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玉木 優さん 2/4

2.海外挑戦


interviewer_music海外での活動のきっかけは何ですか。

玉木 4回生の時にPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル ※)に参加したことですね。それまで漠然と外国に興味があったのですが,この参加を機に世界がガラッと変わりました。同年代の世界各国の若手音楽家と出会ったのですが,彼らは有名な音大や音楽院の学生で,この人たちにできるのなら,自分にもできるのではないかと思えて,海外がすごく身近に感じられるようになりました。

(※)PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)・・・指揮者で作曲家のレナード・バーンスタインによって1990年に札幌に創設された国際教育音楽祭。毎年7月の約1ヶ月間,世界を代表する音楽家を教授陣に迎え,オーディションで選ばれた若手音楽家を育成する「PMFアカデミー」が開講されている。


札幌コンサートホールKitaraにて,大学4回生の時に参加したPMFのロウブラスセクション(2002)

interviewer_musicキャリアの中での転機は何ですか。

玉木 京都芸大卒業の年に,アメリカのある音楽院への進学を志望したのですが,年齢オーバーで受験できませんでした。翌年渡米し,今度は留学ではなく仕事を探そうとアメリカの楽団のオーディションに挑戦し,ミシシッピ交響楽団に合格しました。こうして海外でプロ奏者としての生活をスタートさせたのですが,2年くらい経ったところで,再びアメリカの音楽大学で学びたいという気持ちが強まりました。交響楽団を退職し,PMF参加時に出会い,渡米を強く勧めてくれたピーター・サリヴァン氏が教鞭を執っていたデュケイン大学大学院に入学しました。

 その後,日本とアメリカを行き来しながら活動の場を模索し,東京佼成ウインドオーケストラに入団しました。入団後しばらくして,長年レッスンを受けたいと思っていたウィーン・フィルで首席奏者(当時)を務めていたイアン・バウスフィールド氏のレッスンを受ける機会に恵まれました。レッスンを受ける中でバウスフィールド氏に対して自分のこれまでの経緯やヨーロッパで挑戦してみたいという思いを伝えたところ,彼の方から「近い将来ウィーン・フィルを辞めてスイスのベルン芸術大学で教えることになるから,その時期に合わせてスイスに来たらどうか?」と誘ってくれたんです。その矢先,幸運なことに文化庁海外研修奨学生に選ばれ,1年間の留学が決定しました。現在の職である南デンマークフィルハーモニーに合格したのも,この留学期間中のことです。

 このように京都芸大を卒業後,アメリカ・日本・ヨーロッパと活動の場を転々としてきましたが,自分にとっての一番の大きな転機は,スイスでバウスフィールド氏に師事したことだと思います。クラシック音楽の源流であるヨーロッパに身を置いたことで,自分自身のクラシック音楽そのものに対する考え方が大きく変化しました。

interviewer_music海外での演奏活動を通して得たことはありますか。

玉木 日本に生まれ育ち,生活するということは,家族や友人など,ある程度共通の考え方や常識,世界観を持った環境の中で生活するということだと思います。逆に海外には様々な国籍や文化を持つ人がいて,自分の常識だけでは通用しない世界が広がっています。私はその違いを実際に肌で感じて,一度きりの人生,自分の知っている範疇だけで過ごすのはもったいないと感じます。特に,西洋音楽を演奏しているのにヨーロッパ文化を知らないのは,日本で本物の寿司を食べたことがないくらいにもったいないことだと思います。

インタビュアー:中村文香,寺谷春乃(いずれも管・打楽専攻3回生*取材当時)

(取材日:2015年12月28日・下京区役所にて)

Profile:玉木 優【たまき・ゆう】トロンボーン奏者

1980年兵庫県出身。2003年京都市立芸術大学音楽学部卒業。

2012年度文化庁海外研修奨学生としてスイス・ベルン芸術大学を最優秀で修了。米国ミシシッピ交響楽団,東京佼成ウインドオーケストラを経て,現在南デンマークフィルハーモニー管弦楽団副首席奏者。日本管打楽器コンクール第1位,韓国チェジュ国際金管楽器コンクール第2位ほか,国内外で受賞多数。また2013年よりプロ奏者育成のためのワークショップを主宰。音楽之友社「バンドジャーナル」誌にてコラムを連載。