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高谷史郎さん

1. 木炭デッサンから始めた受験対策

interviewer幼少の頃はどういったことに興味をお持ちでしたか?

高谷 小学生の頃,漫画の影響だったのかもしれませんが,ロボットが好きで,文集か何かに科学者になりたいと書いていました。小学校1年生の時に開催された大阪万博の影響も大きいと思います。そこには科学的な輝ける未来がありました。今となってはそれが正しいのかどうかはわからないですが,その時にはそう感じて,メカニカルなものに興味があったんですね。それから車のデザイナーをしていた叔父の影響であまり意味もわからずにデザイナーという職業にも憧れを抱いていたことが同時期に重なっていたように思います。幼心にデザイナーの仕事を,理由が明快で事物を探究していけるようなものとして捉えていたように思います。

interviewer京都芸大を目指したきっかけをお聞かせください。

高谷 高校では理数系でした。科学的,数学的な考え方が好きで,教科書を読んでいても面白いなと思っていましたが,ちゃんと勉強するのは好きではなかったからテストの成績は悪く,高校の先生からは行ける大学はないと言われていました。私自身は大学はどこでもいいし,とにかくどこかへ行こうと思っていました。

 2歳上の姉がいて,彼女は京都芸大の油画専攻に進みました。それが京都芸大を目指した理由の全てではありませんが,大学受験のことを考えるに際して芸大を身近に感じたことは確かです。それで高校3年生の夏休みから姉も通っていた画塾に行くようになりました。

 そこはあまり受験目標ではない雰囲気のところで,行くといきなり木炭デッサンをやらされるんです。でも,京都芸大の入試に木炭デッサンはありませんよね。高校3年の夏休みなので入試まで時間がないんだけれど,「あぁ,木炭からなんだ」って思いながら(笑)。

 画塾の先生には京都芸大のプロダクト・デザインの卒業生の江崎哲さんをはじめ,現在京都芸大教授の松井紫朗さんや染織専攻出身の南畝隆顕さんなど京都芸大関係者が集まって運営されていて,すごく自由な雰囲気だったことを記憶しています。京都芸大を目指すことにしたのには,そういう人たちの影響もあったのかもしれません。

 結局,京都芸大には2年浪人して入りました。入学前から躓きまくりでしたが,浪人時代には色々と考える時間も持てました。それは切羽詰まった感じではなくて,大学時代に考えるようなことについて,あれこれ思いを巡らせていた気がします。

インタビュアー:渡辺佳奈(日本画専攻4回生*)*取材当時の学年

(取材日:2016年10月19日・DUMB TYPE OFFICEにて)

Profile:高谷 史郎【Shiro TAKATANI】アーティスト

1963年生まれ。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン専攻卒業。京都芸大在学中の1984年より,アーティストグループ「ダムタイプ」の活動に参加。様々なメディアを用いたパフォーマンスやインスタレーション作品の制作に携わり,世界各地の劇場や美術館,アートセンター等で公演/展示を行う。1998年から「ダムタイプ」の活動と並行して個人の制作活動を開始。舞台作品《明るい部屋》(2008年初演,世界演劇祭/ドイツ),《CHROMA》(2012年初演,滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール),《ST/LL》(2015年初演,ル・ヴォルカン国立舞台/フランス)を製作。ナポリ演劇フェスティバル(イタリア),東京・新国立劇場での公演や,山口情報芸術センター[YCAM],シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦),カルティエ財団現代美術館(パリ)などで作品を展示。また,坂本龍一や野村萬斎らとのコラボレーションも多数。2013年,東京都写真美術館で個展。平成26年度 芸術選奨メディア芸術部門 文部科学大臣賞受賞。

2015年から2016年にかけて京都市立芸術大学芸術資源研究センターが取り組んだ古橋悌二氏によるメディアアート作品「LOVERS」の修復作業に参加した。