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森田りえ子さん 2/4

2. 写生への目覚め


ヨーロッパ旅行(ローマ/テルミニ美術館にて/1980年)

interviewer絵描きになると決めたきっかけは。

森田 大学卒業した年の冬,石本正先生主催による「フランス・スペインのロマネスク寺院と中世都市を巡るスケッチツアー」に参加させていただきました。2か月間転々とロマネスク寺院や中世都市を訪ね,ひたすら写生をする。30名の参加者のほとんどがプロの絵描きの方々でした。そこで,先生が「鬼のよう」に写生する姿を見ていて,自分も絵描きで死にたいと思いました。

interviewer学生時代からよく写生はされていたのですか。

森田 恥ずかしながら学生の時はほとんど写生をしたことがありません。大学院2回生の時に,上村淳之先生(現名誉教授)が講師をされていたカルチャースクールで助手をさせていただきました。生徒さんたちは自分の母親くらいの年齢の方が30名ほどでした。皆さんは花を描いていらしたのですが,「花は学生の時に1,2点しか描いたことがないし,どうしよう。」と思い,ぞっとしていると,生徒さんに「先生,たらしこみ(※)して。」と言われて,「たらしこみ・・・ですか。」と。たらしこみすらできなかったんです。その生徒さんには「この子,知らないな。」みたいな顔でバカにされるわけですよ。その時は上村先生の見よう見まねで何とか乗り切りましたが,「これじゃいけない。本気で写生をしなければ!」と一念発起しました。そこから生徒さんと一緒になって一から写生を始めました。生徒さんに教えるというより,逆に教わるように,一生懸命写生に出かけては描く。その繰り返しで,だんだん花を描く楽しみを身に着けていきました。ありがたいことに,当時のカルチャースクールの生徒さん達は私の応援団になってくださり,今も交流が続いています。

※たらしこみ:日本画の技法の1つ。色を塗って乾かないうちに他の色を垂らし,にじみの効果を生かすもの

interviewer写生からどのように作品を制作されていますか。

森田 私は,写生している間に,その作品のイメージを作り上げていきます。「自分は何に感動しているのか。」「自然が創ったはかり知れないほどの造形美を表現するには,どこをデフォルメしどこを省くか。」といったことをイメージしなから写生するのです。でも,写生の現場でそういうことは「自然」が教えてくれますね。それを感じられるまでひたすら写生をするんです。今は。パソコンを使うでしょ。それでは,感動を直に受けにくいと思うんですよ。写真を使ってもいいと思うんですが,とにかく現場に行って,その空気感の中で写生して,臨場感を心に焼き付けてから,絵に向かう事が大切だと思います。

interviewer始めから団体に属さずやっていくと決めていたのですか。

森田 卒業後初出品作で賞をいただき,しばらくは団体展に出品を続けていましたが,手ごたえがない。落選を繰り返す。そこで発想の転換に打って出ました。28歳の初個展を契機にワンマンショー(個展)での作品発表に形式を変えたのです。ただしコンクール方式の公募展には出品していました。

interviewer無所属でやっていくことに対して,不安はなかったですか。

森田 この先どうなるかわからないわけですから,もちろん不安はありましたよ。25歳で絵描きになろうと決めた時に,最低5年は頑張ってみようと思いました。30歳ならまだ転向できるだろうし,5年間頑張ってみて,だめだったらその時は違う道を考えようと。28歳で個展をするまでは,不安と葛藤でしんどかったですが,どこか楽観的でした。

 きっと何とか絵描きになれる!そんな気がしていました。何と浅はかな自惚れでしょう!?

インタビュアー:木田菜摘,出口義子(いずれも修士課程絵画専攻(日本画)1回生*)*取材当時の学年

(取材日:2014年12月15日・個展会場(大丸ミュージアム京都)にて)

Profile:森田りえ子【Rieko MORITA】日本画家

兵庫県神戸市生まれ。1980年京都市立芸術大学日本画専攻科修了 2000年京都市芸術新人賞,2011年京都府文化功労賞受賞。2013年から京都市立芸術大学客員教授。 四季を彩る花々や,京都の伝統文化を受け継ぐ舞妓達,エキゾティックな女性像等卓越した描写力で表現する日本画家。現在の日本画壇において,次代の日本画を託される画家として注目されている。