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やなぎみわさん 3/4

3. 生き物を扱う


やなぎ 演劇は現場に立ってみないと分からないことばかりでしょう。演劇は美術よりもずっと早熟で10代から始める人が多い中,私のようなのは決定的に遅いわけですよ。それを考えると絶望的になるので,まあ長生きするしかないかと。80歳を過ぎて30代よりアタマと目口耳が達者で,日々,未踏なところを目指す気概があるなら,間に合うかもしれないですよね。

interviewerやなぎさんには,それまでの美術作家としての経歴があるので,他の誰とも比較できないものがあると思いますが。

やなぎ 経歴というのに興味が無くて。無いものに執着してしまうので,いつも何か足りないと思っている。過去のことを聞かれても忘れていることもよくあるんです。

interviewerそれほどまでに感じる「足りないもの」とは。

やなぎ 複数の俳優の細かい動きを記憶するメモリとか,動体視力とか,時間軸と並走とか(笑)半分冗談,半分本気で欲しいですよ。でもそれはスポーツと同じで身体的な訓練ですから。鍛えればある程度までは良くなると信じるしか無いですね。

 舞台は人間をメディウムとする表現ですが,一番心を打つものは一番面倒くさいものでもあるわけです。舞台をシーンの静止画として見て,構成が美しいかどうかだけの判断なら楽なのですが,オーケストラのように,全パートに時間軸があって,言葉も発しているし,歌舞音曲があり,照明があり,あらゆる要素が盛り込まれていますから,どうしてもやることが多くなる。つねに整理する編集能力は必要ですね。

interviewerたくさんのレイヤーが重なっているような。

やなぎ 動画のレイヤーが,いくつもある感じなので,ほんの一瞬で,いくつものきっかけを見落とす。3年前の初めての劇場公演の時は俳優10人ほどでしたが,一カ所を集中して見ていて,良いのができた!と思ったら,別の俳優から「今のどうでした?」と言われてとても焦りましたね。悔しいことに,身体能力が着いて行かなかった。

interviewer演劇は,必ずしも毎回同じものになるとは限らないですよね。

やなぎ もちろん毎回まったく違います。同じ脚本・演出・演者・劇場でやっても,全然,違う。そもそも毎回,観客が違うのですからね。それにしても,「再演」というのは演劇の面白い行為です。再演って不思議なものですよ。再演はある種の「型」ですから,時空を越えて太古の芸能の原点にもどる感覚になります。美術作品は,一度出来上がってしまったら基本的にそのまま。その作品は,長らえて目の前を通り過ぎる人間の中の誰かと出会って共鳴するのをひたすら「待っている」わけですね。でも,舞台表現というのは,自ら積極的に呼びかけて人を集わせる。集って,消えて,再演でまた立ち上がって,と,建設と破壊を繰り返していく。新たな出会いの場は流動体で,常に更新されねばならないからです。

 写真は光学装置の中で映し出した図像を紙に化学反応で定着させたものです。カメラ・オブスクラの原理は紀元前から分かっていたけれど,光を定着させる方法が見つかって初めて写真が出来た。そのように,美術は科学や工学の技術の進歩に沿って拡張して来たけれど,演劇は,根本的には変わってない。人間の身体が大きく変容でもしないかぎり,変わることが出来ない,つまり滅びないものです。

interviewer演劇は定着されず,常に消えていくとなると,歴史はどのように残されていくのでしょうか。

やなぎ 数千年経ってもシナリオは残るし,劇場も建築として残っているものがある。そんな断片から,どんな舞台であったか,俳優はどんな仕草でどんな声で語ったのか,つまりどんな演出だったか,人は想像しようとします。オペラなども,ギリシャ演劇の記録に基づき,ここで歌ったであろう,何人かで踊ったであろうという妄想のもとに出来た。そんなオペラも,もう何百年も続いてきているから,それはもはや嘘ではない“歴史”として残る。

 あとは,観客ですね。観客が語り部となって次の世代の人に伝える。あの時の芝居は凄かったと。声で伝わっていく,そういういい加減な伝わり方。だから,演劇の歴史は,妄想の歴史であると言えるかも知れません。そうやって人間の想像力の補完でもって,演劇の歴史は作られているのではないか。そして変わることが出来ないゆえに,常に原点回帰をしている,一気に進んだら,また昔に戻ってしまう。前進するたびに古代に戻って何か確認してまた進む。ぐるぐる円環しながら進んでいる気がしますね。

interviewerお子さんが生まれてからの制作活動は,それまでと何か変化はありましたか。

やなぎ 生まれた時,その前後の1年くらいは大変化が起こりましたよ。大げさではなく,新生児というのは,地球の命の営みの最先端の存在なので,人が作ってきた歴史などほんのささやかなものに思わせるほど,圧倒的な規模の大きさを持っていますよ。

 そしてもう一つ,圧倒的な自然の破壊力と人災が同時に起こった東日本大震災があって,いままでにないくらい人の営み,人の創造物である芸術の意味を問うことになりました。震災のあとに芸術は可能かどうか,全ての作家が震災に問いただされたわけです。イレギュラーを飲み込んで,どこでも何とかやっていくしかないと,私も覚悟しました。

 イレギュラーを飲み込むというのは子どもからも教わりました。「これでうまくいく」と思っていた事は,常に覆されるし,「うまくいかない」と思っていた事は,なぜかうまくいったりする。良かれと思ってやっているのですが,子のほうも人間なので,こちらの指示したやり方とは違った方法で成功しようとする。もちろん,どうしても教えねばならない,譲ってはいけない一線はありますが,基本的にどうでも良いというか,勝手にせいと。人間同士が会う場ではいろんな事が起こる。舞台も同じ。何が起こっても大きな軸があれば大丈夫です。その軸というのはうまく言えませんが,作家の中にあるどうしようもない必然というか,真理のようなものです。

インタビュアー:野尻恵美(版画専攻4回生*)*取材当時の学年

(取材日:2014年11月16日・やなぎ氏の作業場にて)

Profile:やなぎみわ【Miwa YANAGI】舞台演出家/美術家

神戸市生まれ。京都市立芸術大学美術研究科修了。1990年代後半より,若い女性にCGや特殊メイクを施した写真作品「エレベーターガール」シリーズ,2000年より,女性が空想する半世紀後の自分を写真で再現した「マイ・グランドマザーズ」シリーズ,少女と老婆が登場する物語を題材にした「フェアリーテイル」シリーズを制作。2009年第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表。2010年より演劇公演を手がけ,大正期の日本を舞台に新興芸術運動の揺籃を描いた「1924」 三部作,2013年に上演した「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」は2015年2月に北米ツアー後,7月に京都の春秋座にて再演される予定。2016年より,台湾製の移動舞台トレーラーで中上健次「日輪の翼」を上演予定。http://www.yanagimiwa.net/