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釜野真理子さん

1. お祭りが大好き

みんなが喜んでくれるから


 

interviewer幼少期はどんな子どもでしたか?

釜野 小さい頃は、思っていることを人にうまく伝えられず、溜め込んで泣くような子でしたが、小学生になると、なぜか「表に出たい」という性格に変わりました。小学校での朝の会で話すことにオチを付けたり、好きだった本読みでは「間違えずに読む選手権」みたいな行事で最後まで残ったほど。みんなが喜んでくれるから、人のものまねもよくやっていました。そして絵を描くのも好きでした。祖母が、俳句や水墨画や染め物などが好きな多趣味な人だったので、横で一緒に遊ばせてもらえたのが影響してるのかも知れません。

interviewerその頃の夢は何でしたか。

釜野 私、中学受験をしたんですが、その時の面接でも「夢は何ですか」と聞かれたんです。その時に真面目な顔して、「シャチに乗って、歌を歌う人になりたいです」と言ったら、面接官の先生に苦笑いされちゃいました。本人は凄く真剣だったんですよ。卒業アルバムの最後にも、ちゃんと自分がシャチに乗って歌っているところを書いていますから。本気で夢見ていたんですけど、今のところ叶っていません(笑)。

interviewerまだいけるんじゃないですか(笑)。

釜野 人が喜んでくれることをするのが好きだから、いつか叶えちゃうかも知れませんね。

interviewerそんな釜野さんが、どういった流れで京都芸大を目指す事になったのでしょうか。

釜野 私、初めは東京に漠然とした憧れを抱いていたんです。でも、高校のときに通っていた大阪の画塾の先生が大好きで、受験勉強も楽しくないと続かないと思い、関西で進学しようと決めて、京都芸大を目指しました。その先生のおかげで実りある受験生活を送ることができ、京都芸大に入学する事ができました。

お祭りが大好き

interviewer京都芸大に入学されて、印象的だったイベントや出来事はありますか。

釜野 芸大祭ですね。1回生の時は歌合戦で新人賞をもらい、2回生の時はグランプリを獲って、歌合戦の常連でした。芸大祭の楽しみ方は、ラグビー部の先輩たちに伝授されました。ONとOFFの切り替えの大切さも。その先輩たちには今もお世話になっています。あと、お祭り好きが高じて、「祭部」というクラブを立ち上げました。彫刻専攻の野村仁先生(現名誉教授)に顧問をしていただいた正式な部活で、皆で面白そうなお祭りを見に行ったり、自分たちでお祭りを企画したりと楽しかったですね。

interviewer京都芸大での経験が、今につながっていると感じる事はありますか。

釜野 3回生の時に、サッカー部だった彫刻の先輩が「何故、四芸祭(※)に沖縄県立芸術大学が入っていないのか。沖縄県芸のサッカー部に勝って国公立芸大のサッカー部の頂点に立つ。」と言い出したのがきっかけで、沖縄県芸とのサッカーの試合を目的とした「京琉アートプロジェクト」という企画を立ち上げ、実行委員をやりました。すると、せっかくだから他のクラブも試合をしよう、併せて展覧会もやろうと、いろんな企画が加わり、マスコットキャラクターを作って、協賛を集めて、ひとつの大きなプロジェクトになっていきました。沖縄で大々的に開催し、大成功を収めました。

 自分では、裏方に回るよりは、前に出たいという気持ちが強かったんです。ただ、運営を進んでやりたいとは思ってなかったとはいえ、「お祭り」として企画を作り上げていく感覚は楽しくて、その感覚は今の活動に繋がっています。

※現在は沖縄県立芸術大学も正式加入し「五芸祭」となりました。

専攻を超えた人間関係


 

interviewer入学前から染織専攻を志望されていたのですか。

釜野 はい。父親が毛布を作る仕事をしていたので、小さい頃から機織りで布が織られる様を見ていて、布があれば「何かを創ることができる」という感覚はありました。お洋服も好きで、布というものに親しみを感じていました。

interviewer在学中はどのような制作をしていたのですか。

釜野 京都芸大では本当に好きな事ばかりしていましたね。ときには、染めてもなければ織ってもない、買ってきた布で衣装を作って、それを着てパフォーマンスを発表したこともありました(笑)。合評のときなど、染織専攻の先生からは、厳しいご指摘を受けることも勿論ありました。けれど、基本的には自由にやらせてもらえました。また、野村先生や、井上明彦先生、専攻以外の先生方からも気にかけていただいたことはとても感謝しています。もう退任されて久しいですけど、陶磁器専攻の栗木達介先生(現名誉教授)にはとてもお世話になりました。

interviewer専攻を超えて、先生方や同級生との交流を持てたのは、やはり総合基礎実技がきっかけですか?

釜野 総基礎と工芸基礎ですね。栗木先生には工芸基礎で泣かされたんです。すごく熱く「釜野さん、芸大祭が好きなのは分かる。でもね、工芸基礎にも来ようね。」って言われて、愛をひしひしと感じ、思わず泣いちゃいました。栗木先生は専攻が違うのに、どうにか私にもっと制作をさせようとして、「これとこれを読みなさい」と本を薦めてくれたり、染織の先生に「釜野さんにこの資料を貸してあげて欲しい」と話を通してくれたりしました。卒業する時に、ごはんを食べに連れて行ってくださって「10年後に会おう」と約束をして別れたきりお会いできていません。近いうちに再会したいですね。祭部の顧問になってくださった野村先生とも、総基礎からの縁です。

interviewer生徒数が少ないので、先生にはすぐに顔を覚えてもらえますし、各専攻に別かれた後も、気にかけていただけますよね。

釜野 総合基礎実技でできた先生や同級生との繋がりは、その後の学生生活に大きく影響しましたね。もし、こういうシステムじゃなかったら、もっといろいろな事で悩んでいたと思います。

インタビュアー:美術学部 日本画専攻4回生 町田藻映子
(取材日:2012年11月5日)

Profile:釜野真理子【かまの・まりこ】JICA青年海外協力隊

京都市立芸術大学美術学部染織専攻卒業。小中学校の図工の講師等を経て、現在は青年海外協力隊(JICA)としてブータン王国の玄関口となるパロに在住。教育省のカリキュラム局にて、ブータンで初めての美術科目の立ち上げに携わっている。