谷村由美子さん 3/4
3. 私には私の音楽の価値観がある
私には私の音楽の価値観がある
留学から戻られた後,京都芸大での教員を経て,現在は再びフランスで活動されていますが,それを決意されたのはなぜでしょうか。
谷村 京都芸大を退職し,日本ではなくフランスに住むことを選んだのは,音楽のためというよりは,私自身の“心”のためでした。音楽や教師としての仕事を続けることは本当に素晴らしいし,充実感をもたらしてくれます。しかし,私はあるとき,自分自身の中にそれだけでは満たされていない心の穴があるのに気付いたのです。周りからは「谷村さんは,すごく成功していて素晴らしいじゃない。若いのに京都芸大の専任の先生なんてすごいじゃない。」というようなことを言われることがとても多かったのですが,私の中には大きな悩みがありました。
ある人生の先輩が私に「人生の中には“インタレスティング”なことと,“インポータント”なことがあるんじゃないか」と言いました。音楽や仕事で成功して,いろんな機会をいただけることは,“インタレスティング”で“エキサイティング”でとても光栄なことです。しかし,一人の女性として人生を考えたときに,結婚や子どもを持つということは,私にとってとても“インポータント”なことでした。
あるとき,人生の伴侶となるであろう人が外国を拠点に仕事をしている現実と,私が日本で仕事をしている現実とが,私にとっての“インポータント”なことと,物理的にどうしても両立できないという難しい状況になりました。京都芸大で担当していた学生さん達との時間は,教師としての道を歩み始めた私にとって,素晴らしい時間です。しかし,どちらかを選択しなくてはならなくなったのです。
先ほどお話ししたような人生の価値観に共感していたにもかかわらず,自分に課せられた大学での責任や未知なるものへの不安に押しつぶされ,「人生を共に過ごしていきたい」と思える人と出会うことができた幸せをシンプルに捉えられず,結論を出せるまでに結局多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。
フランスに戻り,丸3年経ちます。今はやっと,当時悩みながらも出した決断は良かったと思えます。失ったものも沢山ありますが,こちらに拠点を置き直して,精神的にも充実し,自分自身,家族,そして音楽にじっくりと目を向けられる時間を与えられ,今の自分にできることに取り組んでいます。
2年前に,忙しいパリを離れて,今は高速列車のTGVで1時間ほどの自然豊かな歴史ある町に住んでいます。実は,この町の音楽院の声楽の教授が病気になられ,2011年の9月から教えに行っています。全く予期していなかったことですが,その学校は京都芸大と同じような少人数制の学校なので,京都芸大での教員の経験が大いに生きています。自分自身,授業の内容も以前よりパワーアップしていると実感できますし,環境の変化はいろいろありますが,今はただ柔軟に,自分の目の前のことを丁寧にするように心がけています。
今,歌われているのはフランスの作品が多いのですか。
谷村 フランス歌曲やオペラ,オラトリオなど,こちらでは特に自分をカテゴリー化していることはありません。私が歌えるものは,なんでも歌う,というスタンスです。リサイタルの時などは自分でプログラムが組めることが多いので,いろんな国の作品を混ぜることも多いです。
でもこれからは,自分のライフワークとなるようなテーマを見つけ,それを深く掘り下げてゆくというような作業をしてみたいです。
フランスではオペラが身近なのですね。
谷村 チケットが日本ほど高くないですし,若い人でもオペラに行きたいと思っている人が多いですね。パリではほぼ毎日どこかでオペラ公演がありますし,わたしの住む町でも2か月に一度のイベントといった感じです。オーケストラの公演も数えればもっとあります。例えば年末だったら,「魔笛」やオペレッタのような,子どもも楽しめるような演目が多く,就学前の子どもも一緒に楽しめるコンサートも豊富なので,小さい頃から自然と身近にクラシック音楽やオペラを感じているのでしょうね。
声楽家として活動されていて,喜びや楽しみを感じるのはどういった時ですか。
谷村 音楽には「力」があります。明日へ向かう希望だったり,病気や困難を克服するエネルギーだったり,また人生さえも変える力があるように思います。
音楽に関わる者として,このような音楽の「力」に触れ,図らずもそのエネルギーを誰かに与えたり,また,与えられたりするのを感じられるというのは,言葉では言い表せない喜びです。私の人生の中に「音楽」があって本当によかった。
逆に辛いことや苦しいことはありますか。
谷村 歌でも何でも,芸術には果てがないことですね。
物事に真剣に向き合っていると,苦しいことがあってあたりまえですもんね。音楽においては,辛く苦しいこと,というよりは大変なこと,といった感じでしょうか。年齢を重ねていくにつれ,自分の感性は色々な人生経験を通して,幅広く,豊かになっていきます。逆に体力的には徐々に下降線をたどっていくので,肉体的な部分と,感性の部分をどう上手にミックスさせて自分の伝えたい”歌”を作り上げていくか,という部分が難しいところではありますね。でも,それを苦しいとは感じなくなってきたような気がします。
逆に,多忙な毎日の中で,自分と向き合う落ち着いた時間(贅沢な時間!)をなんとか見つけ,そういうものをいつまでも追い求め続けられる事自体が,喜びであるような気がします。「果てがないから,素晴らしい」,学生時代に見たドキュメンタリー番組で京都の舞妓さんが言っていた言葉。私の座右の銘です。
すごいですね。
谷村 いえいえ,少し自分を客観的に見ることが出来るようになってきただけだと思います。素晴らしい演奏を聴いて,「わぁ,こういうのって本当に素晴らしい」,「私にもできたら」と思うのは学生時代と全く変わっていないと思いますが,躍起になって歌うのではなく,自然体の自分で表現できるようになりたいという思いの方が強くなってきました。
人が表現できる幅というのは,人それぞれ,経験や感性が全部ミックスされた中からおのずと出てくるものでしょう。今の私には今の私の音楽の価値観があります。今後も,私の音楽の価値観は,根本は変わらないと思いますが,柔軟に進化していくと思います。既成の評価などに自分の気持ちを無理に合わせる必要はなく,いつもまっさらな心で,自分が素敵だと思うものをジャンルを問わず開拓して,そこから受け売りでない,自分が本当に良いと感じたものを吸収して自分の音楽を作り上げていけたら幸せだなと思います。
リラックスできる時間や気分転換にされておられることなどはありますか。
谷村 飲んだり食べたりすることが好きなので,料理やお菓子をつくったり,その材料を買いに市場に行ったりすることが気分転換になります。あとは散歩やジョギングやガーデニングも季節の良いときは大好きです。ペットにも癒されます。いまはミニうさぎとモルモットを飼っていて,我が家はけっこう賑やかですね。それに,待望の赤ちゃんのお世話も増えました。慣れない育児と仕事の両立に,大変忙しくも充実した日々を送っています。
インタビュアー:伊藤黎(音楽学部 声楽専攻 4回生)
(取材日:2012年12月17日)※ビデオチャットでの取材
Profile:谷村由美子【たにむら・ ゆみこ】声楽家
1999年京都市立芸術大学・大学院音楽研究科修士課程声楽専攻首席修了。
びわ湖ホール声楽アンサンブル専属メンバーとして活躍後,2001年よりパリ高等音楽院(CNSMDP)声楽科大学院課程に留学。その後パリ国立地方音楽院(CNR)では古楽演奏のディプロムを取得。
バロックから現代まで幅広いレパートリーをもち,主にリサイタル,宗教曲のソリストとして活躍。
「ピエール・ベルナック声楽コンクール」,「リリー&ナディア・ブーランジェ国際コンクール」,「リヨン国際室内楽コンクール」で優勝,「エリザベート国際コンクール」セミファイナリスト,「日本音楽コンクール」入選など数多くのコンクールで優秀な成績を収めるとともに,「京都青山音楽賞」,「京都市芸術新人賞」を受賞するなど各方面から高い評価を得る。
京都市立芸術大学専任講師を経て,現在は拠点をフランスに移し,ヨーロッパと日本を中心に音楽活動を展開している。