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松尾惠さん 3/4

3.作家とともに


現代美術二等兵「駄美術展」2013年

interviewer京都の様々なプロジェクトに関わられるようになられたきっかけはありますか。

松尾 1990年頃に,京都市が当時,国の助成金を受けて,京都の芸術振興のために総合芸術祭を開催しました。その中に,演劇や音楽,現代美術,大学生のアート部門などがあり,実行委員の方に誘われてお手伝いをさせていただきました。京都市関係のプロジェクトに関わるようになったのはそれからです。

interviewer当時,京都で活動することをどのように捉えていましたか。

松尾 セールスという意味では,東京というマーケットはすごく魅力的ですけど,京都は掘っても掘っても知性や新しい表現などの財宝がざくざくだと感じていました。京都というまち自体が,大学もたくさんあって,研究者もたくさんおられるので,思想する一つの動力,機能といってもいいかな。今でもそうですが,京都から離れたら,私自身が考えている芸術というものは成り立たないと思っています。

interviewer学生の頃からずっと京都にいてそう思われたのですか。

松尾 そうですね。京都でいろいろな友人が開いてくれたドアの一つずつが,とっても面白かったんですね。それは今でも変わらないです。京都にはフリーの学者がいるということにも驚きました。フリーランスの博士やさまざまな年齢の学生がいっぱいいて,これはすごいなと思いました。私自身は帰属する組織がないので,そういう知性と繋がっていくしか,芸術を紐解いていくチャンスがなかったんですね。

interviewer現在のお仕事や今の「VOICE GALLERY」での活動はどのような考えで展開されていますか。

松尾 「アート」は娯楽じゃないと考えています。いろいろな意味で不確かな状況を掴みながらの社会活動だという事がわかってきたんですね。私はそれがやりたい。VOICE GALLERYがあるこの辺りは,古くからのまちで,まちの作り方やまちのいろいろな問題が見え隠れします。そういうものの中から,何故,このまちで新しいものが生まれてくるのかということも確かめていきたいと思っています。

interviewer作家と作品を選ぶ時のポイントや根拠があれば教えてください。

松尾 30年近くやっていますと,失敗もありますので,自分の中で成功した出会いというか,非常に快適で長続きしているお付き合いの始まりを思い出すようにしています。その始まりと現在を行ったり来たりなんですけど,「この人と10年後も付き合えるかな」と,その人が年齢を重ねることによって作品の魅力が増すかどうかを想像しながら作品を見ています。だから,作品の作者とは必ず会います。

 若い人にとって10年は,はるか遠くに感じると思うんですけど,10年なんてあっという間なんですよね。10年間続けることができたなら,多分その人は自分で次のステップを見つけられるし,もし一緒にやっていたら二人で次の10年を作れると思います。

interviewer今のお仕事の中で,喜びややっていて良かったなと思われるのはどういう時ですか。

松尾 下世話ですけど,作品が売れた時ですね。作者と買う人と私の価値観が共有できたと感じるからです。もしくは,その作家が驚くような変化をした時やそれに気づかされた時ですね。本人が自覚して変化した時,その変化には絶対に評価がついてくるんですよ。「あ,何かすごく良くなったな。」と思ったら,まず本人が自信に満ちていて,とても幸せそうです。そうしていると展覧会の誘いがあったり,賞をとったりと,外的な評価が付いてきます。そういう時は,やっていて良かったなと思います。

 それから,かかわりのある作家の作品が,美術館にコレクションされた時も嬉しいです。だって,地球が終わるまでその作品は美術館に守られるのだから。その作品によって200年先,500年先という時間軸を作ってくれるわけだから,そうなった時は嬉しいですね。

interviewer作家さんとはどのように関わりを持っておられますか。

松尾 私は,あまり温かくない方だと思います。例えば,今,展示している唐仁原希さんは,ものすごく勤勉で,何にも言わなくても,作品が次々と生まれてくるんですが,何か導きがないと次にいけない人やいわゆるミクストメディアな人,つまり,自分で技法,素材を選ばないといけない人には,少しだけ選択肢を示唆したり,間違っている方向を間違っているんじゃないかと言う時はあります。

 作品というのは,自己と他者との関係を視覚化する事で,自己だけに拘っていては良い作品は生まれないと思っています。そういう事を言いますので,作家を傷つけているかもしれません。

interviewerお仕事の中で,辛いことや大変なことは,そういう所でしょうか。

松尾 今は,私自身がいろいろな事を経験して,年齢を重ねたから,平気になったんですけど,ギャラリーを始めた頃は,胃痛でしばしば医者に行ったり,聖書を読んだりしました。価値観の違いを全部受け止めないといけない,作家の価値観を受け止める事が支援だと思い込んでいたからです。自分がしんどくてもそこで解消できれば全部解決すると思っていましたが,それは単なる思い込みで,その思い込みに苦しんでいたんですね。

interviewerお仕事以外で気分転換にされていることはありますか。

松尾 サーフィンが好きです。西日本のサーフィン文化の始祖といわれるサーファーが京都にいるんですけど,ボーっとしていて,仙人みたいな人です。「仕事何してるの?」と聞かれたので,「アート関係」と答えたら,「僕らと一緒やね。」と返ってきました。

 つまり,「テクニック」は,「人為」であり「アート」。海の中に自分の作ったボードを持って入っていく事と,美術の仕事は一緒だと言うんですね。私は,そういうシャーマン的な人や,別の次元を垣間見た人,あの世とこの世をつなぐような人に出会う事が多いかもしれないですね。そういう人達から,たいへん含蓄のある言葉を頂いています。

インタビュアー:本田耕人(美術学部総合芸術学科4回生)
(取材日:2014年1月7日)※唐仁原 希(2011年油画修士修了生)個展/MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/wにて

Profile:松尾惠【まつお・めぐみ】MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w 代表/Director

1980年京都市立芸術大学美術学部工芸科染織専攻卒業。

1986年VOICE GALLERY(現 MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w)開設。京都芸術センターを運営する財団法人京都市芸術文化協会理事,財団法人京釡文化振興財団(大西清右衛門美術館)評議員。ギャラリー運営を通じてアーティストの紹介,育成のみならず,京都国際現代芸術祭プロフェッショナルアドバイザリーボード,超京都代表,府・市の各種委員を務めるなど,京都を拠点に現代美術や芸術の環境整備に幅広く関わっている。京都市立芸術大学をはじめ多数の芸術大学において非常勤講師として後進の育成にも力を注いでいる。