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名和晃平さん 2/4

2. RCAへの留学を経て,博士課程へ

interviewer学生時代から現代美術作家を目指していたのでしょうか。

名和 学部生の時は,現代美術自体に興味はありませんでした。仏像や神社仏閣をかっこいいなとは感じましたが,それを制作する人になろうとは思わなかったですし,何をやれば良いのか分からなかったですね。

 その一方で,この時期は心の中で,社会に対する怒りを感じていました。「何でこんな消費のサイクルを続けなければならないんだ」って。消費のためだけに物が生み出され,それが消費され,捨てられ,次の消費に移るという,そのサイクルがばかばかしく思え,こんなことを続けているから,本当に良いものがなかなか生まれないし,残らない。色々と思いを巡らせた結果,結局のところ,そのサイクルから,いかに自由なスタンスでモノを作るのかというところに行き着き,そこにこそ価値があるのではないかと直観していました。

interviewerイギリスへの交換留学前後で自分自身に変化はありましたか。

名和 修士課程1回生の時にRCA(英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に交換留学して,ロンドンで過ごしたことが刺激になり,以降は本格的に制作活動に取り組みました。その頃は,とにかく沢山制作しないと見えてこないものがあると感じていましたし,作りたいモノも多かったのだと思います。自分が作りたいモノがもう見えていて,あとは作りさえすればこの世に生まれるのにという確信があっても,いつも時間や物理的な制約で追いつかない感じでした。

 また,留学してみて,現代美術のあり方が,自分なりに少し見えてきたことを覚えています。美術館や博物館に行くと,過去の表現が現代に与えている影響や東洋と西洋の文化圏の歴史的な移り変わりが,モノから直接伝わってくるように感じられるようになりました。そのことは,自分の作家としてのポジションやバックグラウンドを客観視することにもつながっていきました。

interviewer博士課程まで進む道を選択されたのは何故でしょうか。

名和 博士課程まで進んだのは,色々なことを調べたり,考えたりするための時間がまだ欲しかったからです。論理立てて考えることもあまりできていなかったし,自分の作品を言葉に置き換えて語れるようにもなっておきたかったので,博士課程がそのチャンスだと思いました。それに,自分が修士課程を修了するタイミングで,ちょうど博士課程が設置されることを知り,これはもう博士課程に進めということだなと感じました。

interviewer学生の間にやっておいた方がよいことはありますか。

名和 何をしたいかによると思います。学生生活を終えたあとに必要なことは何かを考えることが大事です。そうすれば1日も無駄にはできないはずですよ。もちろん遊ぶことも大事ですけどね。自分が目標とするビジョンの実現に向けて何をするか全部はっきりさせたら,1日も無駄にすることはできないと思います。

インタビュアー:河原 雪花(美術科1回生*)*取材当時の学年

(取材日:2015年11月25日・SANDWICHにて)

Profile:名和 晃平【Kohei NAWA】彫刻家

1975年大阪府生まれ。1998年京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業,1999年英国Royal College of Art交換留学,2003年同大学大学院博士(後期)課程彫刻専攻修了博士号取得。独自の「PixCell」という概念を機軸に,多様な表現を展開。2009年京都市伏見区にクリエイティブ・プラットフォーム「SANDWICH」設立。2011年東京都現代美術館で個展「名和晃平―シンセシス」を開催,2013年「犬島『家プロジェクト』」や「あいちトリエンナーレ2013」に参加。京都造形芸術大学教授。