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山本容子さん 2/4

2. 銅版画の世界へ

interviewer入学して演劇を始められたのでしょうか。

山本 当時の京都芸大は学校の裏に坂があって,そこに部室が並んでいました。演劇部の部室もあって,ドアを叩いてみたけれど,クローズしている。なぜかといえば,私の入学前は学生運動が盛んで学校が封鎖されることもありました。大学に行ったところで授業もないから,やることがないわけです。だから前衛的な演劇に取り組んでいた人たちは,学生ながらに大学の外で演劇をやっていたんですね。

 今から考えればすごい時代でしたが,そういう時代だったからこそ,幸運にも見いだせたことがあったのかもしれない。今がどのような時代か,そのことについて思いを巡らせることが,まずアーティストとしては絶対に必要なことだと思います。

 結局,私は大学で演劇に取り組むきっかけを失い,その道には進みませんでしたが,別の方向から「70年代アヴァンギャルド」に触れてゆくことになります。

京都芸大の版画教室にて,銅版画を制作中(1975年)

interviewer演劇の道を断念された後,どうされたのでしょうか。

山本 演劇の道がなくなってしまったわけだから,絵を描くしかないですよね。芸術自体のことを何も知らないで入学しているわけだから,とにかく美術を学ばないといけないわけです。1回生の時は絵画や彫刻をはじめ,とにかく色々なことの基礎が出来るカリキュラムでした。初めて触れるものがほとんどでしたし,何も知らない自分にあきれながらも,とにかく勉強しないといけないと真摯に思いました。

 それから大学には各分野の専門の先生が大勢いらっしゃるので,あちこちの部屋に行って潜り込んで授業の様子を眺めていました。陶芸,油画,日本画,染織,彫刻,もうどこにでも行きましたね。その中で版画専攻は写真を使ったシルクスクリーンや写真が流行っていたこともあり,活気に溢れていましたし,当時いらっしゃった吉原英雄教授が「やりたい人はみんな来たらいい。芸術に垣根を作るのはおかしい。」と仰られていたこともあり,専攻の枠を超えて色んな人が出入りしていました。

比叡山のアトリエにて(1980年)

interviewerどういった経緯で銅版画に取り組まれることになったのでしょうか。

山本 そうやってあちこち覗いてみた中で,面白いなと思えたのが銅版画でした。同じ版画でもシルクスクリーンの部屋は賑わっているのに,銅版画の部屋は閑古鳥が鳴いていました。部屋に行って後ろの方からどうやって刷るのか様子を見ていたんです。私は銅版画のことを知らなかったから,真剣になんだろうと思いながら眺めていると,結構複雑な作業をやるんですよね。制作方法はすごく面白いし,銅も綺麗だし,その上,紙に刷り上がった線の美しさを見て感動を覚え,職人技を目の当たりにして素直に「これをやりたい!」と思いました。銅版画を始めたのは,そんな子供のような素直な無垢な感覚があって,これで何ができるんだろうと思ったことが出発点でした。

 「知らない」と言うと勉強不足とお叱りを受ける場合もあるかもしれませんが,知らないことだらけの世の中で知らないことに出会った時に自分が本当に感動できるかどうかという点は,創作活動にとって結構大事なポイントだと思います。

 3回生の夏のことですが,普段使っている画用紙に代えて,一枚500円する高級紙を使って制作に臨むことにしました。アルバイトをして貯めたお金で購入した紙の枚数は100枚。総額5万円という金額は,学生にとっては大きな買い物でした。プレス機に夏休みのスケジュール表を貼り,一夏で100枚を使い切りました。高級紙なので1回刷る度に緊張して作業に取り組むわけです。すると自分でも驚くほどに腕が上がり,その後の合評会では,吉原先生からも上達ぶりを認めていただけました。

インタビュアー:木塚奈津子,千葉あかね(ともに美術研究科絵画専攻(版画)修士課程1回生*)*取材当時の学年

(取材日:2015年11月9日・京都市左京区内ホテルにて)

Profile:山本容子【Yoko YAMAMOTO】銅版画家

1952年埼玉県生まれ。1978年京都市立芸術大学西洋画専攻科修了。

1978年日本現代版画大賞展西武賞,1980年京都市芸術新人賞,1983年韓国国際版画ビエンナーレ優秀賞,1992年『Lの贈り物』(集英社)で講談社出版文化賞ブックデザイン賞,2007年京都府文化賞功労賞,2011年京都美術文化賞,2013年京都市文化功労者表彰など国内外の多数の賞を受賞。

都会的で軽快洒脱な色彩で,独自の銅版画の世界を確立し,絵画に音楽や詩を融合させるジャンルを超えたコラボレーションを展開。数多くの書籍の装幀,挿画をてがける。

また,近年は新たなライフワークのひとつとして“ホスピタル・アート”に取り組んでいる。