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釜野真理子さん 2/4

2. 京都芸大を卒業して

教育実習だけのつもりが


 

interviewer学生時代にしておいて良かったと思うことはありますか。

釜野 頑張って教職課程を取得したことですね。JICA(青年海外協力隊)を受けたときに必要だった条件や資格の中でも、教員免許を持っていたことは重要だったと思います。

 実は、在学中に単位を取得できなくて、卒業後も聴講しに通学していたんです。3回生の時に、思い出作りのつもりで、教育実習に行くために必要な単位だけを取りましたが、まさか自分が先生になるなんて、その頃は想像もしていませんでした。

interviewerでは、卒業後、聴講生になってまで残りの単位を取得したのにはどんな理由があったのですか。

釜野 教育実習がとても面白かったんです。生徒側の目線しか知らなかったけれど、教壇に立って教える側の魅力に気づき、教員免許を持っておきたいと思いました。でも、時すでに遅しで、卒業までに取得が間に合わない程の単位数が残っていたので、聴講生になりました。

 授業を受けてみると、どの教職の授業も面白かったです。大学時代には気付けなかった授業のありがたみが分かった気がしました。すると先生にも熱意が伝わったみたいで、よく面倒をみていただきました。

図工の講師へ

interviewer聴講生としての1年間は、どのような生活をしていたのですか?

釜野 午前中は講義を受けて、午後はアルバイトという生活を続けて、1年で取得しました。「さぁ、教職免許は取れた。これからどうしようかな。」と思っていた時に、教職担当の横田学先生(総合芸術学専攻)の薦めで、小学校の図工の講師をやり始めました。児童数が少ない学校で、1年生から6年生まで全学年の図工を担当していたので、大変でしたよ。さっきまで元気いっぱいの1年生を教えていたと思ったら、次は思春期にさしかかった6年生が入ってくるみたいな(笑)。

interviewerこれまでの生活から一転し、小学生たちと関わる毎日が始まったわけですね。

釜野 もう、てんてこまいでした。秋に「図工展」という学内展をしないといけないことになってたんです。初めは必死でしたけど、少しずつ慣れ始め、気持ちに余裕が出て来た頃に、「小学生の発想って面白い!」と感じるようになりました。彼らの作品の説明を聞いてみると、とても個性的な答えが返ってくるんです。秋の図工展は成功し、晴れて任期をつとめる事ができました。

 その後は、大阪にある児童館の指導員を始めました。館内にある創作工房で、子どもたちにものづくりの楽しさを伝える仕事です。そこで働いているうちに、他の小学校の図工の先生にお誘いを受けて、平日は小学校に行き、土日のどちらかは児童館に行くという状態になりました。

interviewerまたもや大忙しになりましたね。

釜野 そうなんです。でも、最初の小学校での経験のおかげで、気持ちにゆとりを持って、自由に授業ができるようになりました。図工室で試作したり、次の授業の内容を考えるのが好きでしたし、授業の時間は子どもたちと一緒にものづくりを楽しんでいました。態度や口が悪いと言われている子も、図工の時間には一生懸命に取り組んでくれて、嫉妬しちゃうくらいすごい発想をすることがあって、面白かったですね。

interviewer教える側の立場に立って、京都芸大の先生にしてもらったことなどで参考にしたことはありますか。

釜野 すべての生徒ときちんと向き合うこと。子どもたちの表現は本当に様々ですが、それを尊重し、可能性の光を消さないように気をつけていました。

interviewer京都芸大を卒業後は、ずっと小学生の図工に携わる日々ですね。教員免許を取られた頃から、子どもたちに教えることを意識されていたのですか。

釜野 強く意識していたわけではなかったですが、いざ働いてみると、大人といるより子どもたちといる方が自然な感じがします。私、今の仕事で初めて、大人ばかりの中で働いているんですよ。それまで子どもたちのそばでしか働いてなかったから、最初は少し不安な感じさえしました。

知らない国の生活を知りたい


 

interviewer国際支援に興味を持ったきっかけは?

釜野 大学の卒業旅行でインドに行った時に、ブータンに隣接するシッキム州という、かつてブータンのように王国だった州を1ヶ月くらい旅しました。人々の生活の雰囲気が、初めて見る感じじゃなくて、チベット仏教のお寺などを見ていても「なんか落ち着くなぁ」、「また行きたいなぁ」と思っていました。

 その時に、隣のブータンにも行ける機会があったものの、時間とお金がなくなってきていたため、とても興味はあったのですが、その時は行かなかったんです。縁があったらまた行けると思っていました。

interviewerでは、一度すぐ近くまで行かれていたのですね。

釜野 そう、本当に今住んでるところの山の向こうなんですよ。不思議ですね。

 帰国後、ブータンの生活を知りたくて調べていると、専門のガイドを付けなくちゃいけなかったりして、自由旅行ができない国なんですね。ガイドの案内だけで見れるものって限られてるだろうし、本当の暮らしを知るには、住まないと分からないんだなって思っていた矢先、JICAのブータンでの美術教育の立ち上げを支援する活動を知りました。ところが、この活動に応募したい旨を母に伝えたら、私の事を心配して涙を流して反対されました。

interviewerお母様にとって、旅行と仕事では、娘を海外に送り出す気持ちが全く違ったのかも知れませんね。

釜野 私も、母親を泣かせてまで行くのはどうかと思い直し、一度は諦めました。それに、自分にはまだその活動に協力できるほどの経験値が無いとも思いました。

 その後、さきほど話しました小学校と児童館で働いて、その後は中学校でも講師のお仕事をしました。そして、中学校の美術の授業が次年度から少なくなるという時期に、他に掛け持ちを探すように言われたとき、もう一度JICAの活動に挑戦しようと思いました。

 そして久しぶりにJICAのホームページを見てみたら、私が行きたいと思っていたブータンの募集がまだ残っていたんですよ。これは今しかないと思う反面、「お母さんを泣かせてしまったし」という気持ちの引っ掛かりはありました。でも、初めの書類審査が駄目だったら受けてないのと一緒だと思って、書類を提出しました。そしたら審査に通過して、とうとう親に経緯を伝えました。父親にもやはり反対されましたが、「この面接が駄目だったら諦めるから。」と説得し、面接に行かせてもらいました。

インタビュアー:美術学部 日本画専攻4回生 町田藻映子

(取材日:2012年11月5日)

Profile:釜野真理子【かまの・まりこ】JICA青年海外協力隊

京都市立芸術大学美術学部染織専攻卒業。小中学校の図工の講師等を経て、現在は青年海外協力隊(JICA)としてブータン王国の玄関口となるパロに在住。教育省のカリキュラム局にて、ブータンで初めての美術科目の立ち上げに携わっている。