小倉幸子さん 3/4
3. ヴィオラ一本になる
ヴィオラ一本になる
神戸市室内合奏団にはどのくらいの間在籍されてたんですか。
小倉 1年半くらいです。短かったんですよ。
短い期間になるのは結果的にですか。
小倉 結果的にですね。全く予期せぬ出来事がきっかけでヴィオラに転向することになったんです。
ヴィオラは、学生のころから好きでよく弾いていたんです。卒業後は楽器も安いものですが自分で買って、両方抱えて仕事に行ってました。ある日ピアニストの姉に、「こんなオーディションがあるよ」と言ってチラシを目の前に差し出されたんですよ。それが、今井信子さんが主催の“ヴィオラスペース”のオーディションだったんです。
神戸市室内合奏団に入って半年も経っていなかった頃なんですけど、何故か受けてみようと思ったんですね。ヴィオラは大学で副科で習った以外に室内楽でしかやったことがなかったので、ソロの曲はほとんど全く知らない状態でしたし、自分はヴァイオリン奏者だと思っていたにもかかわらず、です。
人生二度目のオーディションがヴィオラでのオーディションだったんですね。
小倉 そうなんです。ピアノ伴奏を京都芸大で仲の良かった友達に頼んで、東京までオーディションを受けに行きました。今井先生と店村眞積先生のお二人が審査してくださったんですが、私の演奏について「ヴィオラについて“何にも知らない”というのがよくわかる」ということと、「ヴィオラを知らないで弾いているけど音楽的にすごく良い」ということをおっしゃってくださって、その場でヴィオラに転向する気はないのかとたずねられました。
私としてはヴィオラを専門にやってないから、合否を気にせずに気楽な状態で臨んだので、まさかお二人からそういう反応があるとは思いもよらず、「何が起こったんだろう」という感じでした。
その場では、神戸市室内合奏団の仕事を辞めてまで決断できないという話を、正直に言ったんです。その後1年間は迷いに迷ったんですけど、最後は店村先生から「ヴィオラをやるんだったら1本にしなさい」という言葉を聞いて決断しました。自分の音楽人生で、全く予期せぬ大きな転機でしたね。
ヴィオラに決められた後も、ヴァイオリンに対する未練はありましたか。
小倉 ありました。ヴァイオリンを辞めるなんて、そんなことできるはずがないと思っていたところはあります。でも、神戸市室内合奏団を退団するときには、これを機にヴァイオリンを辞めてヴィオラ一本になるんだと、気持ちの上で決意しました。
ただ、選んだ直後に「辛い」、「辞めたい」と思ってしまった時は、大決心して選んだのに我ながら根性なしだと思いました。
ヴィオラはどんな風に練習されたのですか。
小倉 迷っていた時期は神戸市室内合奏団の活動の合間に店村先生にレッスンしていただいてて、退団後にはサイトウキネンオーケストラの室内楽勉強会に参加する機会をいただきました。私よりずっと若い受講生たちに混じって、しかも関東の音大の学生が多い中で勉強していたので、正直、ちょっと肩身が狭いような気持ちもありました。
そんなちょっとしたことでも引け目を感じていたりしたんですけど、「自分なんて」という思いを制していかないと、どんどん怖気づいてしまうなとも考えたんですね。気が弱くなったときは、「まわりがどんな状況だろうと、私はヴィオラを練習するしかないんだから。」と何度も言い聞かせていました。
以前なら、自らを奮い立たせて前に進むタイプではなかったようですが。
小倉 確かに、自分の時間がたっぷりあった頃には、ごちゃごちゃ言い訳して行動に移せなかったようなことができるようになっていましたね。考える時間的余裕がない状況で、瞬間的に判断して行動できたのは、この時が初めてじゃないかな。だれでも普段から瞬時の判断をしているんでしょうけど、重大な局面では自分でもそういう決断ができるんだなあと驚きました。
後戻りできない
私はヴィオラに転向してから、弓を持つ右手の使い方の違いや“ヴィオラの音”が出せるようになるまでは苦労しました。
小倉 もちろん私も苦労しましたし、その苦労はかなり長く続きました。実を言うと今現在も続いているんですけどね。ヴァイオリンの頃は、ヴァイオリン特有のすごく音符が多い忙しい曲を器用に弾いていたから、ヴィオラは音符が少なくて弦を押さえる左手が楽で、割と簡単だなと思っていたんです。でも、店村先生に教わるようになってから、ビブラートや指使い、右手の弓を動かす感覚が大きく違うことを体感して、楽器の違いを思い知らされました。
それで、違いの大きさを実感してしまうと、今度は愕然として「もう弾けない」と思ったんですね。神戸市室内合奏団を辞めてから1年、2年と、どんどん下り坂でした。スランプというか、精神的に行き詰って、一時期は「もう辞めてしまおうか」というところまで思い詰めましたね。
ヴァイオリンのときもスランプの経験はありましたか。
小倉 ありましたが、そこまで辛くなったことはなかったですね。ヴィオラへの転向が、自分の一番苦しい時期でした。一大決心して移ったわけだから、後には戻れない。前に行くしかないんだけど、顔を上げることすらできなくなりそうなくらい落ち込みました。考えても考えても弾けないし、音楽を体で感じることも出来ているのか出来ていないのかわからないし、とにかく何をどれだけやってもできないという状態が続きました。
その頃、ヴィオラ奏者として呼ばれたあるコンサートをきっかけに森悠子先生と出会い、長岡京室内アンサンブルの活動に参加することになるのですが、私は森先生と出会ったことで、音楽の真髄とも言える深く踏み込んだ部分を見る経験をしたんです。それが、競争で勝つとか負けるとか、失敗するとか成功するとか、そういうレベルではないところでの音楽に人生で初めてつながった経験です。その時のことはとてもよく覚えています。あの身震いするような、なんというか、こんなに音楽が楽しいと思ったことがないという興奮状態で、本当に忘れられない瞬間です。
この時期の体験を経て、かつて競争を恐れていた自分から離れて、私なりの音楽が模索できるようになったと思います。
インタビュアー:大学院音楽研究科弦楽専攻(ヴィオラ) 2回生 細川 泉
(取材日:2012年3月24日)
Profile:小倉幸子【おぐら・ゆきこ】シカゴ交響楽団ヴィオラ奏者
1995年京都市立芸術大学卒業。神戸市室内合奏団で活動後、1998年ヴァイオリンからヴィオラに転向。2000年からシカゴ音楽院においてシカゴ交響楽団副首席奏者チャン・リクオのもとで学ぶ。シカゴ・シヴィック・オーケストラの首席奏者を務め、2001年5月にシカゴ交響楽団に入団。オーケストラメンバーとしての活動だけでなく、世界各地での室内楽の演奏会にも精力的に出演している。