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河内仁志さん 2/4

2.日本音楽コンクール優勝

日本音楽コンクール優勝

interviewer_music4回生のときに日本音楽コンクールで優勝されましたが,それまでに何回か受けられていたのですか。

河内 1回生の頃から毎年受けていましたよ。でも毎回「1次審査か2次審査を通過できればいいな。それができたら,もう満足。」と思って受けていました。というのも,全国から有名な音楽家がたくさん集まってくるんですよ。みんなすごく優秀な人達に見えて,自分だけ場違いだって思っていたので,本選に進むことすら絶対無理だと感じていました。実際,3回生までは3次審査にすら進んだことはありませんでしたしね。

 だから,4回生のときも,1次審査が終わって,「ああ,だめだった。」と思って,結果発表も待たずに,諦めて神戸の実家に帰っていたんです。でも,日本音楽コンクールは,結果が電話で聞けるので,一応聞いてみたら,「あ,通ってる。」と。それで2次審査に向けて慌てて東京に戻りました。2次審査が終わったときも同じように「ああ,今回もだめだった。」と思って,また神戸に帰って・・・結果的には東京に泊まっておくべきだったと思うぐらいに神戸と東京を何往復もしました(笑)。そんな調子だったので,3次審査が終わったときも,「よし,今回はいけた。」という感覚は無くて,本選の曲も全く練習していませんでした。ですので,3次審査の通過を知ってから1箇月後の本選のコンチェルトに向けて「どうしよう,全然知らない曲だ。」と思いながら,音源を必死で聞いて,頑張って譜読みして,ほぼ毎日レッスンを受け,本選に挑みました。

interviewer_musicでは,本選も「優勝するぞ」という意気込みはなかったのですか。

河内 もちろん「せっかく本選まで進めたのだから頑張ろう。」とは思っていましたけど,それよりも「東京のコンサートホールで弾けることって滅多にないし,良い思い出になるように楽しもう。」という気持ちの方が大きかったですね。だから自分が一位を獲るなんて夢にも思っていませんでした。日本音楽コンクールは,結果が壁に貼り出されるので,それが貼られたと同時に,出演者はみんなその壁の所にものすごい勢いで集まるんですよ。僕は,その圧力でなかなかそこに寄っていけなくて。先に見に行った人の波が落ち着くのを待って,時間差で見に行きました。一位という結果を見て,めちゃくちゃびっくりしましたね。

interviewer_music昔からそういう性格なのですか。

河内 あまりガツガツしないタイプですね。周りからもよく「マイペースだね。」と言われます。自分では結構必死に頑張っているつもりなんですけどね。

interviewer_musicコンクールの前でも,あまり緊張されないタイプですか。

河内 いえ,すごく緊張しますよ。緊張して訳が分からなくなって,頭が真っ白になることもあります。そういったときは,「何があっても最後まで弾けたらそれでいい。」と思うようにして,なんとか心を落ち着かせています。

interviewer_music卒業されるとき,進路についてどう考えられていましたか。

河内 当時は,大学院に進学したいと思っていたのですけど,日本音楽コンクールの本選が大学院の入試の日と重なってしまって,受験できませんでした。先生からも,「せっかく本選まで通ったのだから,コンクールの方に集中しなさい。」って言っていただいたので,大学院は諦めました。

 でもその後,卒業が近付いてきても,卒業後のことを全く考えていませんでした。先生から留学を勧めていただいたのですが,僕は飛行機が苦手で,「10何時間も一人で乗るなんて考えられない。」と思って,かたくなに拒んでいました(笑)。でも,最終的に「せっかく先生から勧めていただいたのだから,頑張って行ってみよう。」と思って,卒業した年の10月から,フランスのエコールノルマルに留学しました。

interviewer_music留学先の先生はどうやって探されたんですか。

河内 たまたま日本にジャック・ルヴィエ先生がいらっしゃったときにコンタクトが取れて,「フランスに行きます。よろしくお願いします。」とお話をしたら,快く受け入れていただいたんです。フランスに行ってからしばらくお世話になり,その後,ジャック・ルヴィエ先生からブルーノ・リグット先生を紹介していただいて,そこで指導を受けました。

interviewer_music日本音楽コンクールに優勝した後は,コンサートがたくさんあったのではないですか。

河内 ありました。エコールノルマルに入学してすぐに京都市交響楽団と共演をさせていただきました。フランスに行って,日本に帰ってきてコンサートをして,またすぐフランスに戻ってという生活でしたね。ピアニストとしてはありがたいことでしたが,飛行機嫌いの僕にとってはすごくきつくて,激やせしました(笑)。

interviewer_music留学生活はいかがでしたか。

河内 留学期間は1年だけで,パリの郊外に住んでいたのですが,あっという間に1年が終わりましたね。語学を勉強してから行ったわけではなく,「もうありのままで行ってしまえ。」という勢いで行ったんで,言葉には苦労しました。フランスで語学学校にも行ったのですが,よく分からなくて,「もういいや。なるようになる。」と開き直っていました。だから,言葉はもう適当に,身振り手振りで乗り切りました。でも必死で伝えようとすれば相手にも意外と伝わって,「なんとかなるものだな。」と思いました。

interviewer_musicフランスで出会いはありましたか。

河内 本当に様々な国の人が来ているし,日本人もすごく多かったんですよ。そういう人達と交流できたのは,良い刺激になりました。あと,京都芸大の先輩がスイスにいて,その方の学校の試験で伴奏をするためによくスイスまで行きましたね。それも飛行機なので,もう毎回死にそうな思いをしながら行っていました。やっぱり飛行機は,何回乗っても慣れなくて(笑)。

インタビュアー:北端祥人(音楽研究科修士課程 器楽専攻(ピアノ)平成25年修了)

(取材日:2012年11月30日)

Profile:河内仁志【かわうち・さとし】神戸市混声合唱団専属ピアニスト

1984年兵庫県生まれ。2007年京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業。

2001年第55回全日本学生音楽コンクール大阪大会ピアノ部門高校の部第1位。2006年第75回日本音楽コンクールピアノ部門第1位。併せて野村賞,井口賞,河合賞受賞。2009年第12回モノーポリ国際ピアノコンクール(イタリア)第3位,聴衆賞受賞。

これまでに,坂本恵子,徳末悦子,佐藤俊,田隅靖子,神谷郁代,坂井千春,Jacques Rouvier,Buruno Rigutto,Gerard Wyssの各氏に師事。

2013年から本学非常勤講師。