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やなぎみわさん 2/4

2. 現代美術から演劇の世界へ

interviewerやなぎさんが舞台をすると初めて聞いたとき,舞台美術や装置などを制作されるのかと思っていました。

やなぎ 「舞台美術」という言葉が混乱を招いていると思いますが,「美術」と「舞台装置」は全く別のものなんですよ。どんなに斬新なものでも,それは美術ではなく舞台装置です。大劇場の空間を把握するために商業演劇の装置を一度やってみたことはありますよ。あくまで演出の勉強のためにですが。

interviewer舞台の作品をしようと思われたきっかけは何ですか。

やなぎ 子どもの時から舞台には親近感をもっていました。きっかけというのは,別にありませんが,現代美術に対してずっと抱いていた違和感も自分なりに整理でき,もう好きなことをやろうとなったときに,運命的に辿り着いた感じです。

interviewer現代美術に対する違和感とは。

やなぎ うーん,一言で言うと,身体的なものですね。どうもうまく身体に合わない(笑)。例えば,創造と破壊のリズム。作家と作品と観客の距離。「世界の新しい見方」を提示する手管。日本の現代美術の根底にある“ヨーロッパの近代以降の芸術”もしっくりこない。

 ヨーロッパ芸術の歴史は,ギリシャ文化を根幹にして,常に“酩酊の神”ディオニュソスと,“理性の神”アポロンの衝突によって展開されていくということを自覚している。もちろん実際はそんな単純な二者対立ではないのですけど,そういう客観化しやすい対概念の大前提があって,近現代の美術に至る。

 日本の場合,大正時代の前衛芸術家などが,ヨーロッパの新しい“イズム”を大量輸入しました。つまりいきなりヨーロッパの近代芸術を接ぎ木して,工芸と芸能の国だった日本に,いろいろ面白いものは出来ましたが,完全なシフトチェンジというか,逸脱が起こるのは,美術のインサイダーでは出来ない気がする。

 ちなみに,身体に合わないというのは興味が無いということではありません。逆に冷静に制作出来るということですし。舞台をやっていると写真のことなど,今までに無いほど理解できたりしますよ。

interviewer美術と演劇の違いとは,何なのでしょうか。

やなぎ 美術は積層で,演劇は流動体です。美術は一応,創造の上に創造を積んでいますが,演劇は創造力と同じくらい破壊力が大きい。有機的なんでしょうね。だから「積み」にくい表現ですよ。

 分かりやすく言うなら,例えば,美術館の一番の目的は,収蔵と保存です。千年先まで作品を残すのが美術館の役割。でもそれじゃ誰も見られないから,見せるための企画はしますが,展覧会は,美術館の大目的ではありません。美術館というものが白い箱だとすると,劇場は黒い箱で,白い箱は,冷蔵庫のように,収蔵したものを傷まないよう保存し,次の世代へ送るためのもの。

 一方で,劇場という黒い箱は,常に温めておかねばならず,人々が集って見なければ成り立たない場所です。そして,黒い箱の中で行われる演劇には,危険な力があります。どれだけ物語が解体されても,観客との距離を取ろうとする演出をしても,引き離し切れない力です。

interviewer演劇を本格的に始めるにあたり,どのような段取りで進められましたか。

やなぎ 段取りなんて何もないです。いきなり演出をやってみたら,えらいことになった(笑)。美術館で自主公演をしたときは,モホイ=ナジ・ラースロー(写真家,画家,タイポグラフィー,美術教育と幅広く活躍したバウハウスの主要メンバー)の大きな回顧展を舞台にして,大正アヴァンギャルドの活動をテーマにした「1924 Tokyo-Berlin」を作演出しましたが,これは大きな契機になりました。1924年に日本の前衛芸術家がどういう思いで制作していたかを描いたもので,モホイ=ナジと,大正時代の前衛芸術家の村山知義との関係を脚本化した荒唐無稽な話でした。

 そんな演劇を,美術館という白い大きな展示室の中に,客席50席くらいの小さな黒い部屋を作って行いました。それが,三部作となる「1924」シリーズの第一作目となりました。

 第二作目の「1924 海戦」は,不思議な経緯で,大きな劇場でやる事になりました。2011年にオープンしたKAAT(神奈川芸術劇場)の芸術監督は宮本亜門さんでしたが,宮本さんが以前から私の美術作品をよく観てくださっていたこともあり,ここで私に何かできないかと依頼がありました。ただし,作品展ではなく,演劇公演をするとは意外だったかもしれませんが。

 「1924 海戦」は,1924年に日本で初めての近代劇場である築地小劇場が出来た時の,こけらおとしの話です。1924年といえば,関東大震災の翌年。オープンして早々に東日本大震災の避難所となったKAATが,やっと落ち着いた2011年の秋の上演でした。演劇を初めて1年ほどで劇場公演というのは,普通有り得ません。

 もちろんその後は大変な自主公演が続き,修行しましたよ。三部作の第三作目の「1924 人間機械」はまた美術館で上演したりと,この4年間,えらい勢いで走りましたね。

 演劇では,プロデューサー業と脚本と演出と装置,広報イメージを考えて,稽古して・・・・実務とクリエイションが,いつもごった煮になっていて,とにかく仕事が煩雑で多岐にわたります。美術をやっている時は,作品だけ作っていれば良かったので楽だったと今でも思います。


やなぎみわ作・演出「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」(2013)


「ゼロ・アワー」北米ツアーの千秋楽後,俳優・スタッフらと(2015)

interviewer現在(2014年11月)進行中のプロジェクトはどのようなものですか。

やなぎ 今,動いているのは「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」という,2013年に作った演劇の,アメリカ公演ツアーです。愛知トリエンナーレ2013で上演した際の千秋楽に,ニューヨークのジャパンソサエティーのプロデューサーが観に来られて,アメリカツアーの話が立ち上がり,実現することになりました。

 演劇って始動が早いんですよ。今は2016年,2017年の事を準備しています。

interviewer作品が完成するまでの時間の流れが,演劇と美術では全く違いますね。

やなぎ 演劇は関わる人が多いので,人材探しや,良い俳優をおさえないといけないとか,場所をおさえないといけないとか,そういった物理的な問題のためでもあります。

interviewerやなぎさんの演劇プロジェクトは,通常何人くらいで動いていますか。


『日輪の翼』上演のための移動舞台車(2014)写真:沈昭良

やなぎ 初めは私だけですよ。そこから,いろいろしたい事を周りに伝えてプロジェクトが立ち上がり,やっと動き始めます。

 「ゼロ・アワー」の北米ツアーは,5週間かけて5カ所の劇場を巡るのですが,俳優,スタッフを含めて15人の座組みです。

 ヨコハマトリエンナーレ2014で登場した移動舞台車は,京都国際現代芸術祭PARASOPHIA2015で再登場する予定ですが,本公演とツアーは2016年夏から始まります。こちらはまた所帯が別で,舞台監督などスタッフが数人決まっていて,俳優はまだこれからです。野外の旅公演ですから,いろいろ慎重になります。

 毎回,一人で始めて,制作さんや演出助手がついてくれて,俳優が決まって稽古して,テクニカルが照明をくれて,音をくれて,そして本番になったら,たくさんの観客が集まってくる。で,公演が終わったとたん誰もいなくなる。振り向けば幻,という感じです。私は劇団を持っていませんので,終わったら残っているのは私だけです。何もない誰もいないところから考え始めて,ず〜っと演者を見つめ続けて,皆が去った後まで残るのが演出家ですよ。

インタビュアー:野尻恵美(版画専攻4回生*)*取材当時の学年

(取材日:2014年11月16日・やなぎ氏の作業場にて)

Profile:やなぎみわ【Miwa YANAGI】舞台演出家/美術家

神戸市生まれ。京都市立芸術大学美術研究科修了。1990年代後半より,若い女性にCGや特殊メイクを施した写真作品「エレベーターガール」シリーズ,2000年より,女性が空想する半世紀後の自分を写真で再現した「マイ・グランドマザーズ」シリーズ,少女と老婆が登場する物語を題材にした「フェアリーテイル」シリーズを制作。2009年第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表。2010年より演劇公演を手がけ,大正期の日本を舞台に新興芸術運動の揺籃を描いた「1924」 三部作,2013年に上演した「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」は2015年2月に北米ツアー後,7月に京都の春秋座にて再演される予定。2016年より,台湾製の移動舞台トレーラーで中上健次「日輪の翼」を上演予定。http://www.yanagimiwa.net/