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松尾惠さん 2/4

2. MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w


「1981年 GOOD ART」

interviewer卒業してからどのような活動をされましたか。

松尾 80年頃は,バスケット部の先輩が,三美祭(※)で知り合った人達と「GOOD ART」というグループを組んで,グループ展を年2回くらい開催されていて,それに入れてもらいました。GOOD ARTはおしゃれな感じがあって,思考的にも新しいものをどんどん取り入れていました。そういった仲間の活動がすごく励みになって,この人達とだったら作家活動を続けていけると思いました。

 作品を作ったり,GOOD ARTで活動しながら,ギャラリーの店番のアルバイトをいくつか掛け持ちしていました。そのうちに,とあるギャラリーのオーナーが,私自身に興味を持ってくださったんです。私より4つ上の女性なんですが,自分が考えている芸術の在り方と,私がしようとしている事が,直感的に合ったようで,うちで働かないかとおっしゃってくださいました。

 私に任せていただいたスペースは,小さいものでしたが,85~86年,スペースの借り手を探したり,企画展をやったりしていました。

※ 三美祭:現在は,五芸祭(五芸術大学体育・文化交歓会)。五芸祭は,本学,東京藝術大学,金沢美術工芸大学,愛知県立芸術大学,沖縄県立芸術大学により,毎年5月下旬に体育会系クラブの試合,文化系クラブの催し,ブラスバンド,オーケストラの演奏会,展覧会や演劇などを開催。

interviewerその頃は,自分で作品を作りながら,ギャラリーを運営されていたのですか。

松尾 そのギャラリーのオーナーは,シャーマン的な直感があって,「これからは,スターディレクターの時代だ。アートの作り手側の事もよく理解できるディレクターが必要だ。うちに来て両方をやらないか。」と言われました。

 86年になり,オーナーの事情でギャラリーを閉店することになりましたが,そのとき、私の手元には400人くらいの住所録がありました。これは一つの財産だと思い,自分のギャラリーとしてVOICE GALLERY(現「MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w」)を開店しました。


「1988年 VOICE GALLERY」

interviewer「VOICE GALLERY」には,どういった思いが込められているのでしょうか。

松尾 今は,アーティストとアートを経営する人を繋ぐ様々な機構や制度があるけれども,当時は,作り手の声は世の中へ全然届かなかったように思います。私自身が駆け出しのアーティストだったからだと思いますけど,自分の声を他のこれからのアーティストと一緒に届けるメディアという意味で「VOICE GALLERY」と名付けました。だから,自分でも作品を作り,年に1回は自分の個展をしていました。

 しかし,毎日,手を動かさないと脳も動かないし,年に1回個展をするくらいでは作家としては駄目だと感じて,90年頃くらいからギャラリーの方に専念するようになりました。

interviewerギャラリーで取り上げられた作家は,京都芸大の学生や京都芸大ゆかりの人だったのでしょうか。

松尾 京都芸大の作家さんは多かったですね。高嶺格さんは1回生の時から,出入りしてくれていました。高嶺さんの学年はすごく面白かったんですよ。今46・7歳の人達ですよね。あの時は,横つながりで,今も方々で活躍するすごく面白い人たちがよく来てくれました。

interviewerギャラリーを始められて,まわりの反応はいかがでしたか。

松尾 ルールに縛られずに,アーティストのやりたい事をやってもらおうと思っていて,夜通しギャラリーの中で物を作ったり,いろいろなことをやっていました。

86年からギャラリーを始めて,87年にダムタイプが隣に引っ越してきました。ダムタイプも当時はまだそれほど忙しくなかったのですが,小山田徹さんが「とにかくオフィスに来なければだめだ。」と言って毎日オフィスに来られていました。こちらも暇だったので,よく小山田さんと何時間も話をしました。全然,お客さんが来なかったですし,当時,若手で無名で,全く価値付けの不可能な作家の展覧会しかしないと言われていましたから。未だにそんな風には言われるんですけど。(笑)

 ギャラリーが知られるようになったきっかけは2つあります。当時,SONYが全国公募をして,新しい価値を探し当てる「アートアーティストオーディション」を始めたのです。その1回目グランプリが,京都芸大の卒業生の西松鉱二さんで,2回目の準グランプリが高嶺格さんで,お二人とも私のギャラリーに出入りしてくれていたので,SONYが,京都に虎の穴みたいなギャラリーがあると言いだしました。

 次は,97年くらいでしょうか。フランスの外務省を通じて,フランスのさまざまなクリエイター,詩人,音楽家,美術家などが,半年程,京都に滞在し活動するアーティスト・イン・レジデンスのヴィラ九条山があります。そこに,レジデンスのメンバーの一人として招聘されたキュレーターが,自ら京都の作家をリサーチして,パリで展覧会をされたんですよ。出展作家の中に,伊藤存さん,青木陵子さん,木村友紀さん,きむらとしろうじんじんさんなどがおられて,その方たちの略歴に,グループ展や,ちょっとした事だけど,私のギャラリーの名前があるので、「どこのギャラリストやエージェントとも関係しないVOICE GALLERYという変わったところがある。」と言われて,当時の関西日仏会館の若い館長さんが,パリのディレクターや各国で活躍するいわばご自身の同僚たちを次々と連れてきてくれたりして,若手発掘の実績があるギャラリーとして知られるようになりました。

インタビュアー:本田耕人(美術学部総合芸術学科4回生)
(取材日:2014年1月7日)※唐仁原 希(2011年油画修士修了生)個展/MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/wにて

Profile:松尾惠【まつお・めぐみ】MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w 代表/Director

1980年京都市立芸術大学美術学部工芸科染織専攻卒業。

1986年VOICE GALLERY(現 MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w)開設。京都芸術センターを運営する財団法人京都市芸術文化協会理事,財団法人京釡文化振興財団(大西清右衛門美術館)評議員。ギャラリー運営を通じてアーティストの紹介,育成のみならず,京都国際現代芸術祭プロフェッショナルアドバイザリーボード,超京都代表,府・市の各種委員を務めるなど,京都を拠点に現代美術や芸術の環境整備に幅広く関わっている。京都市立芸術大学をはじめ多数の芸術大学において非常勤講師として後進の育成にも力を注いでいる。