松井智惠さん 4/4
4.答えを求めて
「Heidi 52」映像インスタレーション[ミクストメディア,映像,赤煉瓦,石灰,漆喰](2012年) 撮影:福永一夫
大学院終了後,とりあえず制作を続けられたとのことですが,どのような活動をされましたか。
松井 作家にはなりたい。でもその前に「作品とは何か。」「芸術とは何か。」という根本的なところで,かなり止まっていたと思います。実は今でもその問題に対する葛藤は変わらず続いています。
止まっていたところからまた動き出せたきっかけは,サトウ先生の授業や,ヨーゼフ・ボイスの画集ですね。
その頃,西武百貨店が現代美術にすごく力を入れ始めていました。 当時の小さくモノクロ印刷された作品資料だけじゃわからないので,作品を見に友人たちと一緒に東京まで夜行電車へ乗って行きました。他には,大阪でギャラリーを借りて,作品の発表をしたりしました。
大学院を卒業して作家活動をしていこうという時に,父から「お座敷は断ったらいけない。」と言われたので,その当時から,特定のギャラリーでしか発表しないというスタンスではなく,機会があればとにかく発表させてもらっていました。でも,最近はさすがに体力的に無理になってきましたね。
20代30代の頃だったら,もうちょっと楽にできるところがあったのですが,経験を重ねるにつれて,こだわる場所が変わってきているということもあります。あと,私は,同時進行で作品を制作することができないんです。
これと決めたら,それに集中して取り組まれるということですか。
松井 集中というかそういう性分だと思います。本でも,ある作家の作品を気に入ったら,その作家の作品を全て読むんですね。次に,読み終えた本のあとがきに載っていた作家の作品を読むという感じなんです。
今まで制作を続けてこられた理由はどういったものですか。
松井 芸術活動を続けてきた,続けられてきた理由は,もう本当に色んな理由があります。芸術活動をすることで,自分が救われている部分もあるのですが,一番の理由は,「展覧会をやりませんか。」と言って下さった皆さんの「目」です。
未だに,「”芸術”というのは,太古からあるもので,色んな表現方法があるけれども,自分が今まで作ってきた作品が,芸術大学を出た出自から”芸術”と呼ばれているのかもしれないし,ひょっとすると”芸術”とは別のものかもしれない」と思うんです。バイオグラフィーを見たら,芸術活動をしている感じはするんですけどね。ただ,自分が”芸術”と呼んでいる”なにものか”が要らなくなることがあり得るかと言えば,それはないと思うのですね。
学生時代から,今まで作品を作り続けられ,松井さん自身に変化はありましたか。
松井 全然変わりましたよ。「目」は変わっていきます。やっぱり学生時代は,物事を狭い視野で見ていたと思います。今は,自分の作品を大事にはしているんですけれども,ある程度は突き放しています。それができるようになりましたね。
作品を突き放すとは,どういうことですか。
松井 作品を見る人によって,見方は変わりますし,作家が言う事が全てではないということです。作品づくりは大変なんですけど,大上段に振りかざしてばかりではなくなりました。芸術以外の仕事をしている人と知り合いになるというのは大事な事で,そういった方と普通の話をするという事は,大事なんですね。アーティスト同士で討論する時期があってもいいけど,芸術に全く興味のない人と話をするということもすごく大事だと思っています。
様々な手法を使って作品を制作されていますが,手法が切り替わる時のタイミングはどういったものですか。
松井 もうこの作品を作ったから,このシリーズはいいかなというタイミングがありますね。あと,ビデオを使い始めたのは,自分でも買える値段になったからで,経済的な状況なども影響します。プロ仕様のビデオカメラしかなかった時代から,家庭的な値段に近づいたと思えた頃です。インスタレーションを始めたきっかけは,アトリエがなくても現場で材料を調達してくることができるだろうという考えからでした。
今後,どういったことに挑戦したいですか。
松井 今後,発表するかどうかわかりませんが,文章だけで創造できる作品を作りたいと思っています。
京都芸大を志す受験生,在学生へ一言お願いします。
松井 京都芸大では,染織以外の学生とも,校内で出会ったら,その辺で雑談しているということが,何よりも良かったと思います。
あと,自分の将来に対して,目的を決めてきちっと一つ一つを達成していける人もいれば,そうじゃないタイプの人もいると思うんです。私は,ふらふらと迷い道ができる人というか,寄り道ができる余裕がある方が良いと思いますね。まっすぐ目的に向かって進んで行くというタイプの人だけが,必ずしも成功するとは限らないと思います。
最終的に自分が納得するということが大事ですけれども,作品自体の評価は,本人がいなくならないとわからないことが多いですし,芸術はすごく振り幅が大きいものですから,様々な出来事に大きく影響を受けます。個人的に起こる出来事も,社会的な出来事も,もちろん作品に反映されていきます。京都芸大で学んだ事を生かして,今の時代では「作家」という肩書きにしばられず,活躍していってほしいです。
作り続けていく人は,作品だけでなく,作品や自分を取り巻く周辺状況もよく見てほしいと思います。
私は,京都芸大の自由な校風の中で,先生に生の作家の姿を見て,自分で「作品とは何か」「芸術とは何か」を考え始めて,その答えを求めて今まで作り続けることができています。学生時代は,その葛藤に対して先生は何も教えてくれないと思っていましたが,「自分で見つけなさい。」という事だったんだと思います。
「Heidi 52 [BW]」(2012年) ©Chie Matsui
動画 Heidi 52 [BW](2012年) ©Chie Matsui
インタビュー後記
インタビュアー:天牛美矢子(美術研究科工芸専攻(染織)修士課程1回生)
(取材日:2013年11月17日)
インタビューに伺った時,トークイベントの後といった,忙しいスケジュールの中だったにも関わらず,松井さんは,大変丁寧に質問に答えて下さりました。
松井さんが語られた思い出はとても鮮明で,松井さんの作品の核となるものに触れるような気がしました。幼少期の記憶で語られたイメージから,今の作品に繋がる要素が感じられて,大変興味深いものでした。
単に興味深かっただけではなく,話の合間に言われた言葉からは,芸術に対する真摯な姿勢に接して,背筋の伸びるような思いをしました。アーティストとして活躍する先輩の言葉は,さりげないものでも,身につまされるような重みが有り,『私もがんばらなくては』と,励まされるような気持ちになりました。
松井さんが,染織を卒業していながら,なぜ今のような制作をされているのかも気になっていました。しかしお話を聞いていると,染織で表現をするのを”やめた”というより,自身の表現に必要なものの取捨選択をするうちに,今の素材に”移行した”といったような,自然な変容を感じました。
京芸の染織は,伝統工芸やテキスタイルでなく,アートとして作品を表現したいという学生が昔から多くいます。以前とは変わった所も多々あると思いますが,そういったことが受け入れられる場だったからこそ,松井さんのようなアーティストが生まれたのではないかと思います。厳しさもあるけれど,のびのびと制作できるこの大学で,私も真摯に自分の制作と向き合っていこうと改めて思いました。
Profile:松井智惠【まつい・ちえ】 アーティスト
1984年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻(染織)修了。80年代より本格的なインスタレーションを手掛ける作家として注目を浴びる。90年代を通して,ニューヨーク近代美術館,サイト・サンタフェ等海外で紹介される機会も多く,その大掛りな空間造形と,微細なオブジェが融合した作品は高い評価を受ける。2000年以降映像作品を制作しはじめ,映像作家としても知られるようになる。2005年横浜トリエンナーレでは有名な寓話を大胆にモチーフに取り入れたHeidiシリーズを発表。話題を呼ぶ。2013年加須屋明子が芸術監督を務めた「龍野アートプロジェクト2013 刻の記憶」でHeidi 53“echo”を発表。2014年「大原美術館 平成26年 春の有隣荘特別公開 松井智恵プルシャ」開催。