の講評をしてくれていました。美術部の先輩に課題を出してもらっていたのですが,それまで,油絵の具で絵を描いていたので,水彩絵の具で全然かけなかったのを覚えています。自分でも怖いくらい描けませんでした。この時は,毎日,入学試験と同じ条件で1枚はデッサンをしていました。

interviewer工芸科を志望されたのは何故ですか。

松井 染織の技法というか,浸透させる着色の仕方が勉強したいと思っていました。しかし,どの科で学びたいというよりも,とにかく京都芸大に入学したいという思いが強く,入学すれば,京都芸大は自由だろうし,どの科にいても,芸術は学べるに違いないと思っていました。

interviewer京都芸大での大学生活はいかがでしたか。

松井 京都芸大は,学生も先生も事務職員さんも人数が少ないので,みんな顔がわかっていて良かったですね。それと個性的な方も多かったです。

 専攻に分かれる前に,1回生全員が受講する「ガイダンス(現在の総合基礎実技)」があり,他の科の学生と一緒に共同制作を行いました。

 そこでは,音楽を使って作品を作るチームもあれば,人が入れるくらいの巨大な万華鏡を作ってその奥で映像を流したり,教室の床一面に空き缶を敷き詰めたりと,今だと現代美術というカテゴリーに入る作品をそれぞれのチームが作っていましたね。

 今ほど情報がない時代だったので,みんなで知恵を絞って制作をしていて,完成度もチームによってばらばらでした。器用な学生が集まっているチームは,精度が高い作品ができているし,そうでないところは,完成度の低い作品ができていました。

 ガイダンスを通じて,染織以外の色んな科の人と知り合いになりました。そこでできた友達を通じて,他の科の前後の学年の方とも繋がっていきました。

 私達の時は,先生をすごく身近に感じていて,「○○先生」と呼ばず,「○○さん」と呼んでいました。その一方で,先生の展覧会を見に行くと,先生の作品はレベルが違って,身近な存在でありつつ尊敬する存在でした。

 今,京都芸大を卒業して作品を発表されている学生は,完成度が高い作品を作っておられると思います。今の先生の指導の良さを感じますね。

interviewer先生からどのような指導を受けましたか。

松井 当時,私が習っていた先生は,もう亡くなられている方が多いんですけど,大学を楽しまれている感じがありました。染織基礎の毛筆画を担当されていた先生は,京都の寺町に美味しい焼き芋屋さんが当時あって,モチーフとしてたくさん買ってきてくださいました。それを描いて,描き終ってから,みんなで食べるとかね。小さい学校でしたし,アットホームな雰囲気でした。

 先生との距離がすごく近くて, どの先生も作家の自然な姿を見せてくれました。制作のしんどさを見せてくれる時もあって,そういう姿を見ていて,「作品とは何か」「芸術とは何か」を考えるようになりました。

 先生から学んだことは私のこれまでの作品づくりに影響があって,最初は,布を使って作品づくりをしていましたし,今でも色調に対してのこだわりはすごくあります。

interviewer大学時代は,染めの作品を作っていたんですか。

松井 大学院では,最初,生地にシルクスクリーンでプリントした作品を作っていました。それに綿を入れて半レリーフみたいにしたり,写真や手描きの線画を製版してプリントしたりしていました。その後はだんだん付随物が付いていって,ミクストメディアのオブジェクティブな作品に変わっていきましたね。

「Labour37」

 インスタレーション[ミクストメディア,フェイクファー,アドビレンガ,鏡,石膏,水性塗料,引き出し,写真,壁にシルクスクリーン](1995年) 撮影:石原友明

「Labour12」
 インスタレーション[ミクストメディア,フェイク   ファー,水性塗料,壁にテキスト,鉄,鏡,ドローイング,電球,他]
(1995年) 撮影:上野則宏

インタビュアー:天牛美矢子(美術研究科工芸専攻(染織)修士課程1回生)

(取材日:2013年11月17日)※うすくち龍野醤油資料館にて

Profile:松井智惠【まつい・ちえ】 アーティスト

1984年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻(染織)修了。80年代より本格的なインスタレーションを手掛ける作家として注目を浴びる。90年代を通して,ニューヨーク近代美術館,サイト・サンタフェ等海外で紹介される機会も多く,その大掛りな空間造形と,微細なオブジェが融合した作品は高い評価を受ける。2000年以降映像作品を制作しはじめ,映像作家としても知られるようになる。2005年横浜トリエンナーレでは有名な寓話を大胆にモチーフに取り入れたHeidiシリーズを発表。話題を呼ぶ。2013年加須屋明子が芸術監督を務めた「龍野アートプロジェクト2013 刻の記憶」でHeidi 53“echo”を発表。2014年「大原美術館 平成26年 春の有隣荘特別公開 松井智恵プルシャ」開催。