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やなぎみわさん 4/4

4. 「型」を学ぶ


やなぎ 今は他大学の現代美術写真のコースで演劇の集中授業を担当していますが,4月初めのオリエンテーションで,新入生たちにサミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を1冊渡します。入学して1ヶ月半で覚えて発表する。美術の歴史でいったら,ダダイズムのデュシャンから入るのと同じようなものですが,日本の小中高校の芸術教育で,近代芸術までをしっかり教えているわけでもないんだから,どこから入っても構わないわけです。

interviewerそれも,先ほどのお話にあった「型」だと。

やなぎ そう。「ゴドーを待ちながら」をまるごと覚えるのは一つの「型」ですよ。全然意味が分からなくても,とりあえず発話してみて,1時間半かけて一幕をやる。少人数の芝居だから逃げられないです(笑)。そういえば何故か今まで逃げた学生はいませんね。ウラディミールとエストラゴンが,延々とゴドーを待ち続けるだけの,何も起ることの無い,聖書のメタファーや古典劇の引用だらけのセリフを丸暗記するんです。自分が誰なのか,幸せなのか不幸なのか,誰を待っているのかさえも,全て曖昧のまま棚上げにしてひたすら待つという「身振り」,「しぐさ」をやってみる。

 ベケットは,第二次世界大戦中,レジスタンスとしてフランスの農村に潜伏し続け,友人達が殺されていく中,為す術のない無為な時間を過ごさねばならなかったその経験が,「ゴドーを待ちながら」を生みました。終戦後,7年後にパリのバビロン座で初演された時,誰も理解できなかった。できないからこそ,ロングランを続けた。

 これは凄いことです。「分かりやすさ至上主義」で作った作品を「皆どんどん忘れてしまう」ような,大量制作・大量消費型のシステムが商業主義の中で加速した現状に,巻き込まれないようにするのは,相当な心構えが要りますから。

 石巻出身の生徒に実家付近の一枚の写真を撮ってきてもらい,枯れ木が1本だけ残っている風景写真を壁にプロジェクションして,“夕暮れ時,荒野,枯れ木が1本”という「ゴドーを待ちながら」の背景に見立てた。今までの地球上に表れた全ての「廃墟」と繋がり,今自分が,どの時代のどこにいるか分からなくなる。戯曲が持つ普遍的な力です。

 「ゴドーを待ちながら」は,今から何十年も前に初演されてから,ずっとそういうところで演じられてきています。サラエボ包囲の暗闇の劇場で,被害を受けたニューオーリンズの廃屋で,事故直後の福島第一原発近くで,上演され続けています。

 こういった演目は,一つの「装置」です。人は誰でも意味のある物語を生きようとするのだけど,それが一切封じられ無意味を生きるしかなくなった時に,その時に初めて発動する,人間がただ生き延びるためだけの装置。反復の多い台詞と身振りでその世界の時間軸が立ち上がる。これが「型」なんです。

 大学1年生なんてまだ18年くらいしか生きてないわけだから,自分の経験から大したものは出てこないわけで,だから身振りで歴史に学ぶ。人間だけが次世代に送って来た文化の積層というものがありますから。「型」を知ったら,先人たちはよくこんなに残そうとしてくれたものだと,改めて驚きます。その時,往年のクリエーター達が,本当に自分のそばに来て教えてくれているのを感じますね。文字や絵で残せないものはたくさんあって,例えば「時間」や「声」など,残らないものに想像を馳せることができるようになるために,「型」を知ることは大事です。これは演劇だけでなく,芸術だけでもなく,全てのことについて言えますが。

interviewer今後の課題などはありますか。

やなぎ 生きている人間を面倒がらずに好きになることかな。もちろん,演劇やるのに人間嫌いでは出来ませんが,演出家ってそういう矛盾がありますよ。一緒に稽古をして,実践の中で考えることを,もっと自分の血肉としないと。

 まず北米ツアーで劇場での公演経験を増やし,帰ってきたら京都国際現代美術祭PARASOPHIA。こちらは私の移動舞台車「花鳥虹」で台詞劇でないショーをいくつかやります。遠方を見ながら,現場を踏みながらですよ。

interviewer美術作品を作られる予定はないのでしょうか?

やなぎ 舞台って忙しすぎて,なかなか難しかったけれど,やっと再開できます。もちろん,舞台写真や公演写真を撮るつもりは毛頭ありません。同じ原作に対して,演劇のアプローチと写真のアプローチがあれば,相互作用で必ず面白くなるはずです。舞台車公演の初演の時に写真集ができたら嬉しいですね。

interviewer在学生にメッセージをお願いします。

やなぎ 学生の時は,存分に「自分」に拘泥しても良いと思います。若い時は歴史や世界よりもまず「自分」。簡単に諦められるものではないでしょうから。しかしそこだけ掘っても,早晩水は尽きることは間違い無いので,そうなった時に生き延びられるように,他の「水源」を,できれば「水脈」を探す心構えが欲しい。どうすればいいかわからない時は,例の「型」の習得をやれば良いんですよ(笑)。

 中学生の頃から,芸大受験のために,ギリシャやローマの彫刻を描き写した努力は価値のあるものでした。工芸科で伝統工芸の手法を学んだことも同じくらい価値がありましたよ。デッサンという「型」を学んで入学し,総合基礎実技では,受験で固くなった頭をほぐされ,次は工芸基礎で染織の「型」を学んで,その後は放任主義の先生たちのもと,自由に制作した。京都芸大の中で「型」と「自由」という両極面を体験したのは幸運でしたね。「型」で始めたものが,やがて逸脱してしまうかどうかなんて,その時にならないとわからない。

 私は,思考することが得意ではない実践派の学生で,それほど試行錯誤せずに,とにかく毎日せっせと長時間制作室に居続けて作品を作り,学生時代は,その充実感で生きていました。いま全力で作っている作品が,明日の行き先を示してくれます。立ち止まるのは全然いいけど,諦めないことです。

 行き先に迷ったら,周りの友人や教員にダラダラ相談せずに,たった一人で,死んだ人に聞くのがいい。数多の先人たちが,いろいろ教えてくれますよ。死ぬ気で聞かないと答えてくれないですよ。相手は死んでいるんだから(笑)。

インタビュー後記

インタビュアー:野尻恵美(版画専攻4回生*)*取材当時の学年
(取材日:2014年11月16日・やなぎ氏の作業場にて)

 大変多忙なスケジュールの中,やなぎさんは現在取り組んでおられる舞台作品の制作エピソードから,高校の受験時代でのお話まで,丁寧にそして情熱的にお話して下さいました。

 形として残る美術作品から,一度きりの舞台作品へ,という大きな変化は,ご自身の制作スタイルが現在に至るまでの経緯をお聞きしていると,とても自然な流れである事が分かりました。

 また,舞台作品の実現に至るまでの1つ1つのエピソードにしっかりとした言葉の重みがあり,身につまされる思いがありました。

 インタビューの中で,芸術における全ての基礎は歴史であり,「型」に学ぶことだとお話しされていたことは,深く胸に刻まれました。自身の経験でなく,歴史や過去の偉人たちに学ぶ。私も作品作りの最も基礎的な姿勢を見失う事なく,今後に生かしていきたいと思います。

Profile:やなぎみわ【Miwa YANAGI】舞台演出家/美術家

神戸市生まれ。京都市立芸術大学美術研究科修了。1990年代後半より,若い女性にCGや特殊メイクを施した写真作品「エレベーターガール」シリーズ,2000年より,女性が空想する半世紀後の自分を写真で再現した「マイ・グランドマザーズ」シリーズ,少女と老婆が登場する物語を題材にした「フェアリーテイル」シリーズを制作。2009年第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表。2010年より演劇公演を手がけ,大正期の日本を舞台に新興芸術運動の揺籃を描いた「1924」 三部作,2013年に上演した「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」は2015年2月に北米ツアー後,7月に京都の春秋座にて再演される予定。2016年より,台湾製の移動舞台トレーラーで中上健次「日輪の翼」を上演予定。http://www.yanagimiwa.net/