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名和晃平さん 3/4

3. SANDWICHの立ち上げ


 

interviewerご自身のキャリアの中での最大の転機は何ですか。

名和 6年前に,SANDWICH(※)を立ち上げ制作活動を始めたのは転機になりましたね。仕事の規模も質も劇的に変わりました。当初は,SANDWICHをどうしていくか明確なビジョンはなかったのですが,学生や仲間たちと建物をリノベーションしていく中で,次第にコンセプトが立ち上がってきました。この場所の意味は大きいですね。ここがなかったら,今の制作スタイルにはならなかったと思います。

interviewer今,振り返ってみて,在学中のどのような経験が今に生きていますか。

名和 今振り返ると,大学院時代の経験が生きているのかな。制作のために材料を探して,材料メーカーと交渉したり,展覧会を企画したり,今とあまり変わらない生活をしていましたからね。

interviewer自分が望むキャリアを歩むためには何が必要ですか。

名和 望むキャリアというのは,あまり設定していません。それよりも,かたちはどうであれ,クリエーションが自由に妥協なく続けられることが一番大事だと思います。そこがSANDWICHを作れた理由でもあるのかな。もちろん経営のためには考えないといけないことが多くありますが,無理を続けて,自由がなくなるくらいだったら,たたんだ方がいいと思っています。その位の気持ちでやっているから大きくもできるし,小さくもできるし,どんな形にも変えられます。その柔軟さが大事なのかな。こうじゃないといけないと固執するものはないですね。

interviewer海外での制作活動も経験されていらっしゃいますが,世界で活躍していくために必要なことは何ですか。

名和 今世界で,どういうものが作られていて,どういうものをそこに自分が持ち込もうとしているかっていうのが,見えている事が大事だと思います。制作する場所は関係ありません。自分がやりやすい場所というのは,滞在して過ごしてみたらわかると思います。僕はしんどくなるから高層ビルに囲まれるのが好きじゃなくて,ニューヨークや東京は,ずっとは住みたくはないなって思っていました。でも,ベルリンは京都に似ていて良かったですよ。マイペースでだらだらしていました。

interviewer気分転換のためにしていることはありますか。

名和 映画を観ますね。どんなジャンルのものでも観ます。事務所で同じような装置を使っていることもあるから,特にハリウッド映画の3Dの技術革新を見るのが楽しいです。でもメディアアートに関して言えば,新しい技術を使うことで満足している人が多くて,それではダメだと思うんです。技術は次々に更新されますから,5年も経てば色褪せて残っていきません。その時だけ珍しいというのは,「表現」としては残らないことに留意すべきですし,50年後,100年後でも,歴史を振り返る中で意味を見出してもらえるものを目指した方が良いと思います。なぜ,この技術が必要かということを考えることが大切です。



SANDWICH外観

(※)SANDWICH…京都市伏見区の宇治川沿いにあるサンドイッチ工場跡をリノベーションすることで生まれた創作のためのプラットフォーム。スタジオ,オフィス,多目的スペースをはじめ,キッチンや宿泊設備を備えた空間では,名和晃平氏を中心としたアーティストやデザイナー,建築家など様々なジャンルのクリエイターが集う。また,国内外の若手クリエイターが滞在し,互いに影響し合いながら,刺激的なプロジェクトが日々進行している。

インタビュアー:河原 雪花(美術科1回生*)*取材当時の学年

(取材日:2015年11月25日・SANDWICHにて)

Profile:名和 晃平【Kohei NAWA】彫刻家

1975年大阪府生まれ。1998年京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業,1999年英国Royal College of Art交換留学,2003年同大学大学院博士(後期)課程彫刻専攻修了博士号取得。独自の「PixCell」という概念を機軸に,多様な表現を展開。2009年京都市伏見区にクリエイティブ・プラットフォーム「SANDWICH」設立。2011年東京都現代美術館で個展「名和晃平―シンセシス」を開催,2013年「犬島『家プロジェクト』」や「あいちトリエンナーレ2013」に参加。京都造形芸術大学教授。