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木村幸奈さん

1. 挫折からの始まり

interviewer京都芸大を志望した理由をお聞かせください。

木村 小さい頃はおとなしい性格で絵を書くのが好きでした。漠然と絵描きになりたいと思っていたのですが,今になって考えると,絵を描くと家族や周囲の人が上手いと褒めてくれたり,喜んでくれたから,それで絵を描くのが楽しいと感じていたのかもしれません。そして中学,高校へと進む内に,ただ絵を描くのが好きというところから,漫画やアニメに関心がシフトしていきました。高校時代はアニメーターを志望し,進路指導の際にはアニメの専門学校に行きますと伝えていたぐらいです。しかし進学校だったこともあり,先生からは専門学校ではなく大学を勧められ,私自身も大学進学の道を少しづつ考えていくようになりました。

 そうした中で,画塾に通ってデッサンを習い始めたのですが,そこで熱心な先生と出会い,その方が国公立を目指すべく真剣に指導してくれたんです。私は,他者に喜ばれることをモチベーションにしている節があるみたいで,先生の期待に応えたいという思いもあって絵に打ち込むようになりました。高校の授業はほとんどぼんやりしていましたが,放課後は画塾で1日6時間位デッサンに打ち込み,その甲斐もあってか京都芸大に合格することが出来ました。

interviewerプロダクト・デザイン専攻に進まれたのは何故でしょうか。

木村 大学に入学してみると,周りのデザイン科の人たちは当然絵がうまく,やりたいことを明確に持っている人が多かったんです。そんな中に入った時に,自分はこの先プロになってやっていけないんじゃないかと自信を失いました。

 3回生になって各専攻に分かれる時に,私は当初なんとなく絵が好きだったので,ビジュアル・デザイン専攻に進もうと思っていました。しかしそうは考えたものの,ビジュアル・デザイン専攻の場合,自分の描く表現ややりたいことを,すぐにでも求められるような気がしました。次第に1回生の時に感じた挫折感が頭をもたげてきて,やりたいことを明確に持ち合わせていない自分がこのままの状態でビジュアル・デザイン専攻に進んだとしたら,学生生活の残りの2年間を悩むだけで過ごしてしまい,結果として何も学ぶことなく大学生活を終わってしまうなと思ったんです。

 その当時はプロダクト・デザインにそれ程興味があるわけではなく,知っていたのは,先輩方が椅子やバターナイフといった使える道具の制作に取り組んでいるということ程度でした。でもプロダクト・デザイン専攻であれば,少なくとも自分の知らない技術的なことを学べるのではないかと考え選びました。

 実際の授業では,周りが上手い人ばかりに感じて講評が怖かったですね。周りから後ろ指をさされない程度にやってしまおうという気持ちになることも多くて,課題はなんとなくこなしてしまったものが多かったかもしれません。でも,プロダクト・デザイン専攻に進んで,家具を作ったり,木を裁断して削ってヤスリをかけたりする時は無心になって打ち込む自分がいて,そんな時に私は作ることが好きなんだなと再認識しました。

 その一方で,当時の制作は初めての経験が多かったこともあり,自分が作りたいものと実際の制作物とのクオリティが合致しないことがままあって,それがすごく嫌でくやしかったです。

interviewerそれまでは他の仕事を目指されていたのですか。

木村 プロダクト・デザイン専攻生の卒業後の進路の主流は,家電業界や家具メーカーでした。私は就職活動を進める中で,周りの皆に合わせつつも「私は本当にその道に進みたいんだろうか?」と自問自答しながら就活を進めていたんです。

 そんな時に高井節子先生が私に紹介してくれたのが,マツダのカラーデザイナー募集の話でした。その当時はカラーデザインの求人は,ほとんどビジュアル・デザイン専攻に来ていたと思いますが,マツダだけがプロダクト・デザインに求人を出していて,高井先生も「やってみたら?」という軽い感じで勧めてくれたように記憶しています。当時の私はマツダ本社の所在地すら知らなくて,受けに行ったら広島でびっくりしたぐらいでしたが,今では入社して本当に良かったと思っています。


木工作業の合間に友人と(2010)

interviewer学生時代に取り組んだ課題や授業で,今でも覚えているものはありますか。

木村 私が在籍した当時は,プロダクトデザイナーの安積伸さんが教えに来てくれていました。安積さんはプロとしてずっと第一線で活躍されている人だから授業は厳しいという前評判があって,学生時代の私も実際に厳しかったという印象を持ちました。でも今思えば,至極当然のことしか求められていなかったんだなと思います。当時は物事を緩く考えていたせいか,作り込みに対する細部を指摘されたり,なかなかアイデアが出ないのに他と違うことを求められたりすることが辛かったんですが,何ら厳しいことではなかったんだなと今では思います。むしろせっかく色々な事を聞くチャンスで,プロのアドバイスをもらえる貴重な機会にもっと真剣に取り組んでおけばよかったと後悔しています。社会人になってからは自分のためにモノづくりをする時間はなかなか取れませんし,誰かがアドバイスしてくださるというのも貴重なことです。モノづくりに自分自身で取り組んだ時間が懐かしく,時にはあの時代に戻りたいなと思います。

 学科では西洋美術史ですかね。とても初歩的ですが,美術史を学ぶまでは時代とデザインや表現との繋がりを意識していませんでしたから,そういったそもそものことを学んだことで,感覚的にデザインしていると思っていても実は歴史や宗教に影響を受けている部分があったり,美しく見える共通の概念があったりということに素直に驚き,美術を学ぶってそういう事かとやっと腑に落ちた瞬間で印象に残っています。今思うと,本当に自分の無知さと凡人さが情けないほどですが,このエピソードが後輩を勇気づけることができればと思います(笑)。

インタビュアー:土屋さおり(デザイン科1回生*)*取材当時の学年

(取材日:2016年11月4日・下京区役所にて)

Profile:木村 幸奈【Yukina KIMURA】マツダ株式会社 デザイナー

1989年,滋賀県生まれ。京都市立芸術大学美術学部デザイン科プロダクト・デザイン専攻卒業。2011年,マツダ株式会社入社。カラー&トリムデザイングループのスタッフとしてアクセラの開発に参加し,その後CX-3,デミオ等のカラーデザインを担当。現在はブランドスタイル統括部にてブランドデザインの監修を担当。