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岡田圭子さん

1. 幼少時代〜学生時代

幼少時代~京芸入学前

interviewer小さい頃はどのように過ごされていましたか。

岡田 美術が本当に好きでした。小さい頃から時間があれば色鉛筆やクレヨンで常に絵を描いているという子供だったんです。「作る」とか「描く」というのが大好きで、いろんなノートにいっぱい服を描いたり、イメージを描いたりして、何冊もノートがたまっていました。だから将来、美術の世界に進めたらいいなと思っていました。

interviewer京芸を目指された理由は何ですか。

岡田 私の母親は典型的な専業主婦で、お掃除も完壁で料理も上手で洗濯もクリーニング屋さんよりも綺麗というくらいでした。今は母親の生き方も理解しているし、素晴らしいなと思っています。しかし、当時は理解できなくて、本やテレビを見ると、海外では女性が社会のいろんなところで活躍されていて、それを見て私もそんな生き方がしたいと思いました。

 中学生ぐらいから、手に職をつけて一生仕事を続けたいと思っていて、高校進学の時に、専門の高校に行きたいと学校の先生に相談したんですけど、「普通高校に行ってもう少し勉強をして、それでもそちらの方に行きたかったら芸術大学に行きなさい。」とアドバイスしてくださって、普通高校に通いました。

 その後も気持ちは変わらず、芸術大学の入試の傾向を踏まえて実技を教えてくれる予備校に通いました。そこに京芸のデザイン専攻の生徒さんが来て、色彩構成などについてアドバイスをくださっていて、私の先生は、京芸の高井一郎先生(現名誉教授)の生徒さんでした。

 その先生はすごくいい先生で、いろいろと相談にのってくださいました。「仕事をずっと続けたいというのが一番強い願望なので、それを実現したい。」という風にお話したら、「工業デザインをやったらいい。工業デザインは、企業に入って少なくとも5年間は下積みを積んで、ある意味職人のようにいろんなノウハウを覚えてようやく一人前になる。そこからさらに経験を積んで能力を高めていく。感性だけではなくて、ノウハウが蓄積されて初めてできる仕事なので、ずっと勤めたいのであればいいのではないか。」と言われました。それで京芸のデザイン専攻に進もうと思いました。

学生時代

interviewer大学の授業はどのような感じでしたか。

岡田 大学の授業では、高井先生が「デザインは習慣を変えることができる。」とよく言っておられました。高井先生の授業は、はじめから「コップをデザインしなさい。」とかいうのではないんですよね。「世の中の仕組みを変える」とか「新しい習慣を作る」というところから考えさせられました。例えば、ゴミ箱をデザインする時には「ゴミのサイクルはどういうものか」を考える中で、こういう分別ができる大きなゴミ箱を作ろうという授業だったんです。

 世の中の変化を見てこれからどういう方向に向かうのかということを見極めて、じゃあどういうものを作らないといけないかということを考えて、それから形に落とすということなんですね。これは難しかったですよね。一から何が求められているかを考えないといけないというのはすごく悩みました。

 「美しさ」についてはまた違う授業で、例えば取手をつくるのに、木を自分で削っていっていかにきれいな形をつくるかというようなことをやりましたね。

 また、高井先生は本当にいろんなところに連れて行ってくださいました。研修旅行というのがあって、大量生産している工場に連れて行ってくださったり、みんなが最終的にどういうところに就職するかを想定されて、授業の中に社会をみるというか、デザイナーとしてどんなところにどんな仕事があるのかを学ぶために、いろいろと連れて行ってくださいました。

interviewer授業以外の学生生活はいかがでしたか。

岡田 授業とか課題は一生懸命やっていましたけど、それ以外は、もうハチャメチャにやっていましたよ。私の頃は、東山にキャンパスがあったんですけど、先輩に校庭のどろどろの丸池にはめられたり、鞍馬山にみんなで夜に登ったりといろいろしていました。みんな下宿していたし、そういうことは加減なくやっていて、楽しかったですね。

インタビュアー:美術学部 染織専攻2回生 城田香菜子
(取材日:2012年2月10日)

Profile:岡田圭子【おかだ・けいこ】シャープ株式会社 執行役員

京都市立芸術大学美術学部デザイン専攻卒。昭和53年シャープに入社し、主に生活家電のデザインや企画部門を歩む。調理システム事業部長を経て、平成22年10月からオンリーワン商品・デザイン本部長兼ブランド戦略推進本部長、23年4月から執行役員、24年4月からブランド戦略推進本部長 執行役員。