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次田心平さん 2/4

2.コンクールはチャンスにつながる

interviewer_music授業以外の在学中の思い出はありますか。

次田  「エアーガン事件」というものがありました。ある日,今は,プロとして活躍している方なのですが,その友人と学内でエアーガンで遊んでいて,誤って大学の外灯を割ったことがあって,武貞先生や呉先生からものすごく怒られました。

 大学でそのことが問題になって,「次田を首席で卒業させ,音楽学部賞を授与するのはいかがなものか。」と意見が出たときに,呉先生が日頃の僕の練習する姿勢などを訴えて擁護してくれたと後から聞きました。そのおかげで無事に卒業ができ,音楽学部賞をいただくことができました。

interviewer_music在学中に,パシフィック・ミュージック・フェスティバル(※)に参加されていますが,海外での活動はいかがでしたか。

次田 パシフィック・ミュージック・フェスティバルに参加して,海外の若手のプレーヤーと交流して,いろんな刺激を受けましたね。

 2回生の時に,カナダで開催された,国際テューバコンテストにも出場し,不安いっぱいでカナダに行きました。チューバを大きい袋に入れていたので,入国管理局で止められて通してもらえず困っていたら,たまたまペラントウーニさんが通りがかって助けていただきました。この国際チューバコンテストでも,カンファレンスでいろんなプレーヤーの演奏を見て,聴いて,プレーヤーから個人レッスンを受けて,勉強しましたね。

 ※ パシフィックミュージックフェスティバル(PMF)は,世界の若手音楽家の育成を目的とした国際教育音楽祭。20世紀を代表する音楽家,レナード・バーンスタインの提唱で1990年に始まり,毎年夏に日本の札幌を主会場に開催 している。

interviewer_music在学中は,どんな活動をしていましたか。

次田 在学中に,京都芸大の音楽棟で学外のトロンボーン奏者の方に「ディキシーランドジャズのバンドをやらないか」と誘われ,そのバンドに入りました。モデルルームなどで演奏したり,毎週土曜日にレストランでの2公演に出演していました。公演の間の休憩時間は,食べ放題,飲み放題ですし,出演料もいただけたので,すごく良かったですね。

 そのバンドには,宝塚歌劇団のサックス奏者もおられましたし,自分でバンドを持って活動されている方など活躍されている方がいっぱいいらっしゃって,すごく勉強になりました。たまたま,暇なチューバ奏者を探しに京都芸大に来られていたんだと思いますが,声をかけてもらえてラッキーでした。

 その他にも,大学の友人とアンサンブルを組んで,いろんな施設に自分たちを売り込む葉書を送って,演奏する場を作っていました。結構,需要があって,小学校や介護施設,障害者施設などで演奏することができました。そのような施設では,お子さんや来所されている方々になじみのある曲を演奏しましたね。

interviewer_musicそれらの活動は演奏家としてプラスになりましたか。

次田 アンサンブルは生きていますね。今は,クラシックだけで活動するのは厳しいところもありますし,金管五重奏にしてもジャズの曲をやったりするので,そういう場面でも生きますよね。

 ディキシーランドジャズをやっているときは,お客さんがすごく身近で,手を伸ばせば届くぐらいの距離で演奏するんですよ。だから,クラシックとは違って目の前でお客さんの反応が見られるんですね。それも勉強になりましたし,「楽しく吹く」という原点を強く意識できたことがクラシックの演奏に還元されていると思います。クラシックは,悲しい曲を演奏することはありますが,それも,音楽を楽しまないとできないんです。素で音楽を楽しんで,それがお客さんに伝わるということ自体は,共通している部分ですね。

interviewer_music在学中から,日本管打楽器コンクールチューバ部門で何度も入賞されていて,第24回には満場一致の1位を獲得されています。次田さんにとってコンクールとはどういったものですか。

次田 日本管打楽器コンクールに入賞して,いろんなオーケストラから出演依頼をいただけるようになりました。最初は,入賞者全員に声がかけられたようですが,呼んでいただいた時に演奏を評価してもらって,それを繰り返すうちに,最初に出演依頼をいただけるようになっていきました。そうして,日本フィルハーモニー交響楽団などいろんなオーケストラに呼んでいただくようになりました。

 コンクールは,チャンスにつながるもので,コンクール入賞をきっかけに得たチャンスをものにしていくことがすごく大事だと思います。

interviewer_music在学中に思い描いていた将来像はどういったものでしたか。

次田 大学生のころは,疑いもせず,オーケストラのチューバ奏者になると決めていました。そのために,大学でも,毎日,他の学生を見つけて,オーケストラスタディをしていました。

 あと,実践経験もつまないといけないと考えていたので,オーケストラの曲を金管楽器,木管楽器,打楽器に分かれて演奏する,「管・打楽合奏」の授業もすごくためになりました。

 在学中から演奏のお仕事をいくつかいただいてはいましたが,この先どうなるかわからないし,さすがに4回生になると不安にはなりました。しかし,数年後に札幌交響楽団のチューバ奏者が空くことがわかっていたので,それまではペラントウーニさんのところへ留学するなど,自分の力を信じて続けようと思っていました。

 周りからは,「怪我などで演奏ができなくなることもあるかもしれないし,音楽以外の道も考えておいた方がいい。」とアドバイスを受けていました。僕はアメリカに行ったときに,アメリカの方は甘いソースが好きな方が多かったので,アメリカで甘いソースのお好み焼きを出せば絶対受けるという変な自信があって,もし演奏ができなくなったら,アメリカでお好み焼き屋を出店しようと思っていました(笑)。

インタビュアー:三角顕史(管・打楽専攻修士課程2回生)
(取材日:2013年11月7日)※日生劇場にて

Profile:次田心平【つぎた・しんぺい】読売日本交響楽団 チューバ奏者 

京都市立芸術大学音楽学部管・打楽専攻卒業。

1999年PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)にジュニアフェローで参加し,ケネス・エイミス氏に学ぶ。2000年カナダにて国際テューバコンクールのセミファイナルに出場。その後,インディアナ州立大学の教授ダニエル・ペラントウーニ氏の自宅にて数週間教えを受ける。2001年PMFに正式メンバーとして参加。同年,第18回日本管打楽器コンクールテューバ部門第4位,第21回同コンクール3位と続けて入賞。2002年,大学を首席で卒業し音楽学部賞,京都音楽協会賞を受賞。読売新人演奏会に出演。2003年~2008年,日本フィルハーモニー交響楽団に在籍。第24回日本管打楽器コンクール,テューバ部門において満場一致の1位となる。日本フィルハーモニー交響楽団をバックに協奏曲を共演。侍ブラス,ジャパンテューバソロイスツ,Break Throughのメンバーとして,演奏活動を展開するほか,関東の大学,高校で後進の育成にも力を注いでいる。